『源氏物語』や『枕草子』などを読んでいると、「物忌み」や「方違え」といったあまり聞き慣れない単語が登場します。いったいどういう意味なのでしょう?
今回は「物忌み」と「方違え」の風習をご紹介しましょう。
目次
物忌みと方違え①「物忌み」ってどんな風習?
「物忌み」の意味は時代によって異なります。
元来、「物忌み」には次のふたつの意味がありました。
・神を祭るにあたって斎戒すること。
・斎戒奉仕する人。
「斎戒」とは心身を清め、禁忌を守って飲食や言行を慎むことです。
やがて平安中期になると、陰陽道の影響を受け、物忌みの概念は次のように変化します。
*平安中期以降の「物忌み」とは?*
指定された期間、どこへも行かず、来客とも会わずに引きこもること平安中期以降の「物忌み」は、今風に言えば「指定された期間、引きこもること」です。
でも、なぜ物忌みが必要で、誰がその期間を指定していたのでしょう?
*物忌みが必要な理由って?*
・夢見が悪い。
・もののけ(心身の衰弱による不安感)に対処したい。
・穢れ(人畜の死や出産、罪悪、疫病)に触れ、その支配下に入ることを避けたい。
物忌みは夢見が悪かったり、何か不安なことがある、あるいは穢れを避けたい時などに行われます。当時の貴族たちはこうした出来事があると陰陽師に相談し、「悪い予兆だから物忌みするように」と判断されると、指示に従って一定期間物忌みを行いました。そうすれば身を守ることができると信じられていたのです。
物忌みと方違え②物忌み中に会話をしてしまった男の話
では物忌み中に禁忌を破るとどうなってしまうのでしょう? 『宇治拾遺物語』や『今昔物語集』には次のような逸話が残されています。
ある時、小槻茂助という算博士(今でいう数学教授)の家に、妙なお告げがありました。そこで茂助は高名な陰陽師に相談し、物忌みしなければならない日を教えてもらうと、その日は門を閉じて物忌みをすることにします。
実は茂助に悪意を抱く男がおり、隠れ陰陽師(呪いなどを行う民間の陰陽師)に依頼して死の呪いをかけさせていたのでした。隠れ陰陽師は、少しでも茂助の声を聞くことができれば呪いの印が現れると告げます。そこで男は隠れ陰陽師を連れ、茂助の家を訪ねました。
物忌み中だった茂助は当初、使用人を通じて断っていましたが、男があまりにしつこいため、つい引き戸から顔を出して会話をしてしまいます。隠れ陰陽師は茂助の声を聞き、死の呪いをかけました。すると茂助はひどい頭痛に悩まされ、3日で命を落としてしまいます。その後、茂助を呪わせた男も災いに遭って死んでしまったということです。
物忌み中は「どこへも行かず、来客とも会わずに引きこもる」という鉄則を守らないと、時にはこのように恐ろしい目に遭ってしまうこともあったのです。
物忌みと方違え③「方違え」って何をするの?
続いて「方違え」とは何かご説明しましょう。
*「方違え」とは?*
縁起が悪い方角を避けるため、別の場所に迂回して1泊し、翌日目的地へと向かうこと「方違え」は10世紀頃から行われていた風習で、方角の禁忌をやり過ごすため、縁起が悪いとされる方角を避けて別の場所(方違所)に1泊し、翌日そこから目的地へと向かうというものです。
たとえば東に行きたいが東は縁起が悪い場合、いったん北や南に1泊してから目的地へ向かえば、目的地は東ではなくなるため大丈夫だと考えられていました。
では、縁起が悪い方角はどちらなのか知るにはどうしたら良いのでしょう? その答えはずばり、「陰陽師に聞く」ということです。
平安時代の日本では、さまざまな神がさまざまな順に世界を巡っていて、その時々に神がいる方角が縁起の悪い方角だと考えられていました。そこで、陰陽師たちは何かを行おうとする年月日と当人の星回りを基に、西洋占星術でいうホロスコープのようなものを作成し、縁起の悪い方角を占っていたのです。
神々の中から代表的なものをご紹介しましょう。
*主な神々と縁起の悪い方角*
①天一神(てんいつじん)
・北極星の脇に位置する星神。
・60日周期で移動を繰り返す。最初の16日は天上で過ごし(この期間は万事が吉)、その後の44日は艮の方角(北東)から東→南東→南という風に時計回りに1周する。
・天一神のいる方角が忌方(縁起の悪い方角)となる。
②王相神
・五行思想、十干十二支、八卦などから割り出される諸相を神格化したもの。
・八節(立春・春分・立夏・夏至・立秋・秋分・立冬・冬至)ごとに忌方が決まる。
③大将軍
・金星のこと。太白(宵の明星)の精。別名「魔王天皇」。
・12年かけて四方を1周するため、3年間、東西南北の一方が忌方となる。
・大将軍の方角を犯した者は3年以内に命を落とすとされた。
この他にもさまざまな神がおり、それぞれ決まった周期で移動を繰り返しています。
方角の禁忌は大変複雑だったため、平安貴族たちは陰陽師に訊ねなければおちおち外出もできませんでした。
物忌みと方違え④平安貴族の常識! 方違えの呪文
方違所に宿泊する時には、定められた呪文を唱える必要があります。
*方違えの呪文とは?*
・方違えのために宿泊した場所で唱える。
・方違えをする神ごとに違う呪文があった。
・呪文は『口遊(くちずさみ)』という子ども用教科書に載っていた。
方違えの呪文は平安貴族にとって常識で、『口遊(くちずさみ)』という当時の子ども用教科書に掲載されていました。『口遊』は貴族の子弟のために文学者・源為憲が970年に著したもので、他にも九九や干支、夜道で死者に出会った時の呪文などがまとめられています。
*代表的な方違えの呪文*
①天一神の方違をする時
「大徳威徳功徳自在通王仏」
②太白神(宵の明星)の方違をする時
「一明心者/二明副者/万明心者/千万副者/急々如律令」
方違えの呪文は神ごとに異なります。残念ながら呪文の正確な意味はわかっていません。
なお、大阪の堺には方違神社という神社があり、ここに詣でれば方違えをせずに目的地へ行けるということです。
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平安文学の中によく登場する「物忌み」と「方違え」。当時の風習を学べば、よりいっそう理解が深まり、文章を楽しめそうですね。
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