中世ヨーロッパといえば騎士の時代。騎士たちはどのような暮らしをし、何を見て何を考え、どんな人生を送っていたのでしょう?
このシリーズでは、1165年にフランスに誕生した架空の騎士ジェラールを案内人に、中世ヨーロッパと騎士の姿をわかりやすくご紹介していきます。
第10回目のテーマは、「開墾」です!
目次
農事暦と人々の生活
前回は父から教わった領地の話をしました、今回は農民たちの農作業風景をご紹介しましょう
「農事暦」と呼ばれる絵暦があります。11世紀末頃から広まったもので、その月に行われる農作業や自然、人々の生活などが描かれています。
11~15世紀頃までの人々がどんな生活を送っていたのか、農事暦の内容をもとにご紹介しましょう。
1月:新年の宴を開く。
2月:薪の伐採と出荷を行う。暖かい土地では葡萄の剪定がはじまる。
3月:夏麦の耕作と播種。
4月:そろそろ馬を外に出す季節。花が咲きはじめ、貴族たちは遊覧に出掛ける。
5月:馬の放牧を行う。貴族たちは森へ遠乗りして遊ぶ。
6月:干し草を作る。
7月:麦の収穫や羊毛刈りを行う。
8月:葡萄酒の樽を作る。貴族たちは鷹狩りや水遊びを楽しむ。
9月:葡萄摘みを行う。
10月:冬麦の播種、葡萄酒作り。
11月:豚を森に連れて行き、ドングリを食べさせて太らせる。
12月:豚を塩漬けにして冬の間の食糧にする。
2月:薪の伐採と出荷を行う。暖かい土地では葡萄の剪定がはじまる。
3月:夏麦の耕作と播種。
4月:そろそろ馬を外に出す季節。花が咲きはじめ、貴族たちは遊覧に出掛ける。
5月:馬の放牧を行う。貴族たちは森へ遠乗りして遊ぶ。
6月:干し草を作る。
7月:麦の収穫や羊毛刈りを行う。
8月:葡萄酒の樽を作る。貴族たちは鷹狩りや水遊びを楽しむ。
9月:葡萄摘みを行う。
10月:冬麦の播種、葡萄酒作り。
11月:豚を森に連れて行き、ドングリを食べさせて太らせる。
12月:豚を塩漬けにして冬の間の食糧にする。
貴族たちは遊んでばかりですって? いえいえ、遠乗りも狩りも、一種の軍事演習になっていたんですよ。本当ですって!
中世に普及した「三圃式農法」とは?
8世紀末頃から、フランス北部を中心に「三圃式農法」(さんぽしきのうほう)と呼ばれる新しい農法が普及しはじめます。
「三圃」とは3つの畑のことで、「三圃式農法」とは、3つの畑でローテーションを組み、「冬麦→夏麦→豆類または休耕」と1年ごとに植えるものを変えたり休耕地にしたりするという農法です。3年に1度、畑を休耕地(または豆類の畑)にするのは、衰えた地力を回復させるためでした。
かつてローマ時代には、耕作地と休耕地を交互に繰り返す「二圃式農法」が行われていました。それに比べ、三圃式なら2年続けて畑を利用できるので、農業生産量を増やすことができたのです
三圃式農法で植えられていた冬麦・夏麦・豆類とはどのようなものだったのでしょう?
*冬麦
・ライ麦と小麦のこと。黒パン、白パンの材料になる。小麦は12世紀頃から普及し、庶民もパンを食べられるようになった。
・秋に種を播き、翌年の夏に収穫する。
*夏麦
・大麦や燕麦(えんばく)のこと。
・大麦は元々、人々の主食だったが、小麦が普及してからはビールの材料や家畜の飼料として使われるようになった。
・燕麦はオート麦、カラス麦とも呼ばれ、家畜の飼料になった。
・春に種を播き、夏に収穫する。
*豆類
・地力を回復させる働きがあるため、冬麦・夏麦の栽培の合間に植えられた。
・豆類を育てる以外に、休耕地として牧草を育て放牧が行われることもあった。
三圃式農法がもたらしたもの
私の家の領地でも、この三圃式農法を採用していました。実はこの三圃式農法、農業生産量を増やす以外にも様々な長所があったのです
三圃式農法には次のような長所がありました。
①農業生産量を増やす
前述の通り、三圃式農法を行えば農業生産量を増やすことができます。
とはいえ、フランス全土でこの農法が採り入れられたわけではありません。畑の土質が柔らかかったフランス南部では、ローマ時代と同じ二圃式農法でも十分な収穫を上げられたといわれています。
②年間の労働を分散できる
冬麦と夏麦とでは種播きの時期が異なるため、1度に全ての畑の種を播く必要はありません。
年間の労働を分散させることができた点でも、三圃式農法は農民たちから歓迎されました。
③領地内の畑や集落を1カ所にまとめることができる
三圃式農法では3つの畑でローテーションを組むため、少しでも耕作しやすくなるよう、領地内のあちこちに散らばっていた畑を集約させる必要があります。
畑の集約は、結果的に領地内に散らばっていた家々を村単位で集めることにもつながりました。
中世盛期の畑は犂で耕作しやすいよう、細長い区画に分かれています。休耕時には放牧も行われるため、持ち主ごとに柵で囲まれることはありません。
こうした区画は「帯地」と呼ばれます。農民はいくつも帯地を持っていますが、土地によって地力に差があるため、平等になるように、耕作地の中でバラバラに配置されていました。
三圃式農法で麦や豆を作る畑の他、村には野菜畑や葡萄園、共用の牧草地などもあります。
やぶや荒れ地、湿地を開墾して農地を増やすこともありますが、私の生まれた12世紀にはすでに森林資源が少なくなっており、できるだけ森を残すことが推奨されていました
やぶや荒れ地、湿地を開墾して農地を増やすこともありますが、私の生まれた12世紀にはすでに森林資源が少なくなっており、できるだけ森を残すことが推奨されていました
領地の仕組みや上手な領地経営のやり方、農民たちの生活のこと。
ジェラールは父から様々な内容を学び、少しずつ成長していきます。この先彼がどんな大人になるのか、次回をお楽しみに!
◎参考書籍
『中世騎士物語』
著者:須田 武郎
〉Kindle で読む
◎中世騎士物語シリーズ