中世ヨーロッパといえば騎士の時代。騎士たちはどのような暮らしをし、何を見て何を考え、どんな人生を送っていたのでしょう?
このシリーズでは、1165年にフランスに誕生した架空の騎士ジェラールを案内人に、中世ヨーロッパと騎士の姿をわかりやすくご紹介していきます。
第12回目のテーマは、「騎士道」です!
目次
現代とは少し違う「騎士道」
14歳になったジェラールは、王都(首都)パリへと赴き、宮廷で小姓として務めながら騎士になるための修業を本格的にスタートさせました。
今回は宮廷で学ぶべき最も大切な事項、「騎士道」についてお話しましょう
「騎士道」とは、騎士が持つべきモラル(道徳)のことで、11世紀頃から登場したとされます。
騎士道精神は「忠誠」「公正」「勇気」「武芸」「慈愛」「寛容」「礼節」「奉仕」といった抽象的な言葉で表されます。これらの中には、現代の価値観とは少し違うものもありますので、いくつかもう少し詳しくご説明しましょう。
*「慈愛」「奉仕」「寛容」
「慈愛」は騎士から貴族階級の婦女子に対して与えられます。あくまでも騎士社会内部のもので、農民など身分の違う者に対して優しく接するということはほとんどありません。
「奉仕」「寛容」は貴族階級の婦女子の他、カトリック教会に対しても捧げられます。
こうした騎士道精神は、貴族趣味の恋愛ゲームへとつながることもありました。
*「勇気」
「勇気」というと、弱者を助けるために強者に立ち向かうことのように思えますが、中世ヨーロッパでは、「自らの名誉や誇りのために敵と戦うこと」を意味していました。一種の「蛮勇」とも言い換えることができそうです。
また、この「勇気」は貴婦人との恋愛ゲームを飾るためにも使われました。
現実には、常に騎士道精神を守って暮らすというのはなかなか難しいものです。ですがこうした騎士道精神を学ぶことで、雅で堂々とした振る舞いを身につけたり、乱暴な言動を慎むことができたのです
騎士道物語
中世ヨーロッパの騎士道について、もっと詳しく知りたい――そんな方におすすめしたいのが、騎士たちの活躍を描いた「騎士道物語」です。
まだ本が無かった時代、吟遊詩人たちは韻文の「武勲詩」を作り、調子よく美しいメロディをつけて口頭で物語を伝えました。こうした武勲詩は、実在の騎士たちの冒険譚が基になり作られたものです。
フランスで最も有名な武勲詩に、11世紀頃から広まった『ロランの歌』(作者不詳)があります。8世紀頃、シャルルマーニュがスペインに遠征し、イスラム軍と戦った時の勇気や名誉にまつわる物語です。当時の騎士道がよくわかりますよ
12世紀以降になると、武勲詩に代わり、「騎士道物語」が盛んに作られるようになります。騎士道物語は武勲詩とは違い、史実に基づかないフィクションでした。
中でもとりわけ有名なのは「アーサー王伝説」と呼ばれる一連の物語です。はじめはアーサー王や彼の騎士たちの物語が別々に作られていましたが、15世紀になるとイギリスの騎士トーマス・マロリーによって『アーサー王の死』という集大成としてまとめられます。
アーサー王伝説をはじめとした騎士道物語はフィクションなので、恋愛の要素も多く描かれています。騎士と貴婦人の愛の物語、素敵ですよね
宮廷恋愛詩
もうひとつ、当時の騎士道がどんなものだったのかがわかるものがあります。「宮廷恋愛詩」です。
宮廷恋愛詩は南フランスで11~13世紀にかけて流行した、恋愛がテーマの詩です。作者のことを抒情詩人トゥルバドゥールと呼び、貴族階級のアキテーヌ公なども当時トゥルバドゥールとして有名でした。
11世紀頃までは、たとえ貴婦人といえど、女性の扱いは現代から比べると酷いものでした。貴婦人は政略結婚の道具であり、父親や夫から暴力を振るわれたり、侍女と同じように扱われることも珍しくありませんでした。
そうした中、宮廷恋愛詩や騎士道物語では、騎士たちが貴婦人に愛や忠節を捧げ、丁寧な態度で接する姿が描かれています。文学作品と現実は違うとはいえ、これらの作品が女性の地位向上に一役買っていたといえそうです。
次回は騎士道以外に宮廷で私が学んだことをお話しましょう。お楽しみに!
◎中世騎士物語
騎士が生まれた日 ~騎士と従士制~
騎士が生まれた日 ~騎士になるための教育~
騎士が生まれた日 ~中世ヨーロッパの階級社会~