コーヒーや紅茶、お茶といえば、ほっと一息つきたい時や食後に口直しとして定番ですが、これらの飲み物はいつ頃からどんな経緯でよく飲まれるようになったのでしょう?
今回はコーヒーと紅茶、お茶のルーツについてお話しましょう。
目次
お茶は古代アジアで食べ物だった
諸説ありますが、お茶の歴史は紀元前2700年頃まで遡るといわれています。原産地は中国南部からインド北部で、当初は飲み物ではなく食べ物とされていました。
*古代アジアの茶葉料理レシピ*
・中国
刻んだ茶葉、タマネギ、ショウガなどを混ぜ合わせて葉粥にする。
・タイ北部
茶葉を蒸したり茹でたりした後、団子状にし、塩、油、ニンニク、油脂、干し魚と一緒に食べる。
6世紀頃になると、お茶は仏教とともに中国各地で普及し、広く飲まれるようになります。それまでの人々は米や粟のビールを飲み水のように飲んでいましたが、仏教ではアルコールが好まれなかったため、代わりにお茶を飲むようになったのです。
唐の時代の中国ではお茶が人気を集め、760年、陸羽はお茶の煎れ方や飲み方の作法を『茶教』という書物にまとめています。また中国各地に「茶館」も建てられるようになりました。
お茶は7世紀になると、朝鮮やモンゴル、タタールなど周辺諸国にも広まります。日本に伝えられたのは9世紀頃で、空海や最澄が持ち帰り、最初は薬や眠気覚ましとして使われていました。
その後、お茶は日本でも次第に普及し始めます。安土桃山時代には千利休らが活躍し、茶の湯の文化は大きく発展しました。
紅茶は日本から伝わった?!
大航海時代を経て17世紀になると、お茶はヨーロッパ諸国へと輸出されるようになりました。1606年にポルトガルのリスボンで初めて飲まれたお茶は日本茶だった可能性がある他、1609年にオランダ東インド会社が日本から茶を持ち帰ったなどともいわれています。
フランス、イタリア、スペインなどにも広まったお茶ですが、当時の人々は緑茶と紅茶が同じものだとは気づいていませんでした。
*緑茶と紅茶の違いとは?*
・緑茶:発酵させないよう加工したお茶
・ウーロン茶:半発酵させたもの
・紅茶:完全に発酵させたもの
収穫されたお茶をすぐに加熱して発酵(酸化発酵)させないように作ると緑茶になり、半発酵させればウーロン茶に、完全に発酵させれば紅茶になります。
大航海時代以降(17世紀頃)、ヨーロッパの人々はお茶を日本や中国から輸入していました。しかし東インド会社(オランダなど各国にあった一種の国策企業。アジア地域の貿易独占権を持っていた)は植民地でより安く茶を作りたいと考え、セイロンで大量生産を始めます。
その後19世紀に入ると、アジアからヨーロッパまでの長時間輸送で品質が落ちるのを防ぐため、茶は快速船「クリッパー」で英国まで運ばれました。
ところで英国では紅茶がよく飲まれていますが、初めて英国の宮廷にお茶の習慣を持ち込んだのは、ポルトガルのブラガンサ家から嫁いできた妃キャサリンでした。1662年、彼女は国王チャールズ2世と結婚する際に、中国茶と砂糖を持参したといいます。
英国でコーヒーより紅茶が好まれるようになった背景には、次のような理由が挙げられます。
・18世紀に東インド会社が大宣伝を行った。
・茶の関税が引き下げられた。
・英国の水質が紅茶に向いていた。
・コーヒーよりも手間なく作れる上に、薄めて飲んでも問題なし。
・「コーヒーは男性を不能にする」という噂があった。
こうした様々な理由から、「英国人は生涯に10万杯ものお茶を飲む」といわれるほど紅茶が普及するようになったのです。
コーヒーの歴史
最後にコーヒーの歴史もご紹介しましょう。
コーヒーの原産地はエチオピアの南西部カファ地方で、人々は葉や果実を煮たり炒めたりして食べていました。
イスラム文化圏にもたらされてからは、コーヒーは儀式用の秘薬や、高官だけが使用できる強壮剤として扱われるようになります。その後、時代が下ると一般化し、飲酒が禁止されていたイスラム圏で飲み物として広く愛されるようになりました。1554年にはイスタンブール(コンスタンチノープル)で最初のカフェが開業しています。
17世紀になると、コーヒーはヨーロッパ各国でも知られるようになります。ヨーロッパ諸国にとって敵勢力だったアラブからもたらされたため、当初は体に害があるのではないかなどと警戒されることもありました。
しかしベネチアのコーヒー商人が法王ウルバヌス2世に味見させたことで状況は一変します。コーヒーの味と香りに魅せられた法王が「こんな美味しいものをイスラム教徒に独占させる手はない」としてコーヒーを合法と認めたのです。
こうして、コーヒーも紅茶と同様に近代ヨーロッパでも広く愛されるようになりました。
それまでの労働者たちは水の代わりにワインやビールを飲んでいたため、酔ってしまって仕事の効率が落ちることもしばしばだったといいます。
コーヒーや紅茶はアルコール類の代わりとしてもてはやされ、「理性的飲料」「善き飲み物」などと称されるようになりました。
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