未知へのスリルか、わかっている難しさへの挑戦か
D&Dを遊び始めた時期に課題となることに、DMが判定の難易度を示すのかどうかと、クリーチャーのデータ・ブロックを明かすか、という点がある。
D&Dで舞台となる世界の様子が、その世界の中にいるプレイヤー・キャラクター(以降"PC")を含めクリーチャーからどう見えるかは、アドベンチャー・シナリオの読み上げ文が示している。また、D&D公式の小説「ダークエルフ物語」「ドラゴンランス」などを電子書籍で日本語版を読むことができる。それら中では、クリーチャーの"感覚"(MM P.8~9)による認識の範囲内だけに限られるように読める。難易度や、レベル、脅威度をはじめとするデータ・ブロックの各種数値を知るわけではない。
ゲーム世界を真剣に再現する方向性のプレイを目指すのなら、公式な作品での描かれ方からするとゲーム・データにあたる情報を生で示すことはしないのが正解に思える。
・未知へのスリルか、わかっている難しさへの挑戦か
判定の難易度をプレイヤーに示すかどうかは、PHB、DMGにも厳密には定義されていない。これは能力値判定、攻撃ロール、セーヴィング・スローとも同様である(d20の出目だけで判定する死亡セーヴィング・スローを除く)。ということはDMの任意ということになる。
プレイヤーに難易度は示さずに、どの判定かを提示してロールしてもらったり、敵のACに対する攻撃をしてもらうのは、前述したようにゲーム世界らしさを高めるとともに「未知への挑戦」として正統に感じられる。ACやhp、敵が使ってきた特徴や呪文の効果などは戦闘の中で判明していくため、まさにPCとして対処し、身をもって学んでいく。簡単かと思った行動が、実は難しかったということが起きることも含め、ゲームの世界観重視のロールプレイとなりやすい。
一方でプレイヤーが、難易度がわかった上でダイスをロールするのは「その目を出すぞ!」という意気込みを持てる。高い難易度が示されれば、それをクリアする工夫として協力(PHB P.175)、援護アクション(PHB P.192)もプレイヤーたちから出やすくなる。課題が明示され、それをクリアするチャレンジとしてゲーム的な楽しさと言える。PCのレベルが上がってくると、低めの難易度の判定では緊張感がなくなる場面も出てくるが、その場合は、もうDMの判断で成功したとして進めてしまってかまわないだろう。
どちらに楽しさの重点を置くかは、DMの流儀なりプレイ・グループの好みによるため、正解がどちらということはない。プレイに慣れれば、前者の数値が示されない判定においても、プレイヤーは協力・援護を提案してくるようになるだろう。
ただ、プレイするキャンペーンがどちらを採用するのかは、始めるときにDMとプレイヤーたちで共通の認識としておき、キャンペーンの完結まで通すべきだろう。
次回は、NPCクリーチャーのデータ・ブロックをプレイヤーに知らせるかどうかについて述べる。
※記事中の日付は記事公開時のものです。