古代メソポタミアで成立したシュメール・アッカド系神話は、最古の神話です。
多くの神々が描かれた神話の、事実上の最高権力者がエンリルです。
エンリルは古代オリエント文学の最高峰『ギルガメシュ叙事詩』において、女神イシュタルを罵倒し英雄ギルガメシュを罰するなど、気性の激しい神としても描かれます。
大気・嵐の神であり、創造神、そして都市の守り神ともなったエンリルをご紹介しましょう。
目次
天地を分かち人間を生み出した、風の神エンリル
エンリルは、シュメール・アッカド系神話では、神々を統率する偉大な神です。シュメール語では、エンが「主人」リルが「風」を意味しています。
エンリルは「大気」や「嵐」を司る神でした。<荒れ狂う嵐><野生の雄牛>という猛々しい異名も持っています。
エンリルは人間と同じ姿を持つ神で、角の生えた冠をつけ、長いヒゲを蓄えた姿で描かれます。神々の統率者でもあるエンリルは、神々の運命を記載した「トゥプシマティ」というタブレット(石板・粘土板)を持っています。神々や人間の運命を書き込む重要なアイテムです。のちほど詳しくご紹介いたしましょう。
エンリルの父は天空神アヌ、母は大地の女神キです。エンリルはその誕生の時に天地を分かち、父から母なる大地を奪うことで地上の支配者となりました。そしてエンリルはキと交わり、人間を生み出し神の労働力としたのです。
この種の神話は、実は古代宗教でよく見られる形態です。天空神から風・嵐の神への権力のバトンタッチは、狩猟から農耕への文化の変容を表しています。農耕に必要不可欠な雨をもたらす嵐や風の神が、人間の信仰の対象になったからです。
エンリルが築き上げた神殿はエクルと呼ばれ、「山の家」という意味を持ちました。エクルは天地を結びつける役割を持ち、エドゥルアンキというジグラットがそびえ立っていたといわれます。エンリルは大地の神としての役割も持つことになったのです。
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運命はエンリルの決定次第、天命を刻むトゥプシマティ
エンリルは、多くの神話で神々の代表者であると語られています。神話のほとんどで神々に命令を下すのはエンリルの仕事なのです。神々の会議は、エンリルの神殿の中にあるウブシュウキンナで行われました。神々と人間の運命はここで決定されます。
至高神アヌを中心に行われる会議は、7柱の運命を決める神々によって行われました。そして、この会議の決定事項は、エンリルの持つ天命のタブレット「トゥプシマティ」に書き込まれ、エンリル自身が執行します。
この特別な権限は彼の名を冠して、エンリル権と呼ばれました。
こうした強い権限を持つエンリルは、人間への王権授与の神としても機能するようになります。古代メソポタミア各都市の王や統治者はエンリルに任命を受けることで、正当性を誇示しました。そのため、王に敵対することはエンリルへの敵対を意味し、秩序の破壊者とみなされたのです。侵略戦争の多くはエンリルの名の下に行われました。
風や嵐を司る神だったエンリルですが、その役割はどんどん拡大していきます。
王権のみでなく各都市の領土の境界線もエンリルの名において決定されたといいます。
エンリルはすべての都市神の上位の神であり、律法においても重要な神になりました。ハンムラビ法典の序文にも、エンリルの政治的な面が言及されています。法や契約、秩序を司る一面がクローズアップされた結果、エンリルは商人の神としても崇められました。中には呪術や儀式においても、エンリルの承認が必要なものがあったといいます。
これは、バビロニアやアッシリアの台頭後も変わらず、エンリルをはじめとする古い神々への尊敬は、新しい神々と習合しても失われませんでした。
人間にとって、エンリルが大変重要な神であったことがわかりますね。
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あの手この手の破壊活動、激情の神エンリル
さて、このように信仰を集めていたエンリルは、どのような性格の神なのでしょうか。
秩序と王権を司る存在になったエンリルでしたが、短慮な激情家の一面も知られています。思慮の浅さが災いし、神々からの反逆を受けることもあったと『アトラ・ハーシス』『アンズー神話』には記されています。エンリルの神殿が下級の神々に包囲され、労働の道具に放火されてしまった逸話は驚きです。
『ギルガメシュ叙事詩』では天の雄牛を殺したギルガメシュとエンキドゥを罰し、エンキドゥに死を与えました。詩歌「ウル滅亡哀歌」『アッカドの呪い』では都市を見放し、異民族を送り込んで滅ぼしました。エンリルは、時に大規模な破壊や破滅をもたらす恐ろしい神でもあったのです。
『アトラ・ハーシス』には、エンリルの傲慢さを示すお話があります。人間の働く音が気に障り不眠症に陥ってしまったエンリルが、人間を滅ぼそうと決意するというものです。弟である知恵の神エアとアトラ・ハーシスに幾度も阻止されながら、熱病や飢饉、洪水などあらゆる手段を使って目的を果たそうとする姿が描かれています。
天変地異や疫病は、エンリルのトゥプシマティの決定事項。人間に対し、時に理不尽に思うほど荒れ狂うエンリルを、古代メソポタミアの人々は深く畏れ敬ったのです。
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