イラスト:冬臣
☆ポルタ文庫2019年10月12日刊行『真夜中あやかし猫茶房』の作者、椎名 蓮月先生による書下ろし番外編です☆
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重なる面影
荷物といっても、おもに衣類や学用品、それ以外はアルバムや両親の形見になりそうないくらかの私物だけだ。大型家具は処分したし、両親の衣類やその他の日用品などは、両親の同僚に委ねた。
連休の半ばに送られてきた荷物は、夜になってから二階へ運び込んだ。最初に寝た和室は、これまでは仮の住まいという感覚だったが、荷物をあけて衣類など取り出していると、自分の部屋になるのだな、と思えてくる。
「机と椅子もあったほうがよくないか?」
荷物を運び込むのを手伝ってくれた進次郎が、どっかりと畳に座りながら言った。進次郎が運び込むのを手伝うと前もって言ってくれたので、夜になるまで荷物は店内に置きっ放しだった。連休中だがきょうは日曜で、みかげ庵は休日なので都合がよかった。
「あったらうれしいですけど、宿題をするくらいなら、台所のテーブルでもかまわないですよ」
孝志はさほど勉強熱心ではない。授業をちゃんと欠かさず聞けば、試験はなんとかそこそこの点数は取れる。宿題はきちんと消化するが、それ以外の勉強をわざわざしないし、したいとも考えてはいない。だが、大学に行くならお金のかかる私立は避けてほしいと進次郎が言うので、少しは勉強をしたほうがいいのかな、とは思っている。
「お兄さんは、僕が勉強をしたほうがいいと思いますか?」
衣類をぜんぶ出した段ボール箱を解体しながら、孝志は訊いた。すると進次郎は妙な顔をした。
「いや……したいなら、すればいい」
「でも、大学へ行くなら公立にしてほしいと言ってなかったですか」
「そりゃ、私立よりは学費が安いからな」
進次郎はなんとなく、困ったような顔をした。
この兄がわりとお人好しなのは孝志も察していた。何せ、突然現れて弟だと名乗った孝志の同居を快諾したのだ。
進次郎にも事情があり、孝志がいると都合がいいとしてもだ。自分が助かるのでありがたいとはつねづね思うが、進次郎に危機感があまりないような気も、同じくらい頻繁にしていた。
「だけど、べつに勉強をしろと言うつもりはない、……俺が言われるのがいやだったからな」
進次郎はちょっと笑った。「じいさんは、俺に本を読めとは言ったが、勉強をしろとは言わなかった。うるさかったのは母さんだな」
「世の母親はそういうものかと思います。僕の、……お母さんも、たまに言いましたから」
自分の母の話をするのは、なんとなく気が引けた。孝志の母が父を迎えに来たから、父はこの家から去ったのだ。そして、進次郎と、進次郎の母は取り残された。
「君のお母さんは
「はあ……」
孝志は、次の段ボール箱をあけ始めながらうなずいた。
孝志も今はそのあたりの事情はのみ込んでいる。事件に巻き込まれ記憶喪失になっていた父が、「泉」と母の名しか憶えておらず、それを名乗ったと誤解されたのか、あるいはほかにとっかかりもないからか、父はこの家でイズミと呼ばれていたのだ。
「きれいなひとだった。一度しか会ったことはないが……」
ガムテープをばりばりと剥がしていた孝志は、なんとも言えなかった。母がきれいかそうでないかではなく、進次郎にとって、母は父を奪った存在なのではないかと懸念したからだ。何を言えるはずもなかった。
「お母さんの写真はないのか」
進次郎は何故かそんなことを言った。孝志が父の息子であると証明するために、進次郎には父だけが写っていた写真を見せた。母の写真は見せていない。
「都会的な美人だったから、客間に上がってきたとき、俺はそわそわしたぞ」
「都会的な美人……ですかね」
両親が亡くなったと聞かされてやっとひとつき程度だ。孝志は母の顔を思い出したが、そんなふうだっただろうか。
「お母さんの写真だったらアルバムにありますが……」
一応、家族の写真はすべて持ってきたはずだ。両親はデスクトップパソコンを使っていたが、その中に保存されたデータは、写真を含めてすべて外付けのハードディスクに移し、荷物のどこかに詰めてある。だがそれとは別に、写真店で現像した写真だけをおさめたアルバムもあるのだ。すぐに見せるならそちらだろう。
ちょうど、孝志があけかけていた段ボール箱は、重いものが詰まった小さめの箱だった。孝志の卒業アルバムや、家族用の住所録なども入っている。その中から孝志は、自分が生まれたときの写真が貼ってあるいちばん古いアルバムを取り出した。
「これ……」
表紙にはぬいぐるみのような動物の絵が描かれている、厚紙に貼りつけるタイプのアルバムを渡すと、進次郎は興味深そうに受け取った。
「へえ……ひとのアルバムなんて見るの、初めてだ」
子どものように呟きながら表紙をひらく。孝志の生まれたときの手形が圧された頁の次には、生後間もないころの写真が貼られていた。
「孝志くん、ちっちゃかったんだなあ」
進次郎は楽しそうに呟くと、また頁をめくった。それ以降は、孝志の保育園での運動会や、卒園式の写真などだ。卒園式には母が来てくれたので、母と写っていた。
「ずいぶんと神妙な顔をしているな、君」
それを眺めながら、進次郎はふふっと笑う。「驚いた」
「何がですか」
「ちょっと待っててくれ」
進次郎はそう言うと、アルバムを畳に置いて立ち上がった。何か気に障ることでもあったのだろうか。部屋を出て行く兄の背を見て、孝志は少しだけ、アルバムを見せたことを後悔した。
だが、しばらくして戻ってきた進次郎はニヤニヤしていた。
「これを見せたくて」
手にしていたものを孝志に差し出す。
「……えっ」
それは、孝志が渡したアルバムとよく似ていた。同じメーカーのものだろうか。やや古く、表紙に貼られた布は、背の部分が剥がれかけていた。
「お兄さんのアルバム……ですか? 僕が見て、いいんですか?」
「いいから見てくれ」
進次郎はまだニヤニヤしている。孝志はアルバムを受け取ると、表紙をめくった。孝志のものと同じように最初に手形を捺す頁があったが、白紙のままだ。それをめくると、写真が四枚、丁寧に位置を揃えて貼られている。
「わあ……」
写真の中の赤ん坊はころころしていて、笑っていた。とても可愛らしい。目の前にいる兄はちゃんとした大人で、長身なのに、こんなに小さかったのだ。
同じ頁には、赤ん坊を抱いた女性の写真もあった。それは孝志の夢に出てきたあの女性だった。本当にあれは進次郎の母だったのだと、孝志は知った。
「お兄さん、可愛いですね」
「赤ん坊のころは誰でも可愛いもんだ。君だって相当に可愛いぞ」
進次郎は肩をすくめ、胡座をかいた。しかしすぐ思い直したように身を起こし、アルバムを覗き込む。
「その次の頁を見せたかったんだ」
「次の……?」
孝志は兄の言葉に促されて頁をめくった。
アルバムは頁の両面に写真が貼られている。見開きには、子どもがきちんとした服を着ている写真がいくつか貼られていた。たくさん撮った中で選別して貼ったのだろう。子どもは、基本的に機嫌のよい顔をしていた。
「え……」
いかにも小学校の入学式、といったていの男の子が、きれいなワンピースを着た女性と、スーツ姿の父に挟まれて立っている。
その写真の構図に見憶えがあった。
「僕……じゃない、ですよね……」
孝志はまじまじとその写真を見つめた。
写真の中の子どもは、幼いころの孝志にそっくりだった。
進次郎が畳の上に孝志のアルバムを広げる。孝志の入学式の写真が貼られている頁だ。そこにはまったく同じように、両親に挟まれた孝志が、きちんとした服を着て立っている。
その顔と、進次郎に渡されたアルバムに貼られた写真の男の子は、うりふたつと言っていいほどに似ていたのだ。
「……びっくりです」
孝志はやっとのことでそれだけ言った。
「これで赤の他人のほうがおかしいな」
進次郎は笑った。「君が俺の弟なのはわかっていたが、このころだと双子みたいにそっくりじゃないか。今はこんなにも違うのに」
「はあ……そうですね……」
孝志はただただ驚くばかりだ。
母の友人や知人、仕事の同僚には、いつも「お母さん似ね」と言われてきた。実際、孝志もそう思っている。そして、進次郎には父の面影があると、初対面のときに孝志は思った。
だが、子どものころの自分と兄がそっくりだったのを目の当たりにして、孝志はひどく、心が揺さぶられた。
「君が父さんの手紙と写真を見せてくれたので、弟だとは疑いもしなかったが、こうして見ると、本当に俺たちは兄弟なんだな」
進次郎はしみじみと言いながら、アルバムにふれた。小学生の孝志の写真を、そっと指先で撫でている。
「きょうだい……」
呟くと、胸の奥底で、すとんと何かが落ちて、きちんとあるべきところにおさまったような感覚があった。
安心したのだ。
「本当に……なんだか、びっくりしました」
孝志は正直に言った。「その、……父親しか同じじゃないから、そんなに似てないだろうと思っていたので……」
孝志は物心ついたころから、父に、兄がいる、と聞かされてきた。孝志はだから、ずっと、どんなひとだろう、と思い描いていた。会いたい、と思うこともあった。いつか会いに行こう、とも。
両親を一度に亡くし、遠くへ行かなければならないとなったとき、父に言い聞かされていたのもあったが、そうした長いあいだの憧れもあったのだ。
「今はぜんぜん違うのにな」
進次郎はアルバムの写真を見て、孝志を見た。「孝志くんは本当にお母さん似だ」
「お兄さんは、お父さん似ですね」
「だな。……昔はそれがあまりうれしくなかったが……」
孝志の言葉に、進次郎は口ごもった。「今となっては、それでよかったという気がする。……俺が父さんに似ていれば、君にとって俺は、本当に兄だと思えるだろう」
「でも、僕は……もしお兄さんがお父さんに似ていなくても、僕のお兄さんだって思った気がします。家に、置いてくれてるし……弟だと認めてくれて……本当に、助けられてて……」
孝志の言葉に、進次郎は頭を掻いた。
「君はずいぶんと、その、幼いな。俺だったら、君くらいの年のころは、そんなふうに素直にものを言えなかったぞ」
兄が照れているのを、孝志は察した。これ以上は言わないほうがいいだろう。
「でも、僕はいいですけど、お兄さんにとっては、僕はあまりお父さんに似ていないので、弟とは思いにくくないですか?」
しかし気になっていたので尋ねると、進次郎はどことなくホッとしたように笑った。
「いや、君もなんとなく、父さんに似ている。顔より、俺が憶えている父さんの、少し影の薄い雰囲気が……」
「そうですね。お父さんはわりと影が薄かったです。僕もそうです」
それは孝志には聞き慣れている評だ。
「今さらだが……」
進次郎は、ちょっとだけおかしそうに笑った。「君が来てくれてよかった」
「えっ」
孝志は驚いた。目をしばたたかせて兄を見る。「僕、少しでもお兄さんのお役に立ててますか?」
「いや、そうじゃない。もちろんだいぶん助けられているが、……俺はずっとひとりっ子だったからな。兄弟がいるのも、なかなかいいもんだと思ってさ」
「そう言ってもらえるの、うれしいです。僕はずっと、……お兄さんに会いたかったから」
孝志は心の底から、告げた。
真夜中あやかし猫茶房
著者:椎名 蓮月
イラスト:冬臣
定価:本体650円(税別)
癒やしの猫カフェ、夜だけ営業中
両親と死別した高校生の村瀬孝志は、生前に父が遺していた言葉に従って、小野進次郎という顔も知らない異母兄に会いに行くことに。
鄙びた町で喫茶店を営む彼を訪ねた孝志を出迎えてくれたのは、一匹の白い猫だった――。
その後、なんとか進次郎と顔を合わせた孝志は、にわかには信じられない話を聞く。
なんと進次郎は“呪い” にかけられたせいで、満月の日以外、昼間は猫になってしまうのだという。
日中の進次郎のサポートと、夜だけ営業する猫と触れ合える茶房・みかげ庵の手伝いを条件に、
孝志は進次郎との同居生活を始めるが…。
人の想いが交錯する、猫と癒やしのあやかし物語。