様々な色や味を楽しめるお酒・カクテル。お酒は苦手でも、ノン・アルコール・カクテルは好きという方も多いのではないでしょうか?
今回は数あるカクテルの中から、マティーニやマンハッタンにまつわる伝説をご紹介します。
目次
カクテルの語源は闘鶏?
「カクテル」という言葉が初めて使われたのは、1786年のロンドンの新聞「ザ・モーニング・ポスト・アンド・ガゼッティア・イン・ロンドン」の紙上だという説や、1806年5月のアメリカの週間新聞「バランス・アンド・コロンビア・リポジトリ」だという説があり、はっきりしません。
いずれにせよ、カクテルという呼び方は18~19世紀に誕生し、楽しい飲み物として今やすっかり定着するようになりました。
カクテルとは「Cock Tail」(雄鶏の尻尾)という意味ですが、どうしてこの言葉がお酒のカクテルになったのでしょう?
一説によると、その語源はアメリカ西部でバーを経営していた男の話にちなむといいます。
その男は闘鶏で無敗の記録を持つ見事な雄鶏を飼っていましたが、ある日、その鶏が行方不明になってしまいました。
そこで男の娘は、「雄鶏を探し出してくれた人と結婚する」と宣言します。するとひとりの青年士官が雄鶏を取り戻してくれたため、彼女はその青年と結婚することになりました。
娘の父親は、娘が結婚し雄鶏も戻ったことをたいそう喜びパーティーを開きます。宴席でバーにあった酒を混ぜて飲んだところ、非常に美味しかったため、このいきさつにちなんで「雄鶏の尻尾」と名付けたということです。
「カクテルの王様」マティーニ
ここからは有名なカクテルにちなんだ伝説をご紹介しましょう。
マティーニは、ジンとドライ・ベルモットを組み合わせたカクテルで、多くの有名人が愛飲したことから「カクテルの王様」と呼ばれるお酒です。
アメリカ合衆国第32代大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトも、マティーニを愛飲したひとりでした。
黄昏時になり執務時間が終わると、大統領がスタッフにドライ・マティーニを振舞ったことから、アメリカの上流階級の間で黄昏時にドライ・マティーニを飲むことが流行したといわれています。
英国首相ウィンストン・チャーチルもまた、マティーニ愛好家でした。
チャーチルとルーズベルトは遠い血縁関係がある上に飲み友達でもあり、第2次世界大戦のヤルタ会談ではそろってスターリンにマティーニを勧めたということです。
日本でマティーニが知られるようになったのは、GHQ総司令官のマッカーサーがきっかけでした。
マティーニ愛飲家だった彼にならい、部下である連合軍の士官たちもマティーニを飲むようになった結果、彼らが通う銀座や赤坂のバーでも広く飲まれるようになったのです。
マティーニは各国首脳だけでなく、映画の主人公にも愛されています。
「007」シリーズの主人公ジェームズ・ボンドが映画の中で「ウォッカ・マティーニを、ステアでなく、シェイクで」と注文したことから、マティーニのジンをウォッカに変えたお酒を「007マティーニ」と呼ぶようになりました。
「カクテルの女王」マンハッタン
マティーニが「カクテルの王様」と呼ばれるのに対し、マンハッタンは「カクテルの女王」と呼ばれるお酒です。
19世紀のマンハッタンで誕生したこのカクテルの名前の由来は、アメリカ東部と西部で2つの説に分かれています。
東部では、マンハッタンはチャーチルの母親レディ・ランドルフ・チャーチルが考案したものといわれています。
ニューヨーク生まれの彼女は1876年、第19代アメリカ大統領選挙の際に、民主党候補のニューヨーク州知事サミュエル・J・ティルデンを応援するため、高級クラブ「マンハッタン」でパーティーを開きました。その時に彼女の発案で作られたカクテルがマンハッタンだというのです。
一方、西部では、マンハッタンはネイティヴ・アメリカンの言葉で「酔っ払い」という意味であり、ガンマンの気付け薬でもあるといわれています。ですが実際のマンハッタンは「丘の多い島」という意味のようです。
今回ご紹介したマティーニやマンハッタンをはじめ、カクテルは酒やグラスの組み合わせ、店やバーテンダーなどにより無限のバリエーションを持ちます。
お気に入りのお店でグラスを傾けつつ、時にはカクテルの歴史に思いを馳せるのも素敵な時間になりそうですね。
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