キャラ造形に頭悩ませる作家のみなさま、魅力的な女性をお探しの創作者のみなさま。
美しく、芯があり、聡明で、武にも秀で……、そんな夢物語のような女性たち。
いいえ、夢物語ではありません。彼女らは実在するのです。
「戦姫の履歴書」は古代から近現代に至るまで、美貌・知略・武勇を駆使して活躍した女性のプロフィールをご紹介いたします。いずれも歴史に埋もれず、後世も人を惹きつける魅力と強さを持ったすばらしい女性たちです。
キャラクターの肉付けに使うもよし、物語のヒントにするものよし。
あなただけの強いヒロインを作るための栄養素として、本連載は立ち上がりました。
キャラの魅力に富み、隆盛も凋落もバックグラウンドも極厚、とっておきの美女・烈女・猛女・男装の麗人を新紀元社のデータベースよりお連れしています。
剣を取り戦い、権謀術数の中に生き、一時代に燦然と輝いて、現代に名を残した偉大な戦姫たち。彼女たちを知り、創作に役立ててみませんか?
今回履歴書を大公開するのは、現在のシリアでかつて大帝国を築き上げた女王ゼノビアと、イタリア第一の女とも呼ばれた女君主カテリーナ・スフォルツァです。
兵を率い、戦いに身を投じた麗しの女性君主たちからは、どんなお話が聞けるでしょうか?
ローマに挑んだ砂漠の王国、パルミラの女王ゼノビア
名 前:ゼノビア(結婚前の名はバト=ザッバイ)
生年月日:3世紀の生まれ、詳細不詳
出 身:砂漠の隊商都市パルミラ(現在のシリア)
身 分:女王
容 姿:褐色の肌 大きな黒い瞳 真珠のような歯
クレオパトラの再来と謳われた絶世の美貌をもつ
特 技:騎乗・語学
(古代エジプト語・ラテン語・ギリシア語・シリア語・アラビア語
など数ヶ国語に堪能)
性 格:野心家。出陣の時の装束にはこだわりたいタイプ
アナトリア方面を攻めたときには、鎧装束に紫の衣
アンティオキアで戦った時には金の兜、宝石の鎧、真紅の上着 など
最近の大成功:シリア砂漠の小さな隊商都市だったパルミラを、中東・エジプト・小アジアまで版図拡大。絶大な力を振るっていたローマ勢力圏を奪取。女王を自称した。
将来の夢:強大なローマを打ち破り、「皇帝」として入城すること。パルミラの女王ゼノビアの威光を見せつけるため、ローマ市民さえ見たこともないような豪華な戦車を製作中。
悩み事:ローマに侵攻し、皇帝アウレリアヌスと戦う予定なのに、神託が凶兆。一度は領土としたエジプトや小アジア地方もローマが奪回に動き苦戦中。即位したばかりの新皇帝ながら、どうも今までの皇帝とは一味違う予感あり……。
わたくしは、ゼノビア。パルミラの執政官で、「諸王の王」を名乗ったオデナートの妻でした。彼亡きあと、息子と共同統治を行い、女王となって数年。今や、ローマ勢力圏だった中東・エジプトも小アジアもパルミラの支配下に。親ローマ派だった夫の治世では、こうはいかなかったでしょう。
わたくし自ら指揮したパルミラの重甲騎兵や伝統の弓術は、どこに行っても素晴らしい戦果をもたらしてくれました。
今やパルミラは大帝国。わたくしの横顔を刻んだ硬貨も鋳造されています。コインに「皇帝」と刻んだこの意味――。「わたくしの悲願」をお分かりいただけるでしょう?
次はいよいよローマ……。けれど、先ごろ即位したアウレリアヌスは、どうやら少し手強いようね。でもひるまない。こちらの計画通り、ローマ軍をアンティオキアまで引き込みました。やがてザブダ将軍の軍も合流します。決戦の時です。
わたくしはゼノビア、パルミラの女王。さあ、ローマよ、わたくしを待っていなさい。
イタリア第一の女、カテリーナ・スフォルツァ
名 前:カテリーナ・スフォルツァ
生年月日:1463年 詳細未詳
出 身:イタリア ミラノ
身 分:フォルリ伯爵夫人(イーモラ・フォルリの領主)
容 姿:ブルネット、ミラノ公家ゆずりの美貌
ルネサンス期の奸雄チェーザレ・ボルジアも虜に
性 格:恋には一途で大胆、勇猛果敢で強気な情熱家、一方で冷酷な一面も
特 技:啖呵を切る
将来の夢:スフォルツァ家の再興
悩み事:3回結婚したけど、男運が微妙
苦手なこと:領民への目配り
人生の大成功:夫が殺され、子どもたちも反乱者たちの人質に。子どもを盾に、立てこもる城塞を明け渡すように迫る彼らに、カテリーナは「子どもはここから何人でも作れる」と城壁の上でスカートをめくって一喝。目論見がはずれた反乱者たちは大混乱に陥り、援軍が来るまでのカテリーナの時間稼ぎは大成功。子どもたちは無事救出の上、無事領地も守り通した。
人生の大失敗:チェーザレ・ボルジアを迎え撃ったバルディーノ要塞での一戦。チェーザレを誘い込む、はね橋巻き上げ作戦は小心者の部下により失敗。すんでのところで、ルネサンス最高の謀略家チェーザレを捕虜にするチャンスを逃した。
今や私は神に仕える身ではあるけれど、かつての日々を思い返すことはよくあるの。
地方の豪族で、一介の傭兵からミラノ公爵にまで成り上がった祖父フランチェスコ・スフォルツァ。その勇敢さや心に滾る情熱は、確かにこの私、カテリーナ・スフォルツァの中にも息づいていたと言えるでしょう。
初めの結婚は14歳、それから3人と結婚して……、でもみんな頼りない男ばかり。私が剣を持って城塞に立てこもったのだって一度や二度じゃないわ。最初の夫ジローラモなんて、領地が奪われるのを、ただ指をくわえて見ているものだから、妊娠8ヶ月で兵の指揮をする羽目になったこともあった。枢機卿団にだってきっちり文句を言ってやったのにね、結局あの男のせいで台無し。こういうことがよくあったわ。
最後の戦いは、そうね。あのチェーザレ・ボルジアとの戦い。跳ね橋作戦さえ成功していれば、また違った道もあったでしょうにね。降伏して剣を置いた時の悔しさ、私は決して忘れない。危険、無謀? 腰抜けどもの遠吠えを聞かせないで。私はスフォルツァの娘。刀折れ、矢が尽きるまで、名に誇りと愛を抱き、私のままに生きただけ。そうね、私の心は、きっと息子ジョバンニが継いでくれるでしょう。
今は命の火が、絶える時を待ってるわ。以上よ、じゃあね。
後世の創作とも言われていますが、その後ゼノビアはローマに敗れ、黄金の鎖で戒められたまま自らの用意した贅を凝らした馬車でローマ市中を引き回され、その後はローマで静かに暮らすことを強いられたとも伝えられています。ちいさな砂漠の一都市から大帝国を築いた彼女の功績は、後世パルミラの遺跡から広く知られるところとなり、現在もシリアの紙幣には彼女の顔が刻まれています。
イタリアの女傑カテリーナ・スフォルツァの名は、近代に至ってもイタリアに深く根付いており、聞き分けのない子どもに「カテリーナ様がくるよ!」というおどし文句まであったそうです。美貌の女君主として名を馳せたカテリーナですが、実は領民からの評判はいまひとつだったのでした。
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