大正時代には、服装が洋風化するだけでなく、食文化にも現代とのリンクが見られるようになります。明治期にはすでにカレーライス、チキンライスなどが洋食屋で提供されており、大正の初めには日本人の舌に合わせた即席カレーの販売も始まりました。現在でいうカレーのルーのようなもので、お湯で溶いて利用します。家庭でのカレーライスの始まりです。食卓の洋風化が始まっていました。当然この流れはスイーツにも波及することになります。
この記事では、大正時代に愛されていたスイーツが、どんなものだったかご紹介いたします。現在でもおなじみの甘いおやつやドリンクが登場しますよ。
目次
アイスクリームは高級品! 大正期のスイーツライフ
開国によって、明治時代の日本にはたくさんの洋菓子が入ってきました。ビスケットやウェハースなどは、大正時代には一般市民にも親しまれています。ビスケットは、乾パンの代わりに軍人の携行食料として利用されたこともあります。ウェハースは明治後期に「乳児にも最適」と売り出したところ大好評を博し増産を重ねました。
チョコレートは明治時代にすでに日本で販売が行われていましたが、カカオ豆からチョコレートの製造ができるようになったのは大正時代になってからです。当初日本人の口にはチョコレートの苦味は合わないと言われたそうですが、滋養と風味の良さを売り文句に、少しずつ一般に浸透していきました。またキャラメルは従来のバラ売りのスタイルを見直し、ポケットサイズの紙箱に入れての販売が始まりました。するとその手軽さが受けて、原料のミルクが足りないほどの大評判となりました。「タバコの代用に!」という宣伝文句もあったそうで、当初は大人をターゲットにした広告が打たれていたのは意外な点だと言えるでしょう。
アイスクリームは当初高級品でした。米が一升(約1.5キロ)5銭の時代に1カップ10銭の値段がついています。しかし大正期になると製氷技術の発達に伴い、アイス売りが往来を売り歩くほど普及し、家庭でも卵と牛乳がたっぷり入ったアイスクリンが作られていたそうです。木桶にブリキの缶が入っている道具で、桶に氷、缶に材料を入れハンドルで缶をぐるぐると回し、急速に凍らせる方法で作られていました。
ハイカラな食べ物は次第に家庭でも楽しまれるようになっていったのです。
大正時代のおやつ 上流階級と庶民ではどう違う?
江戸時代から昭和に至るまでの東京の概要をまとめた『東京百年史』には、大正時代の菓子の代表格としてキャラメルとチョコレートが記してあります。しかし、こう断言するには都市部と農村部に大きな隔たりがありました。
外国人の多い地区では、大正7、8年ごろにはクッキー、プリンなどを食べていたハイカラな人たちもいました。なかでも、元藩主の家柄の大正元年生まれの令嬢は、クリスマスにワインを飲みながらケーキを食べてクリスマスパーティを行なっていたそうです。上流階級の話ではありますが、大正時代すでにクリスマスにケーキとともにパーティをするという文化を楽しんでいたことがわかる貴重な証言です。国家公務員の家庭でも、おやつにチョコレートやビスケット、カステラなどをよく食べていたという記録が残っています。
さて、一方の一般庶民、地方農村部に目を向けてみるとどうでしょうか。東京の下町の子どもにとって、キャラメルは簡単に買えるものではなく、遠足や特別なご褒美としてもらえる貴重なものでした。常日頃は駄菓子屋で1銭2銭を握りしめ、あんこ玉やハッカ、時にはラムネなどを楽しんでいたようです。
地方の五反百姓の家になるともっと素朴なものが普段のおやつでした。蒸したじゃが芋や時には煮干しを噛むだけのこともありました。お祭りの時に、落花生を水飴で固めた豆板を買うのが楽しみで、大切に少しずつかじって食べたのだという記録があります。野に出て桑の実やイタドリなどの木の実や植物をおやつにすることもあったようです。果物農家では、売り物にならない柿や梨などの果物はおやつとして口に入ることがありました。
そしてこの果物も、街中ではスイーツとして進化を遂げ始めるのです。
水菓子からデザートへ 大正時代のフルーツスイーツ事情
明治以前、柿や梨などのフルーツは「水菓子」と呼ばれ、種類も季節も限られていました。明治時代になって開国と同時に外国が原種の果物が入ってくるようになると、華族をはじめとする富裕な人々はこうしたフルーツを楽しむようになりました。当然、町の水菓子屋も今までとは違う試みを始めます。
海外のフルーツを取り扱うようになり、より身近にフルーツを楽しんでもらうために、フルーツパーラーを開業し始めました。まず、デザートに馴染みのある外国人居留地の近くで営業を開始し、やがて東京の街中でもフルーツパーラーが見られるようになります。ここでは果物を使った菓子や飲料などが提供されていました。
大正の終わり頃になると、現在でもおなじみの「フルーツポンチ」が誕生します。人気のカクテル「パンチ」に細かくしたフルーツが入っているデザートです。モダンボーイやモダンガールたちが楽しんでいたフルーツポンチは、いちごやりんご、パインアップル、桃などやわらかい果物を刻んで用い、それにカップ半分のぶどう酒、スプーン一杯のお砂糖を加えるのが大正流でした。
ライターからひとこと
西洋菓子をいち早く取り入れたハイカラな家庭では、ゼリーやクッキー、ババロアなどを作る母親もいたといわれます。都市部ではカフェやレストランが成長を続け、カレーライス・とんかつ・コロッケは大正時代の三大洋食と呼ばれ、ともに一般家庭の食卓にも普及していくこととなります。
また、すでに楽しまれていたコーヒーや紅茶の他に、飲用のココアも大正時代に発売されました。
その他に、カルピスもこの大正時代の発売です。乳酸菌と牛乳が主な原料のカルピスは、創業者がモンゴルで口にした乳酸飲料が体の回復に良い影響をもたらしたことをきっかけに開発されました。発売当時、整腸・滋養によい飲料として宣伝されています。チョコレートもそうですが、今まで日本人が見たこともない食べ物を販売する時には、まず健康に良いものだと勧めることも重要だったようです。
◎関連記事
大正時代のガールズ・ファッション解説 和服から洋服に着替えた女性たち
◎参考文献
『大正ロマン手帖』石川桂子 著(河出書房新社)
『大正期の家庭生活』クレス出版
『大正ロマン着物女子服装帳』大野らふ 著(河出書房新社)
『明治・大正くらしの物語 上巻』(KKベストセラーズ)
『記録を記憶に残したい大正時代』山口謡司 著(徳間書店)