シリアにある世界遺産パルミラをご存じですか? 2015年、イスラム過激派組織ISによって遺跡が破壊されたというニュースが流れたのをご記憶の方もいるかもしれません。
ですがパルミラという名前はご存じでも、どんな遺跡なのかは知らないという方も多いのではないでしょうか。今回はパルミラがどんな場所だったのか、わかりやすくまとめてご紹介します。
目次
パルミラってどんな場所?
- 所在地:シリア・アラブ共和国(シリア砂漠中央)。
- 紀元前1世紀頃からシルクロードの隊商都市として栄える。
- 3世紀には女王ゼノビアのもとに独立国家として繁栄したが、わずか13年でローマに併合された。
- 7世紀にイスラム軍に占領された後、地震などで崩壊し廃墟となった。
パルミラは古代都市の名前であり、かつて存在していた国の名前でもあります。
シリア砂漠の中央部、シリアの首都ダマスクスから北東230kmに位置するこの地には、旧石器時代からすでに人が住んでおり、紀元前2000年頃には都市もつくられていました。
紀元前1世紀頃からは、パルミラは中国とヨーロッパとを結ぶシルクロードの交易都市として大いに栄えたといいます。当時のパルミラはローマ帝国の支配下にあり、アゴラ(市場)や公共浴場など、ローマ様式の建物も多数建築されました。
3世紀になると、女王ゼノビアのもとに独立国家としてますます繁栄しますが、ローマ軍の攻撃に遭いわずか13年間で国は消滅、ローマに併合されてしまいます。
その後7世紀になるとイスラム軍に占領されますが、11世紀には大きな地震などもあり、廃墟となってしまいました。
現在では、パルミラはユネスコの世界遺産に登録されています。パルミラ遺跡の発掘調査には日本からも調査団が派遣され、美しい墓や埋蔵品などが発見されました。
2015年にはイスラム過激組織ISによって遺跡が爆破・破壊されてしまいましたが、少しずつ修復が進められようとしています。
パルミラが13年で国が滅びた理由とは
パルミラの歴史の中で最も特徴的なのは、女王ゼノビアのもとに繁栄を極めたものの、たった13年で国が滅びたという点です。
一体何があったのか、少し詳しくみていきましょう。
かつてパルミラはローマ帝国の支配下にあり、植民市としてゆるやかに統治されていました。
260年、パルミラの軍人であり政治家でもあるオダイナトは、ローマ軍とともに、当時ローマの最大の敵だったササン朝ペルシアを撃退します。この功績が認められ、パルミラは独立国家となりました。
ところが268年、オダイナトとその前妻の子どもは何者かによって暗殺されてしまいます。オダイナト亡き後、パルミラを統治したのは妻のゼノビアでした。ゼノビアは幼い実子ワバラットを王位につけると、事実上の政治の支配権を握ります。
ゼノビアは大変な美貌の持ち主で、学問に秀で、ラクダの扱いも上手い才色兼備の女性でした。
ローマとアジアの交易路を独占し、パルミラの勢力を拡大させようと考えた彼女は、270年にエジプトのアレキサンドリアへ遠征し、都市を陥落させてエジプトの穀倉地帯とインドへの海路を手に入れます。
これに怒ったローマは、272年、軍人皇帝アウレリアヌス自ら軍を率いてエジプトを奪い返すと、パルミラにも攻撃を仕掛けました。ゼノビアは必死で戦いましたが、ついにパルミラは陥落し、ローマに併合されてしまいます。
こうして独立国家パルミラはわずか13年で消滅してしまったのです。
ゼノビアはその後、捕らえられてローマに連行されたとも、パルミラの陥落を嘆くあまり絶食して死んだともいわれています。
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その後のパルミラの物語
ローマに併合された後のパルミラについても、簡単にご紹介しましょう。
パルミラはローマに併合されると、ペルシアに対するローマの軍事都市となりました。
その後、634年からはイスラム軍によって占領され、石材などが砦の建設に流用されるようになります。
1089年、パルミラは大きな地震に襲われ、建築物などが多数崩壊。大きな被害を受けてしまいました。
廃墟と化したパルミラはその後長らく歴史の表舞台から姿を消しますが、18世紀になると調査が進められ、1980年にはユネスコの世界遺産に登録されることとなりました。
最後に、パルミラの遺跡の中からベル神殿をご紹介しましょう。
【ベル神殿ってこんな場所】
- バビロニア人の大地の神ベルが祭られていた神殿。
- ベル神の他、太陽神ヤルヒボル、月の神アグリボルも祭られていた。
- 8本の石柱を持つ門や列柱、ぶどうつる草の文様で飾られた玄関門などがあり、ローマ時代の建築様式を見ることができる。
残念ながらこのベル神殿もISによって破壊され、現在では見ることができません。完全に元通りにするのは難しいかもしれませんが、少しずつ修復されていくことを祈るばかりです。
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