本が好きな皆さん、4月23日は親しい人に本を贈ってみませんか?
なぜかというと、この日は「サン・ジョルディの日」、別名「本の日」なのです。でもサン・ジョルディって誰? なぜその日の別名が本の日なの? と思いますよね。
そこで今回は「サン・ジョルディの日」にまつわる伝説についてお話します。
目次
「サン・ジョルディの日」が「本の日」になるまで
サン・ジョルディ(聖ゲオルギウス、セント・ジョージ)はキリスト教の聖人のひとりで、6世紀頃からヨーロッパの広い地域で熱狂的に崇拝された人物です。2世紀にカッパドキア(現在のトルコ東部)の領主の息子として生まれた彼は、ローマ軍のすぐれた武人であり、ドラゴン退治などでも名を馳せましたが、303年にパレスチナで殉教したとされています。
まずは「サン・ジョルディの日」が「本の日」でもある理由についてお話しましょう。
スペインのカタルーニャ地方には、サン・ジョルディがドラゴンを退治した時、ドラゴンの血が地面に流れ、そこに美しい赤いバラが咲いたという伝説が残されています。そこで中世以来、サン・ジョルディの日はバラと結び付けられるようになりました。
さらに彼が殉教した4月23日は、『ドン・キホーテ』の作者セルバンテスの命日でもあることから、本とバラという組み合わせが誕生し、サン・ジョルディの日は「本の日」と呼ばれるようにもなったのです。
サン・ジョルディの日、カタルーニャやバルセロナの町には本やバラの市が立ち、人々は友人や親子など親しい者同士で本やバラを贈り合います。
またこの日はユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の「世界・本と著作権の日」にも制定されており、各地で本や読書に関するイベントが開催されています。
サン・ジョルディのドラゴン退治
それではサン・ジョルディがドラゴンを退治したお話をご紹介しましょう。アフリカ中北部のリビアにあるシレナという町では、近くの湖に住む悪龍が町の城壁までやって来て毒気を吐きかけるようになり、町に疫病が蔓延するなど人々を困らせていました。
住民たちは毎日羊を2頭ずつ与えてドラゴンの怒りをなだめようとしますが、そのうちに羊の数が足りなくなってきてしまいます。そこで町の人たちはしかたなく、毎日羊1頭と若者1人をドラゴンに与えることに決めました。ところが町の若者の数にも限りがあるため、とうとう王のひとり娘を残して、若者は誰もいなくなってしまいます。
娘を深く愛する王は嘆き悲しみ、娘をドラゴンにやらないでほしいと懇願しましたが、住民たちはこれを許しません。王はしかたなく、娘をドラゴンの住む湖のほとりへと連れ出しました。
王が去り、王女が泣きながら運命の時を待っていると、ひとりの騎士が馬に乗って通りかかります。彼こそがサン・ジョルディでした。
「こんな場所でどうしたのですか?」と尋ねるサン・ジョルディに、王女は事情を説明し、「巻き添えにならないうちに早く逃げてください」と伝えます。
ところがふたりが話しているうちに、ドラゴンが岸辺へとやって来てしまいました。王女は震えながら叫び声をあげます。サン・ジョルディは馬にまたがると胸元で十字を切り、ドラゴンめがけて突進していきました。彼が神の加護を願いながら長槍を振り回し、ドラゴンの胸倉に突き立てると、ドラゴンは轟音を立てて倒れました。
王女は腰帯を解くと、おそるおそるドラゴンの首に巻きつけます。すると、町の誰もが恐れたドラゴンはすっかり大人しくなり、まるで子犬のように王女に従いました。こうしてサン・ジョルディと王女はドラゴンを従え町へと戻ったのです。
「主なる神はあなたがたをドラゴンから救うために、わたしをおつかわしになったのです」
王と町の人々の前で、サン・ジョルディは語ります。「だから、キリスト教の洗礼を受けなさい。そうすればわたしはこのドラゴンを殺しましょう」
娘の生還を喜び、王は真っ先に洗礼を受けました。すべての住人もこれにならい洗礼を受けます。サン・ジョルディは約束どおりドラゴンを殺すと、お礼として差し出された財宝は受け取らず、貧しい人々に分配させました。そうして別れの挨拶をすると、馬に乗って立ち去っていったということです。
サン・ジョルディは亡くなった後、6世紀頃からヨーロッパで広く信仰されるようになりました。特に11世紀以降の十字軍遠征時代になると、十字軍の戦士たちから守護聖人としてあつく崇拝されたといわれています。
やがて騎士の時代が終わると、彼の名前がギリシア語で「耕す者」という意味であることから、今度は農民たちに信仰されるようになりました。時代が移り現代では「本の日」を象徴する聖人として、世界中の人々から親しまれています。
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