ファンタジーRPGによくある家の間取りは私たちの住む現実の家のように、大きなリビングやダイニング、寝室、台所などから成り立っています。でも実はこの間取り、実際の中世ヨーロッパとはだいぶ異なっていることはご存じですか?
今回は、中世ヨーロッパの人々がどこでどんな食事をしていたのか、農民の例を中心にご紹介しましょう。
目次
存在しなかったダイニングルーム
まず、中世ヨーロッパの人々はどんな場所で食事をしていたのでしょう?
家の中に食事をするための場所(いわゆる食堂、ダイニングルーム)が初めて設けられたのは、18世紀のフランスだといわれています。
それ以前の時代には食事を取るための部屋は無く、王侯貴族から農民まで、人々は食事の度にテーブルや椅子を引っ張り出し、食べ終えるとまた片付けていました。特に農民の場合はそもそも部屋がひとつしか無かったため、食事の後はテーブル板を片付け、家族みんなでひとつのベッドにもぐりこみ雑魚寝をしています。
当時、テーブルクロスや食器は高価なものが多かったため、財産とみなされていました。銀製食器、磁器、ガラスや錫のグラスなどは富と権力の象徴で、嫁入り道具にも選ばれた程です。
スプーンやフォークは時代が下ると使われるようになりますが(中世ヨーロッパの人々は長い間、手づかみで食事をしていました)、貴重品のため貸し出されず、宴会の際には客が持参することもありました。
かまどが無い家も多かった
厨房の様子は都市部と農村とで大きく異なっています。
*都市部
・かまどがある家は約4割(外食も盛ん)。
・富裕層の家にはパン焼き窯あり。
・庶民は公共の焼き窯に依頼しパンを焼いてもらう。
*農村部
・かまどはあっても煙突は無し。
・パンを焼く時は領主の家のパン焼き窯を借りる。
厨房は大きな家に行けばあり、作業台として板が常設されていました。
都市部では外食も盛んで、かまどがある家は約4割程です。農村では中世後期まで、かまどがあっても煙突は無く、家の中にかまどの煙が立ち込めていました。
パンは専用の窯で焼いて作りますが、当時、パン焼き窯があったのは富裕層の家だけで、庶民は公共の焼き窯や領主の家のパン焼き窯を借りてパンを焼いていました。
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ピクニックや屋台で外食
中世の人々は家の外でも度々食事を楽しんでいます。
少なくとも13世紀にはピクニックが行われていたことがわかっています。貴族の男性たちは野山で狩りをすると、婦人たちとともに青空の下で持参したパンやお菓子、鶏のパテなどを食べたり、食後のレクリエーションとしてチェスや踊りを楽しみました。
またロンドンやパリなどの都会では、屋台や軽食堂で食事を取ることも可能です。
たとえば12世紀後半のロンドン・テムズ川周辺には、ミートパイや揚げ物、パテ(ひき肉料理)やラグー(ミートソースのようなもの、または煮込み料理)など、ありとあらゆる料理の店が立ち並び、金持ちから貧民まで様々な人々が食事を楽しんでいました。
典型的な農家の食事とは?
最後に典型的な農家の食事をご紹介しましょう。
*農家の食事
・黒パン(北方ではオートミール=ミルク粥)
・チーズ
・ワイン(北方ではビール)
・どろどろのポタージュスープ
・果物(リンゴ、梨、サクランボ、プラムなど)
農家の食事は毎回ほぼ同じメニューです。
資源や労力を節約するため、農民はたまにしかパンを焼きません。古くなったパンはまずい上に硬く、農民たちはワインやスープ、鍋で溶かしたチーズに浸してパンを食べていました。それでも彼らは、まずいものなら食べ過ぎることは無いので倹約になると考えていたようです。
スープは豆や野菜、まれに魚肉や塩漬け肉を煮込んで作ります。食べやすいようとろみがつけられ、香り付けにハーブが使われることもありました。スプーンが登場するのは15~16世紀になってからで、それまではひとつの器にスープを入れ、家族皆で回し飲みをしています。
かまどや煙突が無い家も多く、テーブルは食事が終わる度に片付け、スープは皆で回し飲み。でも都会に行けば屋台もあり、様々な味を楽しめる。
中世ヨーロッパの食事風景は、皆さんの想像通りでしたでしょうか? 小説や漫画などを創作する時もこうした知識を取り入れれば、よりリアルな描写に繋がるかもしれませんね。
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