お城のお姫様というと、きらびやかなドレスに豪華な装飾品を身に纏っているイメージですが、実際のところ中世ヨーロッパの装飾品はどのようなものだったのでしょうか?
今回はヨーロッパ中世前期(5~13世紀頃)の装飾品についてお話しましょう。
目次
中世ヨーロッパ前期:東西で異なっていた装飾品
中世前期(5~13世紀頃)の装飾品には、大きく分けると西ヨーロッパと東ローマ帝国というふたつの地域によって異なる特徴がみられます。
*西ヨーロッパの装飾品の特徴
・主な素材:金属など。宝石類は少ない(ガーネット、琥珀など)。
・モチーフ:地域ごとの伝統的なもの→ロマネスク様式(動植物を抽象化)→ゴシック様式(写実的)。
・その他:王冠の他、実用品が好まれる(ベルトのバックルなど)。
・主な素材:金属など。宝石類は少ない(ガーネット、琥珀など)。
・モチーフ:地域ごとの伝統的なもの→ロマネスク様式(動植物を抽象化)→ゴシック様式(写実的)。
・その他:王冠の他、実用品が好まれる(ベルトのバックルなど)。
395年、ローマ帝国が分裂し、西ローマ帝国と東ローマ帝国が誕生します。しかし西ローマ帝国はゲルマン人の侵攻により、476年に滅亡してしまいました。
これ以降、西ヨーロッパではゲルマン人の持つ金属加工技術が発展していきます。政情がなかなか安定しないため、装飾品も実用的なものが好まれるようになりました。
*東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の装飾品の特徴
・主な素材:宝石類がふんだんに使用されている。
・モチーフ:ビザンチン様式(西アジアの伝統とキリスト教の象徴的文様が組み合わさったもの)。
・その他:七宝細工が多くみられる。頭飾り、首飾り、腕輪、指輪が発展。
・主な素材:宝石類がふんだんに使用されている。
・モチーフ:ビザンチン様式(西アジアの伝統とキリスト教の象徴的文様が組み合わさったもの)。
・その他:七宝細工が多くみられる。頭飾り、首飾り、腕輪、指輪が発展。
一方、東ローマ帝国は首都コンスタンチノープル(現在のイスタンブール)を中心に、西アジアの文化を吸収し、経済的にも軍事的にも大いに発展していきます。またキリスト教を国教としたことから、肉体を嫌悪し身体をぴったりと覆う服装が好まれ、装飾品もそれに合うものが作られるようになりました。
中世ヨーロッパ前期:頭飾り
ここからは、頭飾り、耳飾り、首飾りと順を追ってご紹介しましょう。
頭飾りは大きく分けて、冠とその他のもの(主に女性の頭を飾っていた装飾品)の2種類があります。
①冠
*西ヨーロッパ
・初期の頃は、輪のような形をした冠。
・サークレット型(装飾板をピンで繋いだもの)も用いられた。
・時代が下ると「エッセン冠」が登場→ヨーロッパ全土に普及。
・初期の頃は、輪のような形をした冠。
・サークレット型(装飾板をピンで繋いだもの)も用いられた。
・時代が下ると「エッセン冠」が登場→ヨーロッパ全土に普及。
冠は王冠を中心に、権威の象徴とされていました。
西ヨーロッパでは当初、「ロンバルディアの鉄の冠」など輪のような形をした冠が主流でしたが、後の時代になると、その上に3つの花弁を持つ花の飾りが付いた冠が登場します。「エッセン冠」と呼ばれるこの形式は、やがてヨーロッパ全土に広まりました。
*東ローマ帝国(ビザンチン帝国)
・初期の頃は、古代ローマ由来の「ディアデム」。
・6世紀~「ステンマ」。
・9世紀~「カメラウキオン」。→西ヨーロッパでも使われるように。
・初期の頃は、古代ローマ由来の「ディアデム」。
・6世紀~「ステンマ」。
・9世紀~「カメラウキオン」。→西ヨーロッパでも使われるように。
東ローマ帝国では、6世紀頃から「ステンマ」と呼ばれる王冠が使われはじめます。これはつばなし帽に環形装飾板が付いたもので、装飾板には宝石類の付いた垂れ飾りが吊るされていました。
9世紀になると、アーチ形の装飾板をピンで輪形に留めたステンマに、皇帝の証であるアーチと十字架が付いた冠が登場します。「カメラウキオン」と呼ばれたこの皇帝冠は、後に西ヨーロッパでも用いられるようになりました。
②女性の髪飾り
女性の髪飾りはビザンチン帝国を中心に大いに発展していきます。ビザンチン帝国では派手な髪飾りが好まれ、女性たちはタイヤのような形にきれいに編み込まれた髪を金の帯で巻き、さらに宝石類で飾り立てたり、ベールをかぶったりしていました。
一方、西ヨーロッパではそれほど派手ではなく、金属板を連ねた額当てや花冠など、ビザンチン帝国よりも単純な髪飾りが用いられています。
中世ヨーロッパ前期:耳飾り
続いて耳飾りをご紹介しましょう。
*西ヨーロッパ
例)
・6世紀フランスのサン・ドニ・バジリコ寺院で見つかった耳飾り(金の円形フープに宝石がはめ込まれた籠形の飾りがついたもの)
・13世紀フランスの恋愛指南書『薔薇物語』の記述「両の耳には細い金の棒を提げた」
例)
・6世紀フランスのサン・ドニ・バジリコ寺院で見つかった耳飾り(金の円形フープに宝石がはめ込まれた籠形の飾りがついたもの)
・13世紀フランスの恋愛指南書『薔薇物語』の記述「両の耳には細い金の棒を提げた」
西ヨーロッパの耳飾りについては、遺物があまり残っておらず、残念ながらよくわかっていません。13世紀フランスの恋愛指南書に耳飾りの記述が登場することから、少なくともこの頃までは耳飾りが使われていたと思われます。
*東ローマ帝国(ビザンチン帝国)
例)
・エジプトで出土したビザンチン様式の耳飾り(エメラルドを象眼した金の装飾板から、エメラルドやサファイア、水晶の飾りが吊るされている。耳に明けた穴にフックのような金具で吊るした)。
・三日月のような装飾板や円形の装飾板に透かし彫りを施したもの。
・粒金細工を施した玉を房状に連ねたもの。リングの金具で耳に固定する。
例)
・エジプトで出土したビザンチン様式の耳飾り(エメラルドを象眼した金の装飾板から、エメラルドやサファイア、水晶の飾りが吊るされている。耳に明けた穴にフックのような金具で吊るした)。
・三日月のような装飾板や円形の装飾板に透かし彫りを施したもの。
・粒金細工を施した玉を房状に連ねたもの。リングの金具で耳に固定する。
一方、東ヨーロッパでは東ローマ帝国(ビザンチン帝国)を中心に盛んに耳飾りが用いられています。粒金細工で装飾を施したものや、金の装飾板にエメラルドやサファイア、水晶などの宝石の飾りを吊るしたものなどが見つかっています。
中世ヨーロッパ前期:首飾り
最後にご紹介するのは首飾りです。5~13世紀頃のヨーロッパでは、首飾りは男性よりも女性が身に着けることの方が多かったといいます。
*西ヨーロッパ
例)
・琥珀、練りガラス、七宝細工を施した焼き物などでできたビーズを連ねたもの。
・金属細工(金、銀、金メッキを施した青銅など)の首飾り。モチーフは抽象化された動植物。
例)
・琥珀、練りガラス、七宝細工を施した焼き物などでできたビーズを連ねたもの。
・金属細工(金、銀、金メッキを施した青銅など)の首飾り。モチーフは抽象化された動植物。
西ヨーロッパでは、ビーズや金属細工などを使用した、ゲルマン的な特徴を持つ首飾りが見つかっています。十字軍遠征以降は宝石類をふんだんに用いたものが多くみられるようになりました。
しかし、こうした首飾りは当時着られていた襟の高い服装には合わず、次第に姿を消していきます。
*東ローマ帝国(ビザンチン帝国)
例)
・ビーズを連ねたチョーカー。
・聖母や聖人の七宝細工を施したペンダント。
例)
・ビーズを連ねたチョーカー。
・聖母や聖人の七宝細工を施したペンダント。
東ローマ帝国の首飾りは西アジアの影響を受け、豪勢なものが多かったと考えられています。形状はチョーカーやペンダントなど様々で、金やダイヤモンド、真珠、エメラルドなどの宝石類などが用いられています。金属製のパーツには粒金細工、細線細工、七宝細工といった装飾が施されていました。
その他、十字架など宗教的な意味を持つ首飾りも作られています。
東西でかなり異なっていた中世ヨーロッパの装飾品。装飾品の特徴から、当時の政情や人々の暮らしを想像するのも面白そうですね。
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◎参考書籍
『図解 装飾品』
著者:池上 良太