Ⓒ2019 「HELLO WORLD」製作委員会
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「大きな物語」の象徴としての『最強マニュアル』
ここまで、『HELLO WORLD』が内包している典型的なポストモダン的要素をいくつか抽出して解説してきた。
では、一度冒頭でも述べた「大きな物語」の話に回帰してみようと思う。
本作全体を包み込む既視感のパッチワークが「大きな物語」なのではないかという仮説は冒頭にも示した通りだが、実は本作にはもう1つ重要な「大きな物語」たるモチーフが登場している。
それが2037年のナオミが所持している『最強マニュアル』である。
ナオミは頑なに直実に対してこのマニュアル通りの行動を心掛けるように忠告している。というのも彼にとってはこのノートが唯一信じられるものだからなのかもしれない。
この通りに行動すれば、直実は瑠璃と恋人関係になれるという筋道は絶対的であり、それ故に「大きな物語」としての機能を十分に備えている。
しかし、途中で古本市の一件があったり、結果的にその『最強マニュアル』では自分の望んだ瑠璃を取り戻すことはできなかったりしたことで、その「大きな物語」は脆くも崩れ去っていくのだ。
そこからは、直実とナオミが自分なりの「小さな物語」に基づいて、行動を起こしていくこととなる。つまり明確な行動規範に則って行動するのではなく、自分の信じる行動を取るということでもある。
その点で「大きな物語」亡き後の「小さな物語」を描いているわけで、ポストモダン的と言えるのではないか。
キミとボクの信じるファンタジーを現実に変えて
ここまで、3つの視点から『HELLO WORLD』がポストモダン的であり、「大きな物語」亡き後の「小さな物語」の台頭を描こうとしていることの裏付けとなる根拠を示してきた。
ここからは、最初にも示した今回の本論である既視感のパッチワークという点について改めて言及していく。
冒頭で私が示した仮説は、本作が既視感に満ちているのは、これまで描かれてきた物語に対して私たちの多くが共有している「イメージ」を「大きな物語」として位置づけ、そこからの脱却を描こうとしたのではないかというものだ。
そこで1つ注目してみると面白いモチーフは、本作のキーとなる量子記憶装置のアルタラだ。というのもこのアルタラは正式に綴ると「ALLTALE」であることが作中で明かされているのだ。
「ALLTALE」を直訳すると「すべての物語」ということになる。これは、ここまで繰り返し解説してきた「大きな物語」を思わせる名称でもある。
本作の結末は「ALLTALE(アルタラ)」が崩壊し、人類の手から解き放たれた先に、2つの新世界が誕生するというものであった。
これまでに語られてきた「すべての物語」たちを「ALLTALE」というモチーフに宿らせ、その既視感を超えた先に作品の結末を落とし込もうとしたということでもある。
こう考えてみると、「ALLTALE」という名称には実に必然性がある。
また、『HELLO WORLD』は世界観や設定こそサイバーパンクSFやVRMMOに近いが、その物語性はどちらかと言うと「セカイ系」と呼ばれる作品群に近いものがある。
「セカイ系」とは明確な定義こそ持たないジャンルだが、私たちが漠然とイメージとして共有している「大きな物語」の1つと言える。
「セカイ系」の代表としてしばしば挙げられるのが、新海誠監督のアニメ『ほしのこえ』、高橋しんのマンガ『最終兵器彼女』そして秋山瑞人のライトノベル『イリヤの空、UFOの夏』の3作品だ。
これらは基本的に世界の運命という「大きな物語」が存在しており、そこにキミとボクの物語が従属しているという関係性がある種の前提となる。そのため、キミとボクは世界の運命に翻弄されることとなる。
それに対して世界の運命という「大きな物語」から個人の信念と決断に基づく「小さな物語」を独立させ、共存させようとしたのが今年の夏に公開され大ヒットした『天気の子』なのかもしれない。
では、『HELLO WORLD』はと言うと、「大きな物語」亡き世界でキミとボクが生きていくという決意をする物語と言えるのではないだろうか。
先ほど、本作において2037年からやって来たナオミが所持していた『最強マニュアル』が「大きな物語」の表象として登場している点を指摘した。
小説版の『HELLO WORLD』において、終盤の新世界創造の場面でこんな記述がある。
真っ白い世界に、最初の一行目を書き込む。
何を書いてもいい世界で、僕は。
何を書くかを、自分で決めた。
小説版『HELLO WORLD』より
映画版でも終盤に白紙になっていくノートが映し出されていたと思うが、これはまさに「大きな物語」の消失を印象づけるシーンであり記述なのである。
ちなみに小説版の最後の記述はこうなっている。
新しい世界の、果てしない白紙は。
ナオミの書き込みの続きを、静かに待っていた。
小説版『HELLO WORLD』より
やはりこういう記述があるということは、『最強マニュアル』が消失し、そこにゼロベースで新しい物語を綴っていくという点を強調したいのだと考えられる。
つまり、『HELLO WORLD』の結末が描いたのは、「大きな物語」のない場所で、キミとボクの紡ぐ「小さな物語」で未来を描いていこうという希望なのだ。
ここで紹介したいのが『 フィリップ・K・ディックの世界』という書籍だ。その中で『黒い髪の少女』という彼の未発表の書簡集から「共有宇宙」と「私的宇宙」という言葉が引用されていた。
前者は大多数の私たちが共有する幻想(ファンタジー)のことであり、後者はキミとボクの共有する幻想ということになるだろう。
そしてフィリップ・K・ディックは、「共有宇宙」が現実として脆いものであり、対照的に「私的宇宙」は現実足りうるものだと語った。
彼曰く、2人が同じ夢を見れば、その幻想(ファンタジー)は幻想ではなくなるということだ。
その言葉を借りるならば、『HELLO WORLD』はまさにキミとボクの信じるファンタジーから2つの「私的宇宙=現実」を作り上げた作品だろう。
ここまでお話してきたように、確かに『HELLO WORLD』という作品には、「大きな物語」や「共有宇宙」を壊し、「小さな物語」や「私的宇宙」へと至らせようとする意図があった。
そして、本作はこの物語性に重ねる形で、終盤に至るまでの作品の諸要素に既視感を散りばめ、それを最後にひっくり返すというメタ的な手法を取ったのではないか。
これが私なりの本作に抱いた違和感への回答となる。
その点で、伊藤監督は『HELLO WORLD』という作品に、これまでの「物語」に縛られない自身のこれからのアニメづくりへの決意を込めていたようにも感じられる。
だからこそ、私は伊藤監督の次回作が楽しみである。
彼はこれからの日本アニメーションの「新世界」を築いていく旗手の1人になるだろう。
Profile:ナガ
最新の映画やアニメのレビューをお届けする映画ブログ「ナガの映画の果てまで」の管理人。本家では、鑑賞後のレビューが掲載されています!
【ネタバレあり】『HELLO WORLD』解説・考察:ボーイミーツガールがセカイを創造する!
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《参考文献》
野﨑まど『HELLO WORLD』
伊瀬ネキセ『HELLO WORLD if -勘解由小路三鈴は世界で最初の失恋をする―』
東浩紀『動物化するポストモダン』
東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』
巽孝之『日本SF論争史』
ポール・ウィリアムズ(小川隆訳)『フィリップ・K・ディックの世界』
麻生享志+木原善彦編著『トマス・ピンチョン』
トマス・ピンチョン『逆光』
ポール・オースター『闇の中の男』
ダニエル・F・ガロイ『模造世界』
グレッグ・イーガン『順列都市』
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