蒸留酒(スピリッツ)は7~10世紀頃、アラビアの錬金術師が不死の霊薬の研究を進める中で誕生したとされています。その後、十字軍によってヨーロッパの錬金術師たちに伝えられ、「アクア・ヴィタエ」(生命の水)と呼ばれたり、不死の霊薬「エリクシール」とされるなどしました。
『酒の伝説』(朱鷺田 祐介 著)では、古今東西の酒にまつわる逸話や伝説を集め紹介しています。今回はその中から、蒸留酒の一種「ウォッカ」についてお話します。
目次
ウォッカってどんな飲み物なの?
スピリッツの例にたがわず、ウォッカもまた錬金術の産物である「生命の水」(アクア・ヴィタエ)から発した名前である。ロシア古語で「ジーズネン・ヴァダー」といい、この後半がなまって「ウォッカ」となった。 『酒の伝説』p.248ウォッカはロシア語で「水」を意味する言葉に指小辞(縮小語尾)がついたもので、ポーランド語では「ヴォトカ」といいます。
日本でウォッカといえば特定の酒を意味しますが、ロシアや旧ソ連では蒸留酒のことを広く「ウォッカ」と呼ぶ場合があります。日本語の「酒」という言葉が、アルコール全般を意味する場合と、日本酒のことを指す場合があるのと同じですね。
ウォッカにもいくつか種類があります。一般的なドライ・ウォッカの他、ズブロッカ草を入れた「ズブロッカ」や、ポーランドで生産され、アルコール度数が96度もある「スピリタス」などは、お酒を飲まなくても名前を聞いたことがあるという方も多いのではないでしょうか。
またウォッカの銘柄にはユニークな名前のものがいくつもあります。黒沢明監督の映画『七人の侍』にちなんだ「セブン・サムライ」や、ちょっと変わったところでは「ブラック・デス」(黒死病)、「ヴァンパイア」(吸血鬼)などと名付けられたものもあります。
ロシアではストレートで飲みますが、欧米ではカクテルに用いられることが多いのもウォッカの特徴です。本書の中からウォッカを使ったカクテルの作り方をご紹介しましょう。
ウォッカ・カクテルとして有名なブラディ・マリーは、本格的なレシピで造る場合、「スピリタス」を「クラマト」(アサリのだし汁を入れたトマトジュース)で割り、これに胡椒とタバスコを垂らす。 『酒の伝説』p.253ウォッカの酒精は40度がよいと導き出したのは、周期律に関する論文で有名なメンデレーエフとされています。彼は、ウォッカの製造技術向上と品質管理の推進を目指して1894年に設置された「技術推進委員会」の委員長となると、委員会の中で次のような報告をしました。
「ウォッカのアルコール度数は40度が最適であり、このときに不純物は除去され、生化学的にも優れ、身体のオーガニズムにとっても快適である」 『酒の伝説』p.253もっとも、このエピソードは伝説にすぎないという研究もあるようです。
ウォッカの歴史①ロシアとウォッカの深いつながり
ここからはウォッカに関するロシアの歴史についてご紹介しましょう。ウォッカの起源ははっきりしませんが、12世紀にはすでに、現在のロシアやポーランド一帯でウォッカの原型となる酒が飲まれていたようです。
元々ロシアでは蜂蜜酒やビールが飲まれており、モンゴル経由で蒸留技術が導入されてからは、この蜂蜜酒やビールを蒸留して最初の蒸留酒が作られました。
15世紀に即位したイワン3世によって、このウォッカの原型となるお酒の製造と販売が、初めて国家管理されるようになります。その結果、ロシアの財政の3割がウォッカでまかなわれることとなりました。
1533年には、モスクワに皇帝の居酒屋がオープンし、ウォッカの売買を役人が行うようになった。それらはやがて民間に委託されるが、そのたびに腐敗が広がり、自由化と統制が繰り返されるようになった。 『酒の伝説』p.251大航海時代になると製法に変化がみられ、麦やトウモロコシ、ジャガイモなどの蒸留物を使用するようになります。
さらに転機が訪れたのは18世紀です。蒸留したウォッカを8時間以上かけ、白樺の活性炭でろ過する製法が誕生しました。これにより、匂いやエグミの元になる成分が除去され、強くクリアな味を出せるようになったのです。この新しい製法は現代まで続けられており、 小麦やライ麦、ジャガイモなどを材料として発酵・蒸留した後、白樺の活性炭を使ってろ過することが一般的とされています。もっとも、最近では木炭以外のろ材を使用しているメーカーもあるようです。
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ウォッカの歴史②禁酒法がロシア国家の命運を握る?!
ここまでご紹介してきたように、ロシア人にとってウォッカは古くから欠かせない飲み物でしたが、歴史の中ではたびたび禁酒法も発令されています。禁酒法を出した最初のツァーリ(皇帝)は、ボリス・ゴドノフでしたが、16世紀末に即位すると、7年間という短い在位期間の中で国家騒乱にあい、憤死してしまいます。
第一次世界大戦が勃発した1914年には、ニコライ2世が禁酒法を発令します。禁酒法じたいは1925年に解除されるまで続きましたが、この間にニコライ2世はロシア革命で悲運の死を遂げ、ロマノフ朝も終焉を迎えました。
さらに近年ではソ連時代の1985年、ゴルバチョフによって「酔っ払いとアルコール中毒者追放に関する措置」と題する中央委員会指令が出されます。アルコールの生産量が削減され、価格も引き上げられましたが、密造酒が横行し、酒税の歳入が落ち込んだために財政危機を招くこととなりました。
このように、ロシアと禁酒法とはどうも相性がよくないようで、「ロシア国家の命運は、ウォッカに対する態度で決まる」という言葉さえあるといいます。 度重なる禁酒法の発令にもかかわらずロシアの人々はアルコールが好きで、その消費量は世界一とされる程です。みなさんもウォッカを飲むことがあれば、今回ご紹介したようなロシアの歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
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