2020年はうるう年。2月29日がある4年に1度の年です。
ところでこの「うるう年」、必ず4年に1度あるわけではないというのはご存じですか? 今日はちょっと複雑なうるう年の計算方法や歴史をわかりやすくご紹介しましょう。
目次
2020年=うるう年 うるう年の計算ルール
2020年はうるう年。では次のうるう年はいつでしょう?
*「うるう年」計算ルール*
①西暦の年号が4で割り切れる年が「うるう年」。
②ただし、西暦年号が100で割り切れるが400では割り切れない年は平年。
基本的に、西暦の年号が4で割り切れる年はうるう年となります。
ただし例外があります。西暦の年号が100では割り切れるが、400では割り切れない年はうるう年にはならない(=平年)のです。
例を挙げてみましょう。
・2020年……4で割り切れるのでうるう年。
・2000年……4で割り切れる。100でも400でも割り切れるので、うるう年。
・2100年……4で割り切れる。100でも割り切れる。しかし400では割り切れないので、うるう年ではない。
近い年ですと、2000年はうるう年でしたが、1900年、2100年はうるう年ではありません。
この例外ルールは100年単位でしか考えなくてよいものですので、基本的には「4で割り切れる年」または「夏のオリンピックが開催される年」などと覚えるとわかりやすそうです。
うるう年の謎を解け! ユリウス暦とグレゴリオ暦
では、どうしてこのようなうるう年のルールが定められているのでしょう? その謎を解く鍵は暦の歴史に隠されています。
カエサルの時代以降、ヨーロッパ(古代ローマ)ではカエサルの名を冠した「ユリウス暦」という暦が使われていました。ユリウス暦は地球が太陽の周りを回る周期(=太陽年)をもとにした太陽暦です。当時の観測では太陽年は365.25日で、1年を単純に365日とするとずれが生じるため、4年に1度うるう年を設けて調整するようにしていました。うるう年という概念は実に2000年以上も昔から考案されていたのですね。
ところが当時の観測技術には限界があり、実際の太陽年との間にわずかな誤差が生じていました。ユリウス暦は16世紀まで使われ続けましたが、1600年以上も経つと積もり積もった誤差は10日以上にもなり、キリスト教の行事や生活にも影響が出始めます。
そこで1582年、ローマ教皇グレゴリオス13世は「グレゴリオ暦」という新しい暦を制定しました。グレゴリオ暦ではまず、誤差の分の10日間を暦から削除し、1582年10月4日の翌日を10月15日と定めます。続いてうるう年のルールに現在の例外規定を設け、暦と実際の太陽年との誤差が広がるのを抑えることにしました。
こうして作られたグレゴリオ暦は現在も世界中で広く使われ続けています。うるう年計算のルールには、先人たちの知恵と工夫が込められていたのです。
陰陽師が編纂! 2020年につながる日本の暦の歴史とは
ところで日本は昔、現在とは異なる「旧暦」を使用していたという話を聞いたことはありませんか? 昔の暦とはどのようなものだったのでしょう?
古代日本では中国から暦本を輸入し利用していましたが、遅くとも6世紀には作暦の技術が伝わり、国内で暦を作るようになります。といっても、中国から伝来した暦の計算方法を利用し、うるう月を設けて暦と季節を合わせたり、図表にして暦注を付けたりするという仕組みです。最初に使われたのは「元嘉暦」という暦で、その後も時代に合わせて度々新しい暦が中国から導入されました。いずれも太陰太陽暦といって、月の満ち欠けがもとになっています。
暦法
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読み
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使用期間(西暦)
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特徴
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元嘉暦
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げんかれき
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6世紀頃~
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朝鮮半島経由で宋から伝えられた中国暦
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儀鳳暦
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ぎほうれき
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690年~
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中国暦。最初は元嘉暦と併用し、697年~単独使用
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大衍暦
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たいえんれき
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764~861年
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中国暦
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五紀暦
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ごきれき
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中国暦。大衍暦と併用し、単独では使われていない
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宣明暦
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せんみょうれき
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862~1685年
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中国暦
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貞享暦
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じょうきょうれき
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1685~1755年
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初めて日本人が編纂した暦
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宝暦暦
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ほうりゃくれき
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1755~1798年
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寛政暦
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かんせいれき
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1798~1844年
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西洋天文学が採り入れられる
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天保暦
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てんぽうれき
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1844~1872年
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暦の作成は
当時、暦を配布することは天皇の特権とされていました。ところが暦を書写する紙は貴重品であり不足することも多かったため、9世紀頃には儀式が簡略化され始めます。とはいえ暦は生活に欠かせないため、裕福な貴族は自分で紙を調達し、非公式に陰陽師に書写させるようになりました。
その後、11世紀になると賀茂氏一族が暦道を独占したため競争が起こらなくなり、暦学はすっかり停滞してしまいます。当時使われていたのは「宣明暦」という暦でしたが、なんと江戸時代まで800年もの間、改暦されることなく使われ続けたのです。
江戸時代になるとやっと改暦を行おうという機運が高まり、1685年、渋川春海という人物が新しく「貞享暦」を作成します。これが初めて日本人が編纂した暦です。江戸時代にはその後も度々改暦が行われています。
やがて明治時代に入ると欧米に合わせたグレゴリオ暦が採用され、日本独自の暦は「旧暦」と呼ばれて日常生活ではあまり使われなくなっていきました。
普段何気なく使っている暦ですが、実は先人たちの工夫や知恵が詰まった素晴らしいシステムだったのです。
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