ディストピアSFとファンタジーの関連、その魅力について、なにか書いてほしいという依頼があった。私はいくつかのディストピアSFについて思い返した。こうしたものに触れた当時は、自分が十代だったこともあって、それなりに熱中した覚えがある。いくつか選んで、もういちど鑑賞してみた。
もちろん楽しかったが、ディストピアSFというジャンルそのものに、以前ほどの説得力がないようにも思った。というのは、いままでに作られたあらゆるディストピアSFが、こんにちの状況をあまりにも的確に言い当ててしまっているからだ。クリーンインストールしたOSでGoogle Chromeを起動したままボイスチャットで犬の話をすると、広告に犬のおもちゃや餌などが表示されるのは、有名な話である(※1)。ビッグ・ブラザーはアルゴコリズムではなく人力で動いていたわけだから(※2)、現状のほうがよっぽど高度な監視といえる。わたしたちの国の民主主義は華氏451度で燃えていることだし(※3)、身に覚えのない未来の犯罪で逮捕される日も、もうすぐだろう(※4)。
そうしたときにディストピアSFを鑑賞することは、すでに起こってしまった非常事態のサイレンを聞くようなものだ。もちろん作品それ自体を楽しむことはできるが、わたしたちの住んでいる島国で、実際に魔晄炉が爆発してライフストリームが垂れ流しになっているとき、平静な心で作品を楽しむことはむずかしい(※5)。
つまりディストピアSFには分断や有事を強調する力はあるが、そうなってしまったときの回復の手段を提示する力がない。その意味でこのジャンルは制限的である。「よりよい世界を作りましょう、こうならないように頑張りましょう」という絵面を提示してくれはするが、どうすればよりよい世界を作ることができるのか、どうすれば誤りに陥らずに済むのかについては、しばしばお座なりにされる。このジャンルの作品においては、すでに核爆弾は落とされたあとであり(※6)、資本主義は暴走してしまったあとなのだ(※7)。そうなってしまった世界においてなお登場人物が人間性を模索する姿に(※8)、われわれは感動することができるけれども、それ自体が起こらなければよかった物語であることにはちがいない。
それでは、ファンタジーのほうはどうだろう。私はいくつかの作品をもういちど鑑賞し、あらためて驚かされた。べつにグリフィンドールに入寮したわけではないが(※9)、こちらのほうがよっぽど人間の本質を突いているように思ったのだ。架空の生物やおとぎ話、魔術といったものに彩られた世界ではあるが、「人間」はべつにそうしたものをうまく使いこなせているわけではない。むしろそうした力はしばしば濫用され、尊き力が穢らわしい目的のために用いられている。また、多種多様な種族が登場するが、種族間の諍いは絶えない。たいていの場合において、どこかの国がどこかと戦争中である。
一般的なファンタジーの世界では、未来ではなく過去に焦点が当てられているために、私たち人類が乗り越えなければならなかったさまざまな禍根が、より生々しく描かれている。差別や虐殺、分断や戦争といったものが大きな悩みだった時代がモチーフになっているから、説得力がある。私は百年の静止に閉ざされた王国を救い(※10)、世界の喉でドラゴンのことばを学び(※11)、猫の目をもつ忌まわしい怪物として蔑まれたが(※12)、こうしたことは事実、なんども起こってきたし、そのたびに私たちは解決法を見いだしてきた。
この意味で言えば、ファンタジーの世界はたしかに過去を語るものであるけれど、様子がおかしくなった世界をどのように救えばよいのかという示唆を、SFにくらべて、より具体的に与えてくれるものだと思う。困ったことになったら力を合わせて、火山の口に指輪を捨てにいけばよいのだ(※13)。
もちろん私たちは科学文明を推し進めて、ルーン文字やタロット・カード、占星術や錬金術に、私たちが期待していたような力がないことを明らかにしてしまった。しかしながら、そうしたものが研究された動機そのものは、じつに普遍的であり、世界中どこにいっても通じるものだ。恋人にかけられた呪い(それはじつはたんなる難病なのだが)を解きたかった、悪の帝王(それはじつはたんなる独裁者なのだが)を倒したかった、世界を救いたかった。こうしたことは私たちがつねに考えていることだし、これからも願い続けることだ。
アルゼンチンの作家、ホルヘ・ルイス・ボルヘスは(※14)、人間の心に真に訴えかける詩的比喩のヴァリエーションは12種類ほどしかないとし、この分類に入らない奇妙な比喩は忘れ去られるものだと断言した。物書きをやりはじめて15年、私もやっとこの原則を受け容れられるようになってきた。人類における人種、ある人種における顔のパターン、特定の文明がたどる道筋、ファッションの種類、物語の成り行き、語られ方、ぐっとくる台詞などは、みんなだいたい12種類だ。それ以上となると、なにか奇妙なもの、本道を逸れたものとして、一時的な関心を惹くことはあるが、結局は人々から忘れ去られる。
というより、どんな作品も人間の手によるものなのだから(近年あらわれるであろうビット文学についてはここでは言及しない)、人間の営みをぜんぜんまったく思い出させないような作品を物語に期待することはむずかしい。異世界ものでも、ハイ・ファンタジーでも、SFでもそうだが、あらゆる作品における世界にはやはり人間(あるいはそれに近い知性をもった種族)が住んでおり、彼らの心の動きや感情が物語を駆動する。
だからファンタジーやSFといったものは、舞台装置でしかないとさえ言える。そこで繰り返されているのは、煎じ詰めればじつに単純な心の動きなのだ。
もちろん、私たちは失敗作の社会に生きている(ディストピアSF)ので(※15)、時間がない(※16)。どれだけそこにいたくとも、私たちはある時点で劇場から去り、ふだんの生活に戻らなくてはならない。そのために、私たちのうちのほとんどのものの心は、未熟なままだ。私たちは魔術を習得し、世界をよりよいものにしていかなければならない(ファンタジー)。
文:藤田祥平
(※1)2018年4月にライブ配信されたYoutube動画。「Is Google always listening: Live Test」
(※2)『一九八四年』 (ハヤカワepi文庫) /ジョージ・オーウェル
(※3)『華氏451』/1966年/監督:フランソワ・トリュフォー
(※4)『マイノリティ・リポート』/2002年/監督:スティーブン・スピルバーグ
(※5)NHKが提供する原発事故のタイムライン情報。2011年3月11日の東電福島第一原発事故の発生から「88時間」を中心に、現在と「同じ時刻」の出来事を表示している。
(※6)『Fallout 3』(ベセスダ・ソフトワークス)のトレーラー映像。
(※7)『サイバーパンク2077』(スパイク・チュンソフト)のトレーラー映像。
(※8)『THX 1138』(1971年/監督:ジョージ・ルーカス)のトレーラー映像。
(※9)映画『ハリー・ポッターと賢者の石』(2001年/監督:クリス・コロンバス)の組み分けシーン。
(※10)『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』(任天堂)のトレーラー映像。
(※11)『The Elder Scrolls V: Skyrim』(ベセスダ・ソフトワークス)のトレーラー映像。
(※12)『ウィッチャー3 ワイルドハント』(スパイク・チュンソフト)のトレーラー映像。
(※13)『新版 指輪物語〈1〉旅の仲間』(評論社文庫)/J.R.R.トールキン
(※14)『幻獣辞典』 (河出文庫) /ホルヘ・ルイス・ボルヘス
(※15)Google検索。「日本人 労働時間」
(※16)Google検索。「日本人 睡眠時間」
Profile:藤田祥平
ゲーマーの文筆家、SF作家。著書に、FPSにのめり込んだ青春時代を綴った『電遊奇譚』(筑摩書房)、伝的青春小説の『手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ』(早川書房)がある。
https://shoheifujita.smvi.co/
ゲーマーの文筆家、SF作家。著書に、FPSにのめり込んだ青春時代を綴った『電遊奇譚』(筑摩書房)、伝的青春小説の『手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ』(早川書房)がある。
https://shoheifujita.smvi.co/