「戦姫の履歴書」第2回は、日本の強い女性たちのご紹介です。
15世紀末、室町幕府の求心力低下により各地で戦乱が勃発。群雄割拠、混迷の戦国時代が幕を開けました。武器を手に戦ったのはなにも男性ばかりではありません。戦火から居城を守るため、女性も武器を取り戦うこともありました。武将の留守を守り、落ちゆく城と共に運命を共にした女性たちの話も知られています。しかし、基本的に彼女らが武器を取ったのは緊急時のみでした。
そんな女性たちとは一線を画し、幼い頃から軍学や武芸を修め、武将顔負けの活躍をした女武者たちの名をご存知でしょうか。
海に瀬戸内の姫将軍・鶴姫があり、陸に忍城防衛戦を戦い抜いた甲斐姫がいます。
今回も濃いキャラクターをご用意しました。
戦国の世に咲いた美しき2人の戦姫、さあプロフィールをのぞいてみましょう。
目次
三島大明神の申し子、瀬戸内の水軍大将・鶴姫
生没年:1526(大永6年)〜1543
出身:愛媛県 大三島
身分:
趣味:4歳から学んでいる軍学・薙刀
特技:小型船での朝駆け(奇襲攻撃)
性格:勇敢・一途
二つ名:三島大明神の申し子
悩み事:三島水軍の指揮官として最後まで大内氏と戦うつもりの鶴姫に対し、兄で神職の
鶴姫の戦支度:鶴姫には、特別な女鎧があつらえられていた。胸部に膨らみを持ち腰の部分にはくびれがある。この鎧には通常の2倍以上となる11枚の
鶴姫の大失敗:幼なじみで、三島城の陣代をつとめた越智安成とは三島水軍の再建のため協力し合う関係だったが、安成は大内氏の猛将
父亡きあと、成長した私が兄たちとともに三島水軍を率いるようになったのは自然なことでした。この大三島は瀬戸内の海運にとって重要な場所です。狙っている武将も多く、中でも守護大名の大内氏はこの大三島に深く執心しているようです。まだ当分私の仕事は水軍の指揮をとることでしょうね。
由緒ある神社の姫として生まれ、本当なら戦いに身を投じずに暮らす生き方もあったのだと思います。でも、父は私の好きなことを学ばせてくれました。兄たちに混じり、軍学や剣術も。体も大きく負けん気の強かった私には向いていたみたいですね。乗馬や薙刀、操船技術も三島の守り手として生きるためには必要なものでしたから、父には深く感謝しているのですよ。
でも、この戦乱が止むころには私も穏やかに家族が持てればいいと、淡い望みを抱いています。幼なじみの越智安成はゆっくり待っていてくれるようだから。それまで私は三島のために力を尽くしたいと思っています。三島大明神の定めたもうた運命のままに。
東国一の美女、忍城の姫将軍・甲斐姫
生没年:16世紀(詳細未詳)
出身:武蔵国(現在の埼玉県行田市)
身分:北条家重臣 戦国武将成田氏長の娘
特技:武芸一般
性格:負けず嫌い・冷静
悩み事:紆余曲折あり、秀吉の側室となったが、北条家の重臣を務めた成田家の所領を取り上げようという動きがあり心を痛めている。
甲斐姫の戦支度: 秀吉の小田原攻め、敵将は石田三成。忍城を守る甲斐姫にとっての大一番の一張羅は
甲斐姫の大失敗:甲斐姫を実子と分け隔てなく可愛がってくれた養母を謀反から守りきれなかったこと。裏切った浜田兄弟は生け捕って、首をはね仇は討ったものの悔しさは今も甲斐姫の胸に残り続けている。
思い出深いのは、忍城の防衛戦でしょうか。あの時私は、守備隊危うしとの一報を受け、兵200を率いて忍城持田口に駆けつけました。女の戦働きの物珍しさからか、「木曽の巴を捉えて妻にした和田義盛のように、甲斐姫を生け捕って妻に!」と敵に名乗りを上げた者がいました。侮られたものですね。つい笑いがこみ上げたことをよく覚えています。つがえた矢が、面白いほどするりと男の喉に突き立った瞬間の、我が兵の喝采と敵の戦慄。私の胸がぞくりとした瞬間でした。恐ろしさも何もなく、ひたむきに父より継いだ「浪切」と駆けたあのいくさ場を時に懐かしく思います。
私の人生は、それから一変しました。忍城は持ちこたえたものの、父は小田原で降伏し、私は秀吉の側室として召し出されました。幸い悪い扱いではなく、秀吉の息子秀頼の養育係も任されています。けれど、私の生家は今や勢力を失い、所領が危ういこともたびたびです。私が秀吉の側にいることでとりなせたことも多いようです。戦いとは、戦さ働きすることばかりではないと、この生き方をして知りました。この大阪で、成田家を守る。私の戦いは今も終わってはいないのです。
幼馴染の越智安成を戦いの中に失った鶴姫は、一度は敗北した大内氏に水軍を率いて再戦を挑みます。激しい嵐を味方に大内家の艦隊に夜襲を仕掛け、大内の軍を敗走に追い込んだのです。しかし、彼女は水軍大将としての仕事を終えると一艘の小舟を出し、そのまま入水して波間に消えたと伝えられています。一途な彼女の心は安成を追いかけていったのでした。
また、甲斐姫のその後についてはあまり定かではありません。秀吉の催した大茶会、醍醐の花見で姫のものと思われる歌が残されているほか、秀頼の娘
一騎当千の女武者巴御前や鎌倉幕府の支えともなった尼将軍北条政子など、広く知られた女丈夫の他にも、日本には知られざる強い女性がいました。男性の独壇場とも言える戦場で、自らの才覚を発揮し認められるのは容易ではなかったでしょう。彼女たちのプロフィールを通して、たゆまぬ努力を続けてきた彼女たちの日常が透けて見えるかのようですね。
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