「世界最大悪人」「食人鬼」「堕落の魔王」「悪魔主義者」――これらの悪評は、すべて1人の人物につけられたものだ。その名はアレイスター・クロウリー。19世紀末から20世紀のオカルト界において、最重要人物と目される大魔術師である。
今回は、このアレイスター・クロウリーを紹介しよう。
目次
莫大な遺産と抑圧 若き日のアレイスター・クロウリー
アレイスター・クロウリーは1875年、イギリスのウォーリックシア州に生まれた。クロウリー家は非常に裕福だったが、プリマス・ブレズレンというキリスト教内でも極めて厳格な戒律をもつ宗派に帰依していた。
クロウリーが寄宿制小学校に在学中、ビール工場を経営していた父親が死亡。これにより彼のもとには莫大な遺産が転がり込むこととなった。
寄宿学校に戻ったクロウリーは、父の死の影響で生活態度が悪化。学校はそれを許さず、数々の虐待を受ける。クロウリーは叔父により学校から救出されるが、校長らの言い分を信じた母親からはヒステリックに叱責された。これらの経験がクロウリーの性質を歪ませ、キリスト教社会への不信感を植え付けたと思われる。
やがて体調を回復したクロウリーはパブリック・スクールに転入。名門ケンブリッジのトリニティ・カレッジに入学する。
アレイスター・クロウリーと<黄金の夜明け団>
大学在学中、アレイスター・クロウリーは重度の鬱病を発症。その時期からオカルト関係の書物にのめりこんでいく。
1898年、クロウリーは登山で立ち寄ったマッターホルンのロッジで<黄金の夜明け団>の中心人物の一人ジュリアン・ベイカーと出会う。ベイカーはクロウリーを<黄金の夜明け団>へ勧誘した。
<黄金の夜明け団>は、当時の魔術復興の旗手を担った魔術結社だ。独自の魔術研究を行っており、その魔術の実態は錬金術とユダヤ教カバラ、グノーシス思想、エジプト魔術、各種の占術など、多様なオカルト知識を取り込んで再構築したものである。
クロウリーは<黄金の夜明け団>に入団し、本格的な魔術修行を開始する。1900年頃にはネス湖畔に屋敷を借り、アブラメリン魔術の実験に没頭した。アブラメリン魔術とは、禁欲的生活を通じて聖守護天使を召喚するものだ。
しかしこの時期<黄金の夜明け団>は、ロンドン本部とパリ支部の間で運営方針の食い違いから内戦状態にあった。クロウリーはパリ支部長のマクレガー・メイザースに師事しており、また魔術実験の失敗などもあって<黄金の夜明け団>から追放されてしまう。
◎関連記事
錬金術の叡智で世界を啓蒙する! 秘密結社「薔薇十字団」
悪魔崇拝? 社交の場? 秘密結社「ヘルファイア・クラブ」
アレイスター・クロウリーの魔術結社<銀の星>の崩壊
<黄金の夜明け団>を追放されたアレイスター・クロウリーは、世界一周旅行に出かける。インドのセイロンでクンダリーニ・ヨガを学び、パリ滞在時には妻ローズ・ケリーと出会う。結婚したクロウリー夫妻は新婚旅行でエジプトのカイロに出かけ、妻を触媒とした降霊儀式によって守護天使エイワスと接触するのである。
娘の病死を経て妻と離婚したアレイスター・クロウリーは、1907年に自ら魔術結社<銀の星>を設立する。このとき<黄金の夜明け団>時代の師であったメイザースと裁判沙汰となり、また友人ジョージ・C・ジョーンズが劇場公開した「エレシウスの儀式」に関して三流新聞と訴訟を起こして<銀の星>を退団した。
盟友を次々失ったクロウリーは、<東方聖堂騎士団>ロンドン支部へ活動の拠点を移す。やがて彼はロンドン支部を私物化し、名称も<ミステリア・ミスティカ・マキシマ>と変えてしまう。1914年には<東方聖堂騎士団>の活動をアメリカに伝播する名目で渡米するが、実質は夜逃げだった。
クロウリーがアメリカで親独プロパガンダ活動に従事したことから<東方聖堂騎士団>ロンドン支部はロンドン警視庁の強制捜査を受け、支部と<銀の星>は事実上崩壊した。
◎関連記事
エジソンも参加した! ブラヴァツキー夫人の「神智学協会」
エイワス教団の醜聞とアレイスター・クロウリーの晩年
1920年、今度はアレイスター・クロウリーは<エイワス教団>を設立。イタリアのシチリア島に築いた<テレマ僧院>での活動を開始する。ここでは魔術儀式のほか、各種薬物の濫用や、性魔術のための異性・同性間の性行為が日常的に行われていたという。
しかしここで資金が底をつく。クロウリーは資金確保のため、僧院内の生活をモデルに『麻薬常習者の日記』など数篇の小説を出版。僧院の内情が表沙汰となり、メディアはこぞってクロウリー叩きを行った。僧院内で死亡者が出るという事件も起こり、1923年、ムッソリーニ直々の命令によりイタリアより追放される。
クロウリーはパリへ移り<東方聖堂騎士団>の首領に就任するも、1929年にはフランス政府から国外退去処分を受けイギリスへ帰国。以後は書物の執筆やトート・タロットの製作などを行い、比較的穏やかな後半生を送った。1947年、クロウリーは心筋退化および慢性気管支炎で没。ブライトン公共墓地へ埋葬された。
◎関連記事
20世紀の孤高の魔術師、オースティン・オスマン・スペア
天使も悪魔も召喚! アレイスター・クロウリーの魔術
破天荒な人生を送り、魔術結社を次々食い潰したともいえるアレイスター・クロウリーだが、近代の魔術師には珍しく「魔術を行使した」エピソードがいくつも残されている。その一部を紹介しよう。
・アブラメリン魔術
クロウリーがネス湖畔の屋敷を借りて行った魔術実験。この魔術を実践する者は春分の日から秋分の日までの6ヶ月間、隠遁生活が求められる。肉食や外出が禁じられ、アブラメリン香を炊いて「心を祈りで燃え上がらせなければならない」。
隠遁生活が過ぎたら銀皿を載せた祭壇を準備し、思春期前の少年を霊媒として祈る。すると聖守護天使が現れ、銀皿にメッセージを書くのだという。
しかしクロウリーが隠遁生活を完遂できず、魔術実験は失敗した。
・大悪魔コロンゾンの召喚
クロウリーがアルジェリア南部の砂漠で弟子のヴィクター・ニューバーグと共に行った魔術実験。天使たちからの秘技伝授を目的とし、「深淵」の主である大悪魔コロンゾンを呼び出したのだ。コロンゾンはクロウリーに憑依してニューバーグを脅したり誘惑したりしてきたがこれを無視すると、自らの数値333と本質を表す名前「拡散」を打ち明けた。
この後クロウリーは天使と接触し、秘技の伝授を得たという。
・メルクリウス召喚
クロウリーがニューバーグと共にパリで行った魔術実験。メルクリウスとユピテルの召喚を目的としていたが、同性間の性魔術が用いられた。というのもメルクリウスは青年愛の守護者であり、ユピテルもガニメデという少年の愛人がいたからだ。
クロウリーらはあわせて20回の召喚実験を行い、メルクリウスの召喚に数度成功して、助言や秘技の伝授を受けたという。
・守護天使エイワスの召喚と『法の書』
新婚旅行でカイロを訪れた際にクロウリーが魔術実験を行っていると、突然妻ローズが神懸かった。妻は魔術に無知だったにもかかわらず、専門的魔術用語を口にした。そこで召喚儀式を行ったところクロウリーに彼自身の守護天使エイワスが召喚され、自動書記によって言葉を伝えてきたのだ。それが『法の書』だ。
この『法の書』はあらゆる存在が等価値であると述べ、既成価値からの脱却を説いている。これがテレマ哲学だが、非常に難解で誤読しやすく、アレイスター・クロウリー本人にも理解できないところがあったという。テレマ哲学は、次の一言によって言い表される。
「汝の欲するところを為せ。それが<法(テレマ)>とならん」――まるで、クロウリー自身の生き方を示すかのようだ。
~クイズ~
大魔術師とも大悪人ともいわれる20世紀の奇人アレイスター・クロウリー。彼はアブラメリン魔術という魔術実験を行っていたけど、儀式に必要な「あるもの」を用意できなかったため、失敗に終わったんだ。その「あるもの」とはなんだろう?
①処女の生き血
②美少年の霊媒
③禁欲的な隠遁生活
大魔術師とも大悪人ともいわれる20世紀の奇人アレイスター・クロウリー。彼はアブラメリン魔術という魔術実験を行っていたけど、儀式に必要な「あるもの」を用意できなかったため、失敗に終わったんだ。その「あるもの」とはなんだろう?
①処女の生き血
②美少年の霊媒
③禁欲的な隠遁生活
◇参考書籍
『100人の魔法使い』
著:久保田悠羅
佐藤俊之
司馬炳介
秦野啓