イラスト:景
☆ポルタ文庫2019年10月12日刊行『松山あやかし桜 坂の上のレストラン《東雲》』の作者、田井 ノエル先生による書下ろし番外編です☆
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隠しメニュー「お母さんみたいなオムライス」
「
真砂の手元で火にかけられているのは、オムライス用のチキンライスであった。きちんと全体に火が通るようにライスを木ベラでフライパンに押しつけ、ひっくり返すをていねいに行っている。
その過程の一つが気になって、千舟は両目を見開き、手元にメモを用意した。
「真砂さん、今、なにを入れたんですか?」
千舟はこのレストラン東雲で、アルバイトとして働いている。同時に、真砂から料理を教わる身でもあった。調理中の動きはできるだけメモに残しておきたい。
調味料くらい聞く権利はある。
「え? ああ……味をまとめるために、出汁醤油を少々。ケチャップだけでは、味が濃くてキツめになっちゃうんですよね」
真砂は温かい陽射しのように笑いながら、千舟の疑問に答えてくれた。
千舟は一言一句漏らさずメモをとる。
「なるほど、洋食に醤油ですか。盲点です。それであんなにやわらかい味になるんですね。納得しました。で、真砂さん。出汁醤油はどのくらい入れるんですか? タイミングは?」
千舟が矢継ぎ早に聞くので、真砂は少々気圧された様子で苦笑いした。
「千舟さん、おちついて」
「あ、すみません……」
いつの間にか、前のめりになっていた。
千舟は恥ずかしく思いながら、姿勢を正す。こんな聞き方をしなくとも、真砂はきちんと教えてくれるのだ。あわてすぎたかもしれない。
「適当です」
「へ?」
しかし、真砂の言葉に間抜けな返事をしてしまう。
「適当、ですか?」
「はい」
真砂は笑顔だった。
千舟は真砂の顔を、じっとながめる。睨んでいるかもしれない。そのせいか、真砂が困ったように、眉を寄せてしまった。
「レシピはないんですか?」
「あまり、レシピ通りに作るのは得意じゃなくて。僕は用意していないですね」
真砂は残念そうに首を横にふった。
「でも、真砂さんのお料理は味にブレもないし、とても安定しています」
「そう言っていただけるのは、ありがたいですね」
真砂は千舟と話しながらも、オムライスを手早く完成させる。
皿の上に、薄焼きの卵に包まれたベーシックなオムライスがのっていた。ケチャップベースのソースが情熱的に輝き、食欲をそそる。
「味はそのときによって変化して当たり前ですから。きっちり計量していても、多少のズレは生じます」
「たしかに……」
真砂の説明に、千舟はうなってしまう。
千舟はいつも調味料を計量して料理を作っていた。毎回、同じなのだから同じ味になるはずだ。
けれども、真砂が言っている内容には、覚えがあった。
考えてみれば、調味料のメーカーの違いによっても味は変わる。
野菜やお米だって、農家や産地、時期によって味わいが違う。魚や肉も脂の乗り方は一定ではないのだ。
計量したところで、味が同じにならないのは当たり前である。それにあわせて、調味料を自分の「舌」で調整する必要があるのだ。
「早めですが、千舟さんのまかないも作りましたよ」
つい考えこんでしまった千舟に、真砂は笑いかけた。
「オムライスでいいですか?」
そう言いながら、真砂は千舟の前にもう一枚お皿を置いた。お客さんに提供するオムライスとは別に、千舟の分も用意してくれたのだ。
「ありがとうございます!」
千舟は嬉しくなって、表情を明るくした。
急いで、客席までオムライスを届ける。そのあとで、自分のオムライスをじっくりと観察した。
ケチャップソースのかかったベーシックなオムライスだ。ライスがしっかりと卵に包まれている。焦げ目は見当たらず、お月様のように綺麗な色だった。
「いただきます」
食べる前は、両手をあわせて目を閉じる。
スプーンで卵を割ると、トマト色をまとったライスが現れた。一粒一粒が立っており、満遍なく味が行き渡っているのがすぐにわかる。卵も薄焼きだが、半熟部分がライスにからまっていた。
口に含むと、パラパラのライスが口の中で踊る。しっかりと味がついているが、ケチャップの酸味は強調されていない。ほどよく丸みのある味つけである。真砂が入れた出汁醤油がいい仕事をしているのだ。
シャキシャキとした食感を残すタマネギや、ピーマン、パプリカの存在感がなんとも言えない。
「とっても、美味しいです」
食べてよかった。そう思える味だ。
真砂の料理は、いつだってそうだ。
ちょっぴり懐かしくて、優しい気分にさせられる。
「真砂さんの料理、なんとなく……お母さんみたいです」
つい、言ってしまった。
すると、真砂は表情を少しだけ曇らせる。真砂がこんな表情をするのは珍しい。
千舟はあわてて、言い換えようと試みた。
「す、すみません。これは、その。喩えなんです! 決して、真砂さんの料理がプロっぽくないとか、そういうわけじゃないんですよ!」
必死で弁明しようと試みた。
プロの料理人が、「お母さんみたい」と言われても嬉しくないだろう。真砂を困らせてしまったと、千舟は反省する。
けれども、真砂はそんな千舟の気を紛らわそうとしてくれたのか、ニコリと表情を作りなおした。
「そんなの、あたり前田のクラッカー! ですよ! 千舟さんが、そんなつもりで言ったわけじゃないって、僕はわかってますから」
ニコニコと、爽やかな笑みだった。
その表情から、真砂が本当に傷ついていないというのが、伝わってきた。
「あたり前田の……クラッカー……?」
だが、千舟は会話の内容よりも、単語に引っかかってしまった。
真砂は何気ない顔で、次の料理にとりかかっている。千舟はこっそりと、ポケットに入れていたスマホで、単語検索をした。
あたり前田のクラッカー。昭和三十年代のギャグである。このフレーズのCMが流行したらしい。
やっぱり……。
「真砂さん……そういうところ……」
どうして、この人。こんなナチュラルに昭和ギャグが飛び出してくるのだろう。時代は平成も終わって、令和だというのに……千舟は「はあ」と息をついて、頭を抱えた。
「どうしました? 千舟さん?」
「なんでもないです……」
指摘すべきか、せざるべきか。
悩みながら、千舟はオムライスを完食した。
『松山あやかし桜 坂の上のレストラン《東雲》』
著者:田井ノエル
イラスト:景
定価:本体650円(税別)
不思議で美味しい松山・飯テロ物語
愛媛県松山市、ロープウェイ街。ここは、あやかしが人間社会に溶け込むように暮らす特別な場所。
逢魔町とも呼ばれるこの土地で、誘われるように横道に迷いこんだ千舟は、一軒の風変わりなレストランを見つける。
迎えてくれたのは、袴姿のイケメン料理人・真砂。
彼が作る特製オムライスの味に感激した千舟は、自分を雇ってほしいと真砂に頼みこむが、
実はこの《東雲》、あやかしばかりが訪れる店で……!?
小さな十六日桜の木があるレストランを舞台に、千舟とあやかしたちの出会いを描く、
ハートフル飯テロ物語。絶品洋食と松山名物が、あなたのお越しをお待ちしています!