ケルト神話の中で、「銀の腕」のヌアザの後を継ぎ、アイルランドを統治した光明神ルーグ。あまり知られていないかもしれませんが、ルーグだけでなく彼の父キアンにも、ロマンスと非業の死をめぐる壮大な神話が残されています。
『ケルト神話』(池上 正太著)では、トールキンを始めとするヨーロピアン・ファンタジーの大元ともなったケルト人たちの物語を丁寧に解説しています。
今回はその中から、光明神ルーグの父キアンにまつわる神話をご紹介しましょう。
目次
キアンとエスリンの恋①雌牛をめぐる因縁
キアンはトゥアハ・デ・ダナンの医療と工芸の神ディアン・ケフトの息子のひとりで、魔術の腕にもすぐれた戦士であり、牧畜の神でもありました。
ある時、彼は兄弟神のサワンとともに鍛冶神ゴブニュのもとで牧童として働き始めます。
ところがキアンが面倒を見ることになった雌牛は200樽もの乳を出すことができたため、フォーモール族の王バロールから狙われてしまいました。
バロールは赤毛の少年に変身すると、キアンの代わりに雌牛の番をしていたサワンを騙そうと、こんなことを言います。
「キアンはゴブニュに頼んで極上の鉄で剣を作ってもらおうとしている。サワンの剣には屑鉄しか使わせないつもりだ」
サワンはこの言葉に見事に引っ掛かり、少年に雌牛の手綱を預けると、ゴブニュのいる母屋へと怒鳴り込みに行ってしまいました。こうしてバロールはまんまと雌牛を攫うことに成功します。
事の顛末を知ったキアンはバロールを憎み、復讐のためにバロールのひとり娘エスリンを自分のものにしてやろうと考えました。
キアンとエスリンの恋②ルーグの誕生と預言の成就
当時、バロールはドルイドから、「自分の孫に殺害される」という不吉な預言を受けていました。そのため彼はひとり娘のエスリンを島の断崖絶壁にある高い塔に閉じ込めると、侍女だけに面倒を見させて男を一切近付けないようにしていました。
そこでキアンは別のドルイドの助言を受けて女装すると、賊に追われる高貴な女性のふりをし、保護を求めて塔の中に潜り込むことに成功します。こうしてキアンとエスリンは出会い、3柱の子どもをもうけました。
バロールは子どもたちが生まれたことを知ると、預言の成就を恐れ、子どもたちをアイルランド沖に捨てさせます。ところが3柱のうちひとりだけが奇跡的に小さな湾に流れ着き、女ドルイドに救出されました。
この子どもこそが後に光明神と呼ばれることになるルーグです。ルーグは海神マナナンなどに預けられ、様々な技術を習得しながら成長します。そうして後に預言の通り、バロールを殺害しました。
ルーグの復讐①キアンの最期と賠償請求
さて、時代を少し戻して、ルーグがフォーモール族との決戦でバロールを殺害する少し前に起きた、父キアンの最期をめぐる物語もご紹介しましょう。
成長したルーグはフォーモール族との決戦を控え、各地に援軍の要請を行いました。父親のキアンはその使者のひとりとして、北のアルスターへと旅立ちます。
ラウス州モイ・ムルヘイナの辺りまで来た時に、キアンはトゥレンの3人の息子たちに出くわしました。彼らはトゥアハ・デ・ダナンの勇敢な戦士ですが、残忍な性格で、見つかれば命を奪われてしまうかもしれません。
そこでキアンは豚に変身し、放牧されている豚の群れに紛れて彼らをやり過ごそうとします。ところが3兄弟に見破られ、近くに落ちていた丸石で撲殺されてしまいました。
キアンが戻らないことを心配したルーグは探索の末に父の遺体を発見し、誰が犯人なのかを悟ります。拠点に戻った彼は復讐を誓うと、3兄弟に、3つの林檎、豚の皮、槍、2頭立ての戦車、7匹の豚、子犬、焼き串を用意することと、丘の上で3度叫ぶことという賠償を求めました。
どんな恐ろしい復讐をされるのかと恐れていた3兄弟は、このありふれた内容の賠償請求に拍子抜けし、必ず賠償すると誓います。
しかしルーグの求めた品々は実は魔法の宝で、危険な旅に出なければ得られない代物でした。ルーグはこの品々を得るための旅で、3兄弟を苦しめ死なせようと考えたのです。
ルーグの復讐②苦難の旅とキアンの復讐
3兄弟は世界各地を旅し、苦難の末に、ヘスペリデスの園にある黄金の林檎3つ、ギリシア王テュイスの持つ治癒の力を秘めた豚の皮、ペルシア王ピサールの持つ燃える毒槍、シシリア王ドバールの持つ2頭立ての戦車、黄金の柱の国の王アサールの持つ魔法の7匹の豚、ノルウェー王の持つ子犬フェリニスを手に入れます。
あとは焼き串を手に入れ、丘の上で3度叫べば賠償も完了です。
魔法の品々が揃えられていくのを知ったルーグは、戦いに備えて早急にこれらの宝を手元に置きたいと考え、また彼らに絶望を味わわせようと策を練ります。ルーグは3兄弟が残りの仕事を忘れて故郷に帰りたくなるよう、魔法を掛けました。
魔法に掛かった3兄弟はすっかり試練を終えたと思い込み、急いで王都タラに戻ると、集めた財宝をルーグに提出しました。ルーグはそれらを丁寧に点検すると、「自分が要求した財宝はまだ全て揃っていない」と冷たく告げ、魔法を解きます。
試練が終わっていないことを知った3兄弟は絶望し、気を失ってしまいました。
それでも何とか旅を再開すると、海底にある女戦士たちの国で焼き串を手に入れ、ノルウェー地方ミドガンの丘へと向かいます。そこで3度叫べば今度こそ辛い旅も終わるのです。
丘の上で待っていたのは、キアンの師匠ミドガンとその息子たちでした。3兄弟は乱戦の末に何とか彼らを斃し、丘の上で3回叫びますが、長旅の疲れと戦いの傷でもはや命も尽きかけていました。
事態を知った兄弟の父トゥレンは、ルーグに賠償を果たしたことを報告し、息子たちを助けてほしいと頼みます。しかしルーグはこれを冷たく断りました。
こうして3兄弟は亡くなり、父トゥレンと妹エフネは彼らの武勲と悲劇を伝える詩を詠った後、息絶えたということです。
復讐のためにバロールの娘を奪おうとしたキアンと、父の仇を討つために3兄弟に過酷な試練を課したルーグ。親子の性格には似たところがあるのかもしれません。
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