現在放映中のアニメ「Fate/Grand Order -絶対魔獣戦線バビロニア-」。スマートフォンゲームの「FGO」を原作に、熱い展開で話題を集めています。
バビロニアといえば、野崎まど原作のアニメ「バビロン」も同じく放映中です。ふたつのアニメ奇しくも登場する「バビロン」「バビロニア」。
バビロンとは古代メソポタミアの都市の名前ですが、いったいどんな場所だったのでしょうか?
今回はタイムトラベルしたつもりで、古代都市バビロンの観光ツアーにみなさんをご招待しましょう。
目次
バビロニアってそもそもどんな歴史がある場所?
「バビロニア地方」「バビロン」と聞いても、どこにあったのか、どんな歴史があったのかパッと思い浮かびませんよね。
そこでまずは歴史を簡単に振り返ってみましょう。
*勝手に選定! 古代都市「バビロン」で起きたことBEST5!*
- ①ハンムラビ王がハンムラビ法典を編纂
- ②「バベルの塔」再建
- ③世界7不思議のひとつ「バビロンの空中庭園」建設
- ④バビロン捕囚が行われる
- ⑤アレクサンドロス大王がこの街で死去
バビロンは現在のイラク共和国首都バグダードから南に90kmほどの場所にあった都市の名です。世界史に詳しくなくても、バビロンで起きた出来事のいくつかはきっと聞いたことがあるでしょう。
バビロンが最初に繁栄したのは、「目には目を、歯には歯を」で有名なハンムラビ法典を編纂したハンムラビ王の時代です。王の死後はしばらくさまざまな民族の侵入に遭い、街は荒廃しますが、新バビロニア王国(カルデア王朝)が成立すると街も復興し、再び栄えはじめます。有名な「バベルの塔」が再建されたり、世界7不思議のひとつ「バビロニアの空中庭園」が建設されたのもこの頃です。またユダヤ王国から4万人以上もの捕虜を連行した悪名高き「バビロン捕囚」も行われました。
その後、バビロンはペルシア帝国の領土となりますが、紀元前331年にはアレクサンドロス大王の支配下に置かれるようになります。アレクサンドロス大王が亡くなったのもバビロンでした。
バビロンの街はその後次第に衰退してしまいましたが、19世紀から遺跡として発掘がはじまり、2019年にはユネスコの世界遺産に登録されました。
*バビロン簡易年表*
古代都市バビロンをめぐるツアー
それではいよいよ古代都市バビロンをめぐるツアーをはじめましょう。
バビロンの街の周りには濠が掘られ、分厚い城壁がそびえ立っています。ビザンチンのフィロンという人物の記録によると、城壁は周囲が66km、高さは24mもあり、壁の上を4頭立ての戦車が4台並んで走れるほど広かったといいます。
この城壁について、フィロンはアッシリアの女王セミラミスが建設したと記していますが、実際にはもっと後の時代、新バビロニア王国(カルデア王朝)のネブカドネザル2世だろうといわれています。
街の中に入ってみましょう。入口には9つの門が設けられています。このうち戦争の女神イシュタルに捧げられた「イシュタル門」は高さ約12mあり、竜や牡牛などの動物が彩釉レンガ(レンガに釉薬を塗り加工したもの)で表現されていました。
街の中心にはユーフラテス川が北から南へ流れ、街を二分しています。メインストリートは「行列通り」と呼ばれ、長さ900m、幅20mもある舗装道路です。
街の名前の「バビロン」とはギリシア語で「神の門」という意味で、その名の通り、街の中にはたくさんの神々の神殿が設けられていました。最盛期には神殿が53、礼拝所は合計950以上、神々の祭壇も400ヶ所もあったといわれています。
バビロンで外せないオススメ観光スポットをご紹介しましょう。
①エテメンアンキのジグラット
……いわゆる「バベルの塔」で、街の中心部にそびえています。
②エサギラ神殿
……バビロニアの守護神マルドゥクの神殿です。バベルの塔の南にあります。
③空中庭園
……世界七不思議のひとつに数えられている立派な人口庭園で、街の中心を流れるユーフラテス川の近くにあったと考えられていますが、発掘調査が行われていないためはっきりしていません。
……いわゆる「バベルの塔」で、街の中心部にそびえています。
②エサギラ神殿
……バビロニアの守護神マルドゥクの神殿です。バベルの塔の南にあります。
③空中庭園
……世界七不思議のひとつに数えられている立派な人口庭園で、街の中心を流れるユーフラテス川の近くにあったと考えられていますが、発掘調査が行われていないためはっきりしていません。
この他にも王宮や聖域など外観だけでも見て回りたい場所はたくさんあります。ユーフラテス川をのんびり遊覧するのも素敵ですし、せっかくですので美味しいものも食べたいですね。
次項からはオススメ観光スポットのうち、バベルの塔と空中庭園についてもう少し詳しくご紹介しましょう。
バビロニアに実在した! 「バベルの塔」とは?
「バベルの塔」は、「旧約聖書」に登場する建物として有名です。旧約聖書の内容を簡単にご紹介しましょう。
その昔、全ての人々はひとつの言語を話していました。人々は石の代わりにレンガを、漆喰の代わりにアスファルトを手に入れ、技術を進歩させていきます。しかしその反面、次第に傲慢になり、天まで届くバベルの塔を建設して神に近づこうとしました。それを見た神は怒り、人々の言葉を通じなくさせた上に各地に離散させ、塔の建設を断念させました。
この物語のもとになったとされるのが、バビロンにそびえていたエテメンアンキのジグラットです。エテメンアンキは「天と地の家」、ジグラットは「神殿の塔」という意味で、天の神と人間とを結ぶ重要な場所だったといわれています。
エテメンアンキは古バビロニア時代に建設された後、新バビロニア王国時代に再建されます。現在残されている遺構は再建された後のもので、発掘の結果、一辺が90mあり、塔の内部は日干しレンガ、外部は焼きレンガで仕上げられていたことがわかっています。また、階層別に彩色され、美しい装飾が施されていたという説もあります。
世界七不思議のひとつ! 新バビロニア王国の空中庭園
空中庭園は新バビロニア王国のネブカドネザル2世の治世(紀元前605年~紀元前562年)に建設されました。当時のバビロンは緑が少ない国でしたが、メディア王国(イラン高原にあった同盟国)から嫁いできた王妃アミティスのために、自然豊かな彼女の故郷に似せて造らせたといわれています(異説もあります)。
発掘調査が行われていないため、正確な場所も、どんな構造だったのかも不明ですが、古代の著述家たちの残した史料によると次のような場所だったのではないかと考えられます。
庭園は石造りの柱で支えられ、何層にも重なるバルコニーが張りめぐらされています。バルコニーはシュロの木でできた梁の上に大量の土を敷いて造られ、さまざまな樹木が植えられているだけでなく、人が歩けるようにもなっていました。「空中庭園」という名は、このバルコニーに植物が植えられている様子が空中からつり下げられているように見えることから付いた名だといいます。
植物に与える水はユーフラテス川から導水管で引き込まれ、大型水車でフロアの上まで汲み上げられた後、各階層の水路を伝って供給されたと考えられています。
日射しの強いバビロニアでは、こうした緑豊かな環境は貴重であり、王たちの憩いの場となっていました。
空中庭園に限らず、現在発掘でわかっているバビロンの姿は、新バビロニア王国(カルデア王朝)の時代のものがほとんどです。それもまだ発掘途中であり、古代の著述家たちが残した史料も矛盾があったりして、正確なところはわかっていません。バビロンはそんなところもまたロマンをかきたてる、素敵な古代都市なのです。
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