シャラン、とコインベルトを鳴らし、胸の谷間やウエストもあらわに女性の美しさを見せつけるように舞う踊り子は、ファンタジーの世界にもたびたび登場しますね。
ベリーダンスはそんな踊り子たちの原型ともいえるような、女性のソロダンスです。
ベリーダンスの歴史は、遠く古代エジプトにまで遡るといいますが、ルーツははっきりしておらず、謎も多いといいます。美しさと激しさをあわせもつ女性の踊り、ベリーダンスについてご紹介しましょう。
目次
美しいけど難易度★★★★★ 魅惑のベリーダンス
ベリーダンスは腰を揺する円の動きが特徴です。女性らしいしなやかな印象とは裏腹に、激しい運動量を誇ります。腰だけでなく腕やステップにいたるまで、その動きはすべてが円運動で行われます。体力とテクニックが必要とされるため、練習のさなか関節や腰を痛めるダンサーも多く、難しい踊りとしても知られています。
衣装は時代や地域により違いがあります。現代ではウエストをむき出しにして、ブラジャーと丈の長いスカートを身につけ、足元は裸足というのが定番のスタイルです。
これに、布やステッキなどの小道具を用いることもあります。
踊り子の体を飾る、きらびやかなアクセサリーも重要な要素です。ヒップスカーフやコインを用いたベルトをつけることが多く、髪や耳、首や腕にいたるまで全身にアクセサリーをつけることも珍しくありません。アラビア風の演出として、フェイスベールをつけることもあります。顔の半分をベールでおおい、マスクのように耳で固定するスタイルです。
ほかにも、トライバルスタイルのベリーダンサーにはタトゥーなども好まれ、ヘナなどの染料でアラベスク風にボディペインティングを施すこともあります。単なる装飾だけでなく、祈りや魔除けの意味を込めたものです。古くは、祝いや祈りの舞であったベリーダンスの歴史が影響しているといえるでしょう。
次項では、そんなベリーダンスの歴史にクローズアップしてみます。
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タブーに負けない! エジプトに息づいたベリーダンス
ベリーダンスは、19世紀の後半にアラブのダンサーがアメリカのイベントで披露したことをきっかけに広く知られるようになりました。現在のベリーダンスは、20世紀アメリカで発展したもので、腹部を露出する妖艶な衣装もアメリカが発祥とされています。
しかし、ベリーダンスの起源は古代エジプトというのが定説です。エジプトの遺跡には着飾った貴人の前で踊るダンサーの壁画が残されており、結婚式などの祝いの席で踊られたと考えられています。
古代エジプトの舞踊文化は詳しく伝わっていません。しかし踊り好きな土地柄でベリーダンス以外にも、多数の民族舞踊が存在します。サイディ、ヌビアンなど現在にも名前の残るダンスが数多くあるようです。
6世紀ごろイスラム教が中東に広まると、それまでのベリーダンスは女性だけのパーティや親族だけの集まりで披露されるようになっていきました。しかし、イスラム教では女性が肌を晒すのはタブーですので、ベリーダンスが公に披露されることはなくなっていったのです。
そのエジプトに、ある踊り子の集団が現れます。
18世紀のエジプトの大都市で活躍した「ガワズィ」という女性ダンサーたちです。19世紀の記録によると、彼女たちの踊りは舞いながら服を脱ぎ、最後には裸になるというものだったといいます。
ガワズィはエジプトやアラビア半島の広範囲に住んでいて、芸能に秀でた一族だったという説があります。特殊な生業のために差別を受けたともいいますが、反面祝い事などでは重用され、現代のエジプトでもガワズィといえば踊り子をさします。エジプトで踊り子が親しまれてきた証ともいえるでしょう。現在のエジプトでもベリーダンスは本場のひとつです。
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トルコ宮廷と街中の華、今に受け継ぐベリーダンス
ベリーダンスはエジプトに起源をもつ一方で、北インドにもそのルーツがあるとも言われます。北インドの舞踊はベリーダンスと共通点が多いのが理由のひとつです。また、ベリーダンスの伝播や継承に深く関わっているロマやドムなどの流浪の民族も、北インド発祥だといわれています。
しかし、ベリーダンスのメッカといえば、やはり中東地域です。
ベリーダンスは、別名をオリエンタルダンスともいいます。これはトルコでは「東方の踊り」という意味です。アラブ圏では「ラクス・シャルキ」といい、これも東方の踊りという意味をもちます。
トルコでは、15世紀オスマン帝国のころ、皇帝のハレムで女性がベリーダンスを踊っていました。踊り子は戒律に縛られない、非ムスリムの白人やロマ、アジア・アフリカ系などさまざまな出自の女性たちによって踊られていたようです。
歴史的にはっきりとしているベリーダンサーは、このハレムの踊り子たちだと言われています。20世紀になり、ハレムが解散するまで彼女たちはトルコのベリーダンスの担い手として重要な役割を果たしました。
また、皇帝のハレムにだけでなく、街中にもベリーダンスを踊る女性たちがいた点も見逃せません。彼女たちは裕福な市民の祝事などで活躍したようです。踊り子の女性は「チェンギ」は呼ばれ、4部構成からなる数種類のベリーダンスや歌を披露していました。チェンギは、楽器を担当する「シュラチ」と共に「コル」という一座を組んでいて、エリート芸人集団として宮廷に召し抱えられることもありました。
こうした背景からトルコを含む中東では、ベリーダンスが今も盛んに踊られています。