執事やメイドなど、お屋敷で働く使用人にとって、外出の時に出会う商人や、お屋敷を訪れる郵便配達人とのふれ合いは貴重な息抜きの時間になっていました。
今回はそんな、ヴィクトリア朝の街で活躍していた街頭商人や郵便配達人をご紹介しましょう。
目次
街頭商人ってどんな人たち?
街頭商人ってどんな人たち?
・路上で様々な商品を売ったり、芸をするなどして金を稼ぐ商人。
・取扱商品:魚、果物、野菜、牛乳、フィッシュアンドチップスやサンドイッチなどの軽食、職工品、ゴシップ誌など。
・客である使用人たちの恋愛事情などに詳しいことも。
街頭商人とは、路上で食料品や軽食、職工品、雑誌などを売ったり、芸などをして暮らしていた人々です。
お屋敷で暮らす使用人たちは、外出を許された時に街頭商人からフィッシュアンドチップスや鰻のパイ、サンドイッチなどを買って食べたり、お屋敷で世話をしている子どものおやつや牛乳を買うなどしていました。
そのため街頭商人は使用人たちと親しくなったり、彼らの恋愛事情などを把握していることもあったといいます。
街頭商人の種類と人柄
ひとくちに「街頭商人」といっても、その種類は様々です。ここでは代表的な例をいくつかご紹介しましょう。
*口上香具師
・ゴシップ誌を独特の口上とともに売り歩く。
・牧師など、元知識階級の出身者が多い。
・自称「街頭商人の貴族」。
*呼び売り商人
・魚、野菜、果物などを卸売市場で仕入れて売りさばく。
・子どもの頃から親と一緒に市場を回り、商売を覚えた。
・ギャンブル好きで乱暴、無学だが頭の回転が速い人が多い。
・同業者間では高潔で正直、子どもには優しいが、商売の邪魔をする警察官は敵とみなした。
*街頭職人
・街頭で、自分の作った職工品を売る。
・落ちぶれてしまった職人が多い。
・商品は街頭で作成することも多い。
*街頭芸人
・街頭で人形劇や曲芸をして金を稼ぐ。
・派手好きだが職人気質。
・人気が出ると大きなお屋敷に呼ばれて芸をすることも。
ヴィクトリア朝の時代には、こうした様々な街頭商人たちが路上で活躍しており、お屋敷の使用人たちとも接点を持っていたのです。
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19世紀の郵便制度とは?
お屋敷の使用人と関わるもうひとつの職業、郵便配達人をご紹介しましょう。
そもそも19世紀初頭のイギリスでは、現在とはかなり異なる郵便制度をとっており、郵便は庶民には利用しづらいものでした。
しかし1840年になると「ペニー郵便制度」が成立し、郵便の仕組みは現代と同じようなものになります。
【~1839年の郵便制度】
・距離によって料金が変わる。
・便箋の枚数でも料金が変わる。
・受取人が料金を支払う。
↓↓↓
【1840年~の郵便制度】
・国内なら距離に関わらず料金は均一。
・郵便の重さで料金が変わる。
・差出人が料金を支払う。
・距離によって料金が変わる。
・便箋の枚数でも料金が変わる。
・受取人が料金を支払う。
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【1840年~の郵便制度】
・国内なら距離に関わらず料金は均一。
・郵便の重さで料金が変わる。
・差出人が料金を支払う。
1840年にペニー郵便制度が導入されるまでは、郵便物の距離や便箋の枚数によって料金が変化したため、人々は節約のために便箋いっぱいに文字を書くなど工夫をしなければなりませんでした。
また料金は受取人が支払うので、郵便配達人はその都度受取人と直接交渉しなければならず、配達に非常に時間がかかったといいます。
ペニー郵便制度の導入や鉄道という輸送手段の登場により、郵便は庶民にも利用しやすいものとなりました。ヴィクトリア朝後期には、郵便は一般的な連絡手段になったのです。
郵便配達人とお屋敷の使用人
郵便配達人とお屋敷の使用人とは、どんな繋がりがあったのでしょう?
ペニー郵便制度が導入された1840年以降も、郵便受けという概念はあまり一般的ではなく、郵便配達人たちは受取人の家を一軒ずつ回って直接手紙を届けていました。
当時、お屋敷の中で生活する使用人たちに宛てられた手紙は、執事(バトラー)や家政婦(ハウスキーパー)といった代表者がまとめて受け取り、他の使用人たちに手渡していたといいます。
下級使用人にとっては直接手紙を受け取れないことがストレスになりましたが、上級使用人にとっては、郵便配達人と会話する時間は外の世界に接することができる貴重な時間であり、息抜きにもなっていました。
こうした事情から、郵便配達人が使用人たちの食事に招待されることもあったといいます。
使用人たちとの接点も少なくなかった、ヴィクトリア朝時代の街頭商人や郵便配達人。彼らの生活を知ることで、当時の庶民の生活をうかがい知ることができそうです。
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