作者:古瀬 風
創作者は往々にして孤独――なんて、主語を大きくして無責任に言えば、どこかしこからか「そうとは限らない」と反対意見が飛んでくるでしょうか。それはちょっと定かではありませんが、まぁ、大半の方は賛同してくれると信じております。
でなければ、今回の執筆は『創作者あるある』をテーマに引き受けたわけなのですけれども、出だしからその条件を満たしていないことになり、仕事としては不出来になってしまいます。
それじゃあ、自分も担当さんも困る。ですので、頭に『ちょっと孤独な』という言葉を付け加え『ちょっと孤独な創作者あるある』として、もっともらしいことを書いていきたいと思います。えぇ、これなら大丈夫。
▼孤独というデバフ
目の前にあるキーボードを軽く叩いて調べてみれば、そもそも孤独とは、一般的には他人との接触や連絡、関係がないこと、とされています。そう考えると、作品を通して色々な人と繋がることのできる創作者は、真に孤独な人間とは言えないのかもしれません。しかし、孤独を感じる瞬間は確実にあります。
おそらく、締切に追われている独り身、ひとり暮らし、フリーランスの創作者のほとんどは、だれかと直接的に接触するということはほとんどなくなると思われます。当然ながら、その締切に追われている状況が続けば続くほど、そういう機会が先延ばしになっていきます。まぁ、かく言う自分がそうです。
それじゃあ、締切から解放されればだれかと会うのか、というと、会わない場合がほとんどではないでしょうか。色々な理由があるとは思いますけれども――例えば、自分は『原稿のせい』でプレイできていなかったゲーム(今はSt●amのセールで100円かそこらで買った、光速の異名を持ち重力を自在に操る高貴なる女性騎士が主人公の有名RPG)をしたいがために、わざと電話に出なかったり、ラインを既読すらつけずにスルーしたり、Twitterでも忙しいふりをしたりと、とにかくひとりで趣味に勤しむ時間を作ります。
まぁ、それはそれで精神を安定させるという意味では、この上なく効果を発揮するわけですけれども……そういう状況が続きに続くと、少々面倒なことになります。
人間は利口なのか、そうでないのか、忘れる生き物ですから、人付き合いやお喋りが目に見えて下手になるのです。
▼有名人には迂闊に近づけない
真に孤独であるのであれば、特に問題はないでしょう。が、前述した通り、創作者は作品を通して色々な人と繋がることができる、というか、繋がることがあるのです。それは仕事上の繋がりだったり、作者とファンとしての繋がりだったり、コミュニケーションを取る瞬間がどうしてもやって来ます。そういう時、地味に困ります。特にフリーランスですと、そういった交流は営業にも繋がりますので、アイドルゲームではありませんが、バッドコミュニケーションを叩きだしてしまうと中々手痛いことになり得ます。
そして、それを考えた際に「そもそものコミュニケーションを最小限に抑えればいいのでは?」と、余計に孤独方面へと進んでしまいがちなのはあるあるかと思います。相手が有名人の類であれば余計にそうです。沼ですね、まったく。
自分の場合、小説家としてよりも、シナリオライターとしての側面が強く、声優さんの収録現場に立ち会ったり、関係者として各種イベントにご招待いただけることが多々あるのですが、その時の他の有名なクリエイターさんや声優さんなどに対しての「うわ、有名人だ……俺みたいな雑魚は近寄らんとこ……」といった、コミュニケーション弱者っぷりを発揮した話をTwitterで軽くつぶやいたりすると、必ずと言っていいほど冗談交じりに「本当に関係者なのか?」と感想をいただきます。が、ハッキリ言いますと、シナリオライターや関係者という大義名分があったとしても、そこで堂々とコミュニケーションを取れるのは、根っからのコミュニケーション強者か、孤独に染まり切っていない日向側の人間だけかと思います。ほとんどの『ちょっと孤独な創作者』は、それだけ自分の(ネットスラング的な意味合いでの)コミュ障っぷりを自覚しているのです。実際、シナリオライターの仲間内でもよく「挨拶ですら遠慮したり、躊躇することが多い」と話題に上がったりしますし、自分はその度に惜しい気持ちになったりします。
面倒くさい言い分かもしれませんけれども、孤独に耐性があるというだけであり、だれかと繋がること自体がイヤというわけではないのです。でなければ、作品をだれかに見てもらおうなんてことはしないのですから。
▼ひとり=他人のことはよく知らない
さて、ここまで短く、それほど為にならない『ちょっと孤独な創作者のあるある』を書いてきましたけれども、事前に言っていたように、これはもっともらしいことであって、他の創作者の共感を得られるようなあるあるであるとは限りません。
訝しく思うでしょう。ですが、自分は『ちょっと孤独な創作者』なのです。孤独の言葉的な意味を考えれば、他の創作者がどうこうなんて、これっぽっちも知る由もないのです。
結局、この記事は不出来、ということになり、担当さんを困らせることになるだろうなと思いつつ――自分は拙作である連載小説、手塚治虫先生原作、リボンの騎士&双子の騎士外伝『青いリボンと銀の髪』の次回原稿に対して「書き出しはどうしようかな」と、ちょっぴり切実な想いを馳せるのでした。
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