TRPGの題材としてもなじみ深い「クトゥルー神話(クトゥルフ神話)」。ライトノベルやアニメのモチーフとして扱われるなど、名前を耳にする機会も増えたのではないでしょうか。
クトゥルー神話は、約100年前に、アメリカの作家ハワード・フィリップス・ラヴクラフトが創造した架空の神話体系です。そこには、ラヴクラフト自身が「宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)」と表現したように、人智を越えた得体の知れない恐ろしい神々が次々と登場します。
2019年9月2日に新紀元社より発売される『ラヴクラフトの怪物たち 上』は、現代の海外作家たちによる「クトゥルー神話」アンソロジーです。
今回は本書の魅力について、訳者の植草昌実さんにお話を伺いました。
パンタポルタ×植草昌実
まずは編者であるエレン・ダトロウがどんな人物かについてお話したほうがいいでしょう。アメリカにおけるホラーアンソロジストといえば、まず最初に彼女の名前が挙がります。編纂したテーマアンソロジーは50を越えていて、手がけた専門誌や年間傑作選も数多い。日本で言えば東雅夫さんみたいな人ですね。
彼女はテーマに対してオーソドックスな作品を押さえながらも、冒険的なことをする人なんです。え、こんな作品も入るの? と意外性を持たせてくる。
今回は「ラヴクラフトの世界観」に関わる作品を集めていますが、ラヴクラフトのパスティーシュ(模倣作品)みたいな作品、あるいはラヴクラフト的なものを得意とする作家の作品は入れない、と序文に書いています。そこが、『ラヴクラフトの怪物たち』のテーマとしてのおもしろさですね。
現在、クトゥルー神話のアンソロジーは個人出版やファン出版を含めると数多く流通しています。ただ、近年海外で発表されたクトゥルー神話というのは、ほとんど翻訳紹介されていないんです。
前に「S-Fマガジン」がクトゥルー神話特集をやったのが2010年5月号なので、約10年前。海外アンソロジーの翻訳も一番新しい『ラヴクラフトの世界』(青心社)が2006年なんですね。しかも原書が出版されたのは1997年あたりなので、実は今世紀に入ってからのクトゥルー神話はごくわずかしか訳されていない。最近新潮社から出た南條竹則さんの『インスマスの影』のように、ラヴクラフト作品の翻訳は数々出てるんですけどね。
ラヴクラフト作品の新訳は出ているけれども、現代作家の作品は翻訳されていない。
じゃあどういったアンソロジーを紹介したらいいのか? と考えたときに、やっぱり日本である程度知られている作家や準古典的な作家が載っていた方がいいだろうと思いました。かつ、新しい作家も紹介できるアンソロジーがいいなと。
それが『ラヴクラフトの怪物たち』だったわけです。
この本の面白いところが、マニアはマニアとして楽しめるのはもちろん、入門にもいいんですよね。
というのも、クトゥルー神話ものの面白さってどこにあるのか? と考えてみたときに頭に浮かんだのが、「わからない」だったんです。
これは「わけのわからない話」のことではなくて、“謎”があるということです。
たとえば、物語のなかで登場人物がいきなり「ヨグ・ソトート」と言ったりする。え? それはなに? と思うんだけど、はっきりしないまま話が進んでいく。なにか自分の知らない別の世界や大きな存在があるんじゃないか、なんて想像しながら読み進めると、だんだん謎が解けていくんですね。
しかし、その作品のなかで謎が解けきれるわけじゃないんですよ。どこかに何かカギがあるんじゃないかと思って、ほかの作品が読みたくなる。
そういう際限のない世界の広がりの一端を知るというのが、クトゥルー神話の面白いところだと思います。だから、わからないことを楽しんでもらっていいんです。
そういった意味で、この『ラヴクラフトの怪物たち』は現代のクトゥルー神話のよいサンプルが集められていますね。
半魚人のキャラクターが人気だからでしょうか、このアンソロジーでは「インスマスの影」を踏まえたものが多いですね。
偶然ですが、日本でも人気の作家ニール・ゲイマンとキム・ニューマンの作品も「インスマスの影」を背景にして書かれています。ブライアン・ホッジの中編にも出てきます。
ホッジの中編「ともに海の深みへ」は異生物とのコミュニケーションを描くSF的な作品なのですが、クライマックスには“とんでもない怪物”が出てきます。ですが、その“とんでもない怪物”というのが既存の神話生物であるかどうか、わからないんです。名前も姿もはっきり描かれていないので。『ラヴクラフトの怪物たち』には、こうしたオリジナルのキャラクター(神話生物)も出てきます。
例えばナディア・ブキンの作品「赤い山羊、黒い山羊」に出てくる山羊乳母《ゴート・ナース》なんかもそうです。
山羊というと、クトゥルー神話では《シュブ=ニグラート》という神を想像しますが、なんだかそうでもないようなところもあって(詳しくはネタバレになるので伏せます)。
こうした、何となく別の世界と繋がっているのかもしれない、という余韻が魅力です。
フレッド・チャペル「残存者たち」も印象的ですね。これはラヴクラフトの「狂気山脈」を踏まえており、《古のもの》と《ショゴス》が出てきます。やっぱりショゴスですから、「テケリ・リ」と鳴いてくれますよ(笑)
最初にお話したとおりこの本にはラヴクラフト的ではない作家が集められていますので、SF作家、現代文学、詩人といったさまざまなジャンルの書き手が名を連ねています。
例えば「赤い山羊、黒い山羊」のナディア・ブキンは東南アジア社会情勢の研究者ですが、短編小説を得意として、シャーリィ・ジャクスン賞を受賞しています。やはり学者さんだからか文章が少し堅くて、訳すときにちょっと頑張りました。
それから、『モリアーティ秘録』や『ドラキュラ紀元』が日本でも人気のキム・ニューマン。彼はイギリスだと、小説家以上に映画解説者として有名なんですね。
日本の映画やアニメも好きで、アニメ映画『屍者の帝国』を観たときに「日本にもぼくみたいなものの考え方をする人がいるのか」とコメントしていました。実際は、伊藤計劃さんがキム・ニューマンのファンだったみたいです。
キムは二次創作的なアイデアが好きなので、もし日本にいたら、出版社から本を出すよりもコミケで同人誌を出しているかもしれませんね(笑)
これだけ個性の強い作家が多いと、翻訳は難しくなってきます。でもその難しさが楽しい。苦しみながら楽しんでいます。
ニール・ゲイマンはベストセラー作家だからというのもあってか、わりと素直に訳せました。今回一番苦労した作家は、ブライアン・ホッジですね。
彼はミュージシャンでもあるので、ところどころ文章のなかに歌詞みたいなきれいなフレーズが入ってくる。例えばヒロインがダイビングする場面で、何度も「deep」という語を使う。英語だと繰り返しはレトリックになるのですが、これを日本語で何度も「深い」と書くと様にならないんですね。
言い訳になってしまいますが、ここは活かしきれなかったです(苦笑)。
下巻も翻訳中で、現在3分の2くらいを終えましたので、読者の方にもそんなにお待たせしないでお届けできるかと思います。
『ボトムズ』(ハヤカワ・ミステリ文庫)などのミステリで有名なジョー・R・ランズデールのハードボイルド調のホラーや、ぽつりぽつりと翻訳されるだけなので伝説の作家と化しているトマス・リゴッティなど、日本でもマニアが翻訳を心待ちにしている作家や初紹介の人の作品まで、8編入ります。
そしてひとつ、過去に翻訳されていて今回新訳した作品があります。
ハワード・ウォルドロップの代表作「昏い世界を極から極へ」。これはメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』の後日譚で、フランケンシュタインの怪物が地下世界を探検し「コナン・ザ・グレート」のような大活躍をする話です(笑)。エドガー・アラン・ポオや『白鯨』のメルヴィルも登場します。
下巻は2019年12月に刊行予定です。がんばって原稿を早く上げますので、どうぞお楽しみに。
〈下巻収録作品〉
*邦題は仮題。収録時に変更される可能性があります。
ケイトリン・R・キアナン「私たちは禁じられた愛を啼き、吠える」
トマス・リゴッティ「愚宗門」
ジェマ・ファイルズ「塩の壺」他一篇(詩)
ハワード・ウォルドロップ&スティーヴン・アトリー「昏い世界を極から極へ」新訳
*既訳:風見潤・安田均編『世界SFパロディ傑作選』(講談社文庫1980)所収。同題、安田均訳。
スティーヴ・ラスニック・テム「クロスロード・モーテルにて」
カール・エドワード・ワグナー「また語りあうために」
ジョー・R・ランズデール「血まみれの影」
ニック・ママタス「語り得ぬものについて語るとき、我々の語ること」
ジョン・ランガン「牙の子ら」
怪物便覧
寄稿者紹介
(以上)
*邦題は仮題。収録時に変更される可能性があります。
ケイトリン・R・キアナン「私たちは禁じられた愛を啼き、吠える」
トマス・リゴッティ「愚宗門」
ジェマ・ファイルズ「塩の壺」他一篇(詩)
ハワード・ウォルドロップ&スティーヴン・アトリー「昏い世界を極から極へ」新訳
*既訳:風見潤・安田均編『世界SFパロディ傑作選』(講談社文庫1980)所収。同題、安田均訳。
スティーヴ・ラスニック・テム「クロスロード・モーテルにて」
カール・エドワード・ワグナー「また語りあうために」
ジョー・R・ランズデール「血まみれの影」
ニック・ママタス「語り得ぬものについて語るとき、我々の語ること」
ジョン・ランガン「牙の子ら」
怪物便覧
寄稿者紹介
(以上)
本の情報
ラヴクラフトの怪物たち 上
著者:エレン・ダトロウ(編者)
翻訳者:植草 昌実
定価:本体2,500円(税別)
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◇関連書籍紹介
クトゥルー神話大事典
著者:東 雅夫
定価:本体2,000円(税別)
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