『いなくなれ、群青』 (C)河野裕/新潮社 (C) 2019映画「いなくなれ、群青」製作委員会
書き手:ナガ
2019年9月6日に全国ロードショーされる予定の映画『いなくなれ、群青』。この作品は河野裕が著した同名の人気青春ファンタジー小説の映画版である。
そんな話題作の公開を前に、本作に隠された最大の謎を読み解くにあたってのヒントとなる「3つのキーワード」について解説していけたらと思う。原作を知る者のひとりとして 、本作の魅力を余すところなく味わってほしいからだ。
いなくなれ、群青 (新潮文庫nex) |
まずは、簡単に『いなくなれ、群青』のあらすじを紹介しておこう。
主人公の七草は〈階段島〉と呼ばれる場所で目を覚ます。なんとそこは「捨てられた人」たちの暮らす島だった。しかし住民たちは自分たちがなぜこの島にやって来たのかを知らない。そして〈階段島〉を出るためには、「失くしたものを見つけなければいけない」という島を支配する魔女が定めた掟があった。ただ、七草はその掟を受け入れ、島で平穏な日々を過ごすようになる。
ある日、〈階段島〉に、七草の幼馴染である真辺由宇という少女が現れる。彼女は島の掟に納得がいかないとし、脱出の方法を模索し始める。彼女の行動が島に隠された知られざる謎を少しずつ解き明かしていくこととなる。
そんな本作の最大の謎はやはり舞台となる〈階段島〉という島の正体だろう。
その島の謎を読み解くにあたってのヒントとなる3つのキーワードが、「魔女」「階段」「群青」である。
キーワード①「魔女」
本作の舞台となる〈階段島〉だが、そこには「魔女」と呼ばれる存在がいて、彼女が島を支配しているという構造が明らかになる。
しかし、なぜ少年少女の青春ファンタジーにわざわざ「魔女」を持ち出さなければならなかったのだろうか。
澤井繁男氏は『魔術師たちのルネサンス』という書籍の中で、浜本隆志氏の言説を引き合いに出しながら「魔女」のルーツを2つのタイプに分けて語っている。
ひとつは「薬草の知識を持ち、産母役であり、生まれた子供の運命」をも担う「賢い女」とされた者たちだ。そしてもうひとつは「社会のアウトサイダーに属する女性たちで、隣人に疎んじられ孤独に暮らし、場合によっては森や人里離れた場所へと迫害された」者たちだ。
キリスト教がヨーロッパに広がる以前の「魔女」の解釈はとりわけこの2つに近いだろう。
それに加えて、キリスト教がヨーロッパを支配するようになった中世末期には、ペスト流行に代表される社会的な不安や恐怖の増大により、宗教的な教義に反するという理由でスケープ・ゴート的に「魔女」とされ迫害された女性たちが登場する。
こういった背景を踏まえて考えると、本作において〈階段島〉という場所が「捨てられた人」たちの島であるという設定と「魔女」が登場する理由が何となく繋がってくるように思えないだろうか。
「魔女」という存在は、宗教的・社会的・政治的な不安や恐怖に基づく「正しさ」の基準の中で、「不正」と見なされ、社会を正しくあるべき形に保つために共同体から排除されてしまったとも言える。
故に、〈階段島〉で暮らす人々も何らかの形で、社会から「正しくない」というレッテルを貼られたがために「捨てられた」のではないかという ことが、このリンクから伺えるのだ。
中世にキリスト教社会を安定させるために社会から捨てられた「魔女」たち。果たしてこの現代において、七草や真辺由宇らは、一体誰の手で、そして何のために捨てられたのだろうか?
キーワード②「階段」
次に、本作の〈階段島〉という舞台が内包する「階段」というモチーフにも目を向けてみたい。
〈階段島〉という名前の通りで、この島には長い階段が存在するのだが、この階段はある特殊な設定を有しており、島に「捨てられた」人々たちに大きな障害として立ちはだかる。。
「階段」と異世界というモチーフを考えた時に、私の頭の中に真っ先に浮かんだのは『ブレイブストーリー』という宮部みゆきのファンタジー小説と同名の映画だ。
この作品は、ワタルという少年が自分の過酷な運命を変えるために、幻界(ヴィジョン)という異世界に向かい、そこでの冒険や出会いを通じて成長していくという物語だ。
『ブレイブストーリー』の劇中では、印象的に「階段」のモチーフが使われるが、それはこの物語に、少年が成長し大人の「階段」を上るという通過儀礼的な意味合いが込められているからだと推察される。
他にも宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』を思い浮かべてみても同じことが言える。主人公の千尋は、八百万の神が暮らす異世界に足を踏み入れる。
同作も千尋という少女が異世界での冒険や経験を通じて成長するという通過儀礼的な物語になっていると指摘できるのだが、やはり劇中で「階段」が多く扱われている。
まず、現実世界から切り離された異世界が舞台になっているという作品の設定そのものが『いなくなれ、群青』と先に指摘した2作品の共通点である。
しかしそれだけではない。映画『いなくなれ、群青』の予告編に登場する人物たちに注目するとお分かりいただけると思うが、〈階段島〉にやって来た人たちは、もちろん大人も含まれるが、そのほとんどが学生なのである。
主人公の七草やヒロインの真辺由宇も高校生だが、一般的に15歳から18歳に当たるこの時期は、子供から大人への過渡期と解釈されることが多い。
この点で『ブレイブストーリー』や『千と千尋の神隠し』にも用いられた通過儀礼のモチーフとしての「階段」が、本作『いなくなれ、群青』にも内包されていると考えることができる。
「階段」が大人になるために上らなくてはならないものだとすると、〈階段島〉に住む彼らの前に立ちふさがる障害として「階段」が登場する点には大いに注目すべきである。
キーワード③「群青」
最後に、本作のタイトルにも含まれている「群青」という言葉にフォーカスしていこう。原作の中で「群青」というキーワードが含まれるセリフが終盤に登場する。
頭を振って、あの夜空を忘れようとする。いなくなれ群青と、囁く。僕は暗闇の中にいればいい。気高い光が、僕を照らす必要はない。
『いなくなれ、群青』河野裕より
この記述からも本作のタイトルにもある「群青」がどうやら空の色を表しているらしいことは明らかである。
「青」という色は、これまで様々な映画や小説、詩の中で象徴的に扱われてきた。例えば、フランスの詩人ステファヌ・マラルメは『青空』という詩を書いた。
永遠の青空の穏やかな皮肉は
花のようにそのままで美しく、
苦痛の不毛な砂漠を越えて
自らの才能を呪う無力な詩人を打ちひしぐ
『青空』:『詩集』ステファヌ・マラルメより
この詩において、青空とはマラルメの理想であると解釈されることがしばしばだ。野口修氏は自身の論文の中で「アレゴリー化され、詩人にはどうしても手の届かない理想、しかも、そこに到達しようともがき苦しんでは挫折を繰り返す詩人を嘲り笑う残酷な理想」と表現している。
そしてそれと対比的に描かれる「詩人」というのが現実のマラルメ自身であることも自明だろう。
他にもドイツロマン主義の作家ノヴァーリスが著した『青い花』の中では、タイトルにもなっている青い花が主人公の「現実には辿り着けない理想への憧れの象徴」として扱われていることがしばしば指摘される。
このことからも「青」という色が「理想」を象徴する色であり、対照的に現実を浮き彫りにする性質を持っていることが分かる。
ここで先ほど引用した一節を思い返してみると、僕(七草)が「群青」の空に対して自分の前から消えて欲しいと懇願しているような文脈であることが伺える。
つまり僕(七草)が、振り払おうとしているのは、彼の前にありながらもどうしても手が届かない「理想」だということが推察できるわけだ。
なぜ、彼は理想を振り払おうとするのか? そこにもこの物語の謎を解くヒントが隠されていると考えていいだろう 。
おわりに
この記事では『いなくなれ、群青』という作品の謎を解くヒントを「魔女」「階段」「群青」という3つのキーワードに注目して解説してきた。
「魔女」というキーワードが浮かび上がらせる、「正しくない」というレッテルを貼られ、社会を安定させるために「捨てられた」存在としての〈階段島〉の住民たち。
「階段」というキーワードが仄めかす、本作の子供から大人へのイニシエーション的な側面。
「群青」というキーワードが想起させる、手の届かない「理想」と対比的に描かれる「現実」の象徴としての七草たち。
「失くしたものを見つけなければ出ることができない」という掟が縛る〈階段島〉の謎の真相とは一体何なのだろうか?
映画『いなくなれ、群青』は2019年9月6日より全国ロードショーだ。
ぜひ今回ご紹介した3つのキーワードに注目して、映画を鑑賞しながら、七草たち登場人物と共にその謎の解明に挑んでみて欲しい。
Profile:ナガ
最新の映画やアニメのレビューをお届けする映画ブログ「ナガの映画の果てまで」の管理人。本家では、鑑賞後のレビューが掲載されています!▽
【ネタバレあり】『いなくなれ、群青』感想・解説:苦みに満ちた異世界青春ファンタジー
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《参考文献》
『いなくなれ、群青』河野裕(新潮文庫)
『詩集』ステファヌ・マラルメ(訳:柏倉康夫,月曜社)
『魔術師たちのルネサンス』澤井繁男(青土社)
『言語の倦厭 マラルメの「苦い休息に倦み果て」の前半部について』野口修
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