中世ヨーロッパといえば騎士の時代。騎士たちはどのような暮らしをし、何を見て何を考え、どんな人生を送っていたのでしょう?
このシリーズでは、1165年にフランスに誕生した架空の騎士ジェラールを案内人に、中世ヨーロッパと騎士の姿をわかりやすくご紹介していきます。
第7回目のテーマは、「騎士になるための教育」です!
目次
騎士になるための教育とは?
7歳になったジェラールは、他の子どもたちと戦いごっこをして遊んでいます。父親は彼を将来立派な騎士にすべく、そろそろちゃんとした教育を受けさせたいと考えていました。
騎士の子以外でも7歳ぐらいになると、農民の子は畑の手助けを、職人の子は仕事場の手伝いをはじめます。仕事を教えることが一種の教育になっていたんですね
騎士になるための教育は、戦闘訓練が中心でした。主な内容をご紹介しましょう。
*乗馬訓練
まずは馬という動物を理解し、上手に乗りこなせるようになることが目標です。乗馬や武器の扱い方を覚えれば、父親らと一緒に狩猟にも連れて行ってもらえるようになります。
*剣の練習
はじめは木剣を使い、慣れてからは鉄の真剣を振るって実践の勘を積みます。慣れないうちは自分の剣で自分を傷つけないようにすることが大切でした。
*クォータースタッフの練習
ファンタジーRPGなどでもおなじみのクォータースタッフとは、2m超の樫材でできた木棒です。この長い武器を振るって攻撃や防御の練習をすることで、身体のバランスの取り方や足の運び方、戦いに必要な勘や体力を養うことができました。
*騎槍(ランス)の練習
クィンティンと呼ばれる案山子のような道具を地面に埋め込み、騎槍を命中させる練習も行います。
実戦やトーナメント(模擬試合)では、騎士たちは馬上で長い騎槍を脇に抱え、馬を走らせながら騎槍の穂先で相手の胸を突くという戦い方をしていました。馬を十分な速度で疾走させつつ、上下に動くその馬上で角度を合わせて正確に敵を突くには、豊富な経験と度胸が必要です。
こうした教育を受けた後、騎士の子どもたちは14歳頃からは小姓として王侯や城主のもとに出仕するようになります。戦闘訓練はもちろん、給仕や雑用をしながら礼儀作法を覚えたり、騎士の道徳も身につけてきました
ロマン語とラテン語
騎士になるための教育は戦闘訓練が中心。でも、教育といえば机に向かって勉強することを思い浮かべませんか? 中世ヨーロッパではどんな勉強をしていたのでしょう?
色々ありますが、たとえばロマン語の読み書きは熱心に教えてもらいましたよ
「ロマン語」とはどこか異国の言葉ではなく、12世紀当時、ジェラールのいたフランスで使われていた日常言語です。
かつてフランス(ガリア)はローマに支配されていました。そのためガリアにはローマの文化とともにラテン語が広がり、後にガリアに移住してきたゲルマン(フランク)人たちもラテン語を話すようになります。
しかし、時代とともに彼らの話すラテン語はフランク語の影響を受け、俗ラテン語という口語へと変化していきました。これが元となり生まれたのがロマン語です。
ちなみに、フランス語の成立は13世紀以降のことでした。パリを中心に使われていたオイル語(ロマン語の一種)が古フランス語となり、共通語としてフランス全土へと広まっていったとされています。
私は騎士ですから、ロマン語の読み書きを習いましたが、一般民衆や騎士の中でも位の低い者たちは、読み書きなどできないのが普通でした
一方、中世ヨーロッパの指導者たちが外国や諸侯とやり取りする時に使っていたのは「ラテン語」です。広大なローマ帝国で使われていた言葉がヨーロッパの共通語として、中世の時代も使われ続けていました。
*ラテン語が使われていた場面
法令、手紙、聖書や本、王侯が結ぶ条約、教会での儀式 など
実は教会の司祭が祈りの時に使う言葉もラテン語で……幼かった私にはちんぷんかんぷんでした。いやあ、呪文みたいで眠くなりましたよ
騎士の息子が騎士以外の仕事に就く道
ところで、騎士の息子だからといって、必ずしも騎士になるとは限らないことはご存じですか?
ジェラールにはふたりの兄がいます。長兄は父親と同じ騎士になりましたが、次兄は修道院に入っていました。騎士の子は「修道士」や「聖職者」になる場合もあったのです。
*「修道士」と「聖職者」の違いとは?
・修道士:修道院で厳しい禁欲生活を送り、信仰の道を究めようとする人々のこと。
・聖職者:いわゆる「司教」や「司祭」のこと。各地の教会で信徒のために儀式などを行う。
騎士たちは自らの信仰心からだけでなく、修道院や教会の持つ政治力やネットワークを利用したいという思惑から、息子や娘のひとりを修道院に送り込み、修道士(修道女)になるための教育を受けさせることがありました。
とはいえ、彼らは必ずしもそのまま修道士や聖職者になったわけではありません。中には修道院で身に着けたラテン語やキリスト教的教養を活かし、役人になる者もいたといいます。
ラテン語ができる者は少なかったので、世間を渡るための立派な道具になったんですよ。出自や親の意向次第とはいえ、騎士の子だからといって必ず騎士になるわけではなかったのです
次回はジェラールの次兄が暮らしていた修道院にスポットを当て、どんな場所だったのか、もう少し詳しくご紹介しましょう。お楽しみに!
◎中世騎士物語
騎士が生まれた日 ~中世時代の暦~
騎士が生まれた日 ~中世の洗礼と宴会~
騎士が生まれた日 ~中世ヨーロッパの階級社会~
騎士が生まれた日 ~中世の出陣風景~
騎士が生まれた日 ~騎士と従士制~
騎士が生まれた日 ~中世ヨーロッパの騎士の鎧~