「探偵」というと誰を思い浮かべますか? シャーロック・ホームズや明智小五郎から江戸川コナンまで、丹念な捜査と緻密な推理で犯人を暴いていく姿は今も昔も人気がありますよね。
ところが19世紀にアメリカで初めて設立されたピンカートン探偵社では、鉄道警備やストライキの妨害など、探偵のイメージとはちょっと異なる仕事を請け負っていました。
今回はそんなピンカートン探偵社の活躍をご紹介しましょう。
目次
まるで傭兵! ピンカートン探偵社の業務内容
ピンカートン探偵社はアメリカ初の私立探偵社として、1850年、アラン・ピンカートン等によって設立されました。当初の社名を「ノースウェスタン・ポリス・エージェンシー」といいます。
ピンカートン社のスローガンは“我々は決して眠らない”(We never sleep.)というものです。ポスターに描かれたこのスローガンと大きな目の絵が有名になり、私立探偵のことを「プライベートアイ」と呼ぶようになりました。
探偵といえば秘密裏に調査をしたり、フィクションでは犯人の推理も行ったりするイメージですが、1850年に彼が同志とともに設立したこの私立探偵社の主な業務内容は「鉄道会社の護衛」でした。強盗と銃撃戦も繰り広げるなど、探偵というより傭兵といった方がよさそうな仕事が多かったのです。
その後、ピンカートン探偵社の仕事内容は時代とともに移り変わっていきます。主な内容をご紹介しましょう。
*探偵というより傭兵! 「ピンカートン探偵社」の業務内容*
①初期の頃(1850年~)
・犯罪者の捜索・逮捕
・銀行・駅馬車・列車の警備
・強盗との銃撃戦
②南北戦争(1861年~)
・対南軍のスパイ活動
・リンカーンを暗殺から救い有名に!
③南北戦争の終結後
・東部:行方不明者の捜索・保険金詐欺などの犯罪捜査、労働組合のストライキを妨害
・西部:州境を越えてアウトローを追跡
鉄道会社の護衛からスタートした事業は、南北戦争時には対南軍のスパイ活動へと変化します。1861年には列車内でリンカーンを暗殺から救ったことで一躍有名になりました。
さらに南北戦争終結後は、資本家の依頼を受け労働組合のストライキを妨害したり、アウトローの捜査をするなどの事業も手掛けるようになりました。
ピンカートン探偵社VS銀行強盗のジェームズ兄弟
南北戦争後、アメリカ西部へと進出したピンカートン探偵社、アウトローの捜査・追跡を手掛けるようになります。当時のアメリカには連邦警察がなかったため、犯罪者が州境を越えて逃げてしまっても、保安官は州境を越えて追跡することができませんでした。そこで、全国を移動できるピンカートン社のような私立探偵が活躍したというわけです。
ピンカートン探偵社が対決した有名なアウトロー集団をふたつご紹介しましょう。
最初にご紹介するのは、世界で初めて銀行強盗に成功したジェームズ兄弟です。
①ジェームズ兄弟(ジェームズボーイズ)
・メンバーはジェシー・ジェームズ、兄のフランク、従兄弟のヤンガー4兄弟など。
・1866年、世界で初めて銀行強盗に成功。
・1887年までの21年間に全国で26回強盗し、合計50万ドルを奪った。
・必要のない殺人はせず、「南部出身者からは奪わない」というポリシーが民衆に人気だったため、なかなか捕まらなかった。
・ピンカートン探偵社の捜査により、実家に爆弾を投げ込まれた。
ジェシー・ジェームズと兄のフランク、従兄弟のヤンガー4兄弟らは南北戦争に義勇兵として参加しますが、戦後は職が無く、駅馬車や列車、銀行などを襲うようになります。1866年にはミズーリの銀行で、世界で初めて銀行強盗に成功しました。
やがてピンカートン探偵社が本格的に捜査を始めますが、ジェームズ兄弟は「南部出身者からは奪わない」というポリシーのもとに行動していたため、南部出身の貧しい者も多かった地元では義賊して人気があり、捜査はなかなか進みませんでした。
そんな中、ピンカートン社の探偵は兄弟の実家に爆弾を投げ込み、家族を殺傷してしまいます。この乱暴なやり方は家族を狙った卑怯な手段だとして非難され、州や郡の間で政治問題にまで発展してしまいました。
最終的に、リーダーのジェシー・ジェームズは賞金に目がくらんだ仲間に暗殺されてしまいます。兄のフランクは自首したものの証拠不十分で釈放され、以後は農場で静かに暮らしたといわれています。
ピンカートン探偵社VSギャング団「ワイルドバンチ」
続いてご紹介するのは映画でも知られるワイルドバンチです。
②ワイルドバンチ
・銀行強盗と家畜泥棒をメインに行い、1度も失敗しなかった西部最大のギャング団。
・中心メンバーは列車強盗の前科がある肉屋のブッチ・キャシディ、窃盗罪でサンダス刑務所に服役していたサンダス・キッドなど。
・1897年、当局と激しい銃撃戦を繰り広げる。
・1901年、ブッチとキッドは愛人を連れて南米へ亡命。その後の消息ははっきりしない。
「ワイルドバンチ」は、映画『明日に向かって撃て!』や『ワイルドバンチ』で知られる西部最大のギャング団です。肉屋のブッチ・キャシディ(本名ジョージ・リロイ・パーカー)、サンダス刑務所に服役していたサンダス・キッド(本名ハリー・ロングボウ)ら中心メンバーの他、100名ものガンマンが助っ人として参加していたとされます。
ワイルドバンチは銀行強盗や家畜泥棒を行い、全て成功させていましたが、やがてピンカートン探偵社に追われることとなります。1887年には大規模な銃撃戦となりますが、75名が脱出に成功しました。
主要メンバーのブッチとキッドは1901年、愛人を連れて南米へ亡命します。その後アメリカに舞い戻ったという説もありますが、どのような最期を迎えたのかはわかっていません。
ピンカートン探偵社のストライキ潰し
ピンカートン探偵社はアメリカ西部でアウトローの追跡を行う一方、東部では資本家の依頼を受け、労働組合のストライキを潰す工作を行っていました。
その中でも特に有名なのが、ペンシルバニアのホームステッド製鉄所での争議です。
*探偵が300人も派遣された! ホームステッド・ストライキ*
・時と場所:1892年、ペンシルバニア州にあるカーネギー製鋼ホームステッド工場にて。
・労働組合のストライキに対し、ピンカートン探偵社の探偵300人が派遣された。
・探偵と労働者との間で銃撃戦となり、双方合計で11名の死者が出た。
・最終的に州兵2個師団が出動する騒ぎとなった。
1892年、労働組合の弾圧をきっかけに、ペンシルバニア州にあるカーネギー製鋼ホームステッド工場でアメリカ史上初となる大規模なストライキが行われました。
事態を打開しようと、同社CEOのフリックはピンカートン探偵社から300人もの探偵の派遣を受けますが、探偵と労働者との間で銃撃戦が起きてしまいます。最終的に11名もの死者が出てしまい、州兵2個師団が出動し鎮圧にあたる騒ぎとなりました。
こうしたストライキ潰しの他、ピンカートン探偵社は次のような業務も行っています。
・強盗団や労働組合への潜入捜査
・各地の保安官や住民からなる情報ネットワーク形成
・被疑者の個人ファイルを作成し、捜査に活用
20世紀に入ると、合衆国政府はピンカートン探偵社のこうした捜査テクニックや実績を参考に、全国規模の警察組織FBIを設立します。
こうして犯罪捜査の業務はピンカートン探偵社からFBIへと引き継がれました。現在では、ピンカートン社は社名を変えて警備会社として活動しています。
探偵というより傭兵集団に近かったピンカートン探偵社。その活躍はFBIの基礎を作る華々しいものだったのです。
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