世界の神話の中には、ニレの木が登場するものがいくつもあります。
たとえば北欧神話では、人類最初の男女はトネリコとニレの木から作られたとされています。
また北海道日高地方に伝わる神話では、アイヌの人々の祖先はハルニレの木から生まれた女神チサキニの子どもだといいます。
今回はそんなニレの木にまつわる神話をご紹介しましょう。
目次
ニレってどんな木?
まず、そもそもニレってどんな木なのでしょう?
ニレは世界各地に分布する樹木で、常緑のものや落葉、半落葉性のものなどいくつかの種類があります。ヨーロッパなどでは街路樹として使われたり、中国や日本では古くから絵画の素材として愛されたりしてきました。春や秋になると咲く花は3月10日、9月5日の誕生花で、「高貴」「威厳」「名誉」「愛国心」といった花言葉があります。
「ニレ」という名前は、「滑れ」(ぬれ)が転じたものだといわれています。樹皮の内側に粘り気があり、ヌルヌルと滑りやすくなっていることからニレと呼ばれるようになりました。
漢字では「楡」と書きますが、この字のつくりの部分は「くりぬく」という意味を持つ舟と刀から成り立っています。ニレの木の芯が朽ちやすいため、このような漢字を書くようになったのです。
ニレは英語で”elm”(エルム)といいます。その語源はケルト語の”ulm””elm”だという説や、ラテン語の”Ulmus”が訛ったものだという説があります。
トロイ戦争と1本のニレの木
ニレはギリシア神話にも登場します。
トロイの木馬で有名なトロイ戦争の時のお話です。
トロイア軍はトロイア城近くの浜辺でギリシア軍の軍船を見つけると、すぐに応戦しようと兵を集めました。先陣を切ったのはプローテシラーオスという武将です。ところが彼は、ギリシア軍の中に勇ましく飛び込んだものの、敵将のヘクトールにあっけなく斃されてしまいました。
プローテシラーオスの妻は夫の死をたいそう悲しみ、オリュンポスの神々に「もう一度、ほんの3時間でかまいません。どうか夫に会わせてください」と祈ります。すると主神ゼウスはこれを聞き入れ、プローテシラーオスの魂を冥界タルタロスから呼び寄せると、出征前に妻が作っていた夫の像に移しました。
魂が移されたプローテシラーオスの像は生きているかのように動き出し、妻を呼び寄せます。やがて約束の時間が過ぎると、プローテシラーオスの魂は冥界に帰り、妻は自ら命を絶ちました。
ふたりが埋葬された後、プローテシラーオスの墓のそばに1本のニレの木が芽生えます。ニレの木はやがて墓を覆い、トロイアの城壁を見渡せるほどに大きく成長すると、すぐに枯れてしまいました。しかしその跡にはまた同じニレの若木が芽吹いたということです。
◎関連記事
ウイルス? ギリシア神話? 「トロイの木馬」の2つの意味
オルフェウスとニレの木
ギリシア神話の中から、ニレの木にまつわるお話をもうひとつご紹介しましょう。
古代ギリシアの詩人オルフェウスには、エウリュディケーという仲の良い妻がいましたが、ある日彼女は毒蛇に咬まれて亡くなってしまいます。悲しみに暮れたオルフェウスは、彼女を連れ戻すべく冥界へと向かうことにしました。
オルフェウスは冥界の王ハーデスの元へたどり着くと、妻を想い美しい歌を歌います。その調べに心を打たれたハーデスは、オルフェウスが妻を連れ帰ることを許可しました。
「ただし、地上に戻るまで決して後ろを振り返ってはならぬ。もし振り返ったら、彼女はたちまちこの冥界に引き戻されてしまうだろう」
オルフェウスはこの条件を快諾します。ところが冥界から戻る途中、妻がついてきているか心配になり、思わず後ろを振り返ってしまいました。するとエウリュディケーはあっという間に冥界へ連れ戻されてしまい、二度と黄泉還ることは叶いませんでした。
こうして二度も妻を失ったオルフェウスは、悲しみを和らげようと、以前にも増して熱心に竪琴を奏でるようになります。
その音色を聴いた木々の中に、1本のニレの木がありました。ニレはオルフェウスの竪琴を聴いて立派な木立となり、オルフェウスはニレの木のそばで竪琴をかき鳴らしたり休憩したりしたといいます。
やがてオルフェウスは亡くなり、冥界にいるエウリュディケーと再会します。ふたりはそれから、もう二度と離れ離れになることなく一緒に暮らしたということです。
◎関連記事
ケロちゃんの真の姿?! ギリシア神話の番犬ケルベロス
アダムとイブはりんごを知らなかった? 知恵の実の正体に迫る