寒い冬になると、熱燗をクイッと呑んで体を温めたくなりますよね。
ところで日本酒はいつ頃から造られ、どんな味だったのでしょう? 今回は古代の日本酒についてお話します。
目次
縄文時代の酒は果実醸造酒だった?!
そもそも、日本ではいつから酒造りが始まったのでしょう?
考古学的には、少なくとも縄文時代中期には、関東から中部・北陸地方にかけての東日本で酒が造られていたことがわかっています。
その一例として、長野県諏訪郡富士見町にある井戸尻遺跡をご紹介しましょう。
【井戸尻遺跡から出土した酒造りの痕跡】
・半人半蛙文有孔鍔付樽(大型の土器)
→内部にはヤマブドウの種子が残されていた。
・酒盃らしき土器
・半人半蛙文有孔鍔付樽(大型の土器)
→内部にはヤマブドウの種子が残されていた。
・酒盃らしき土器
井戸尻遺跡は縄文時代中期を中心とした竪穴住居群です。この住居から、「
この土器の内部からはヤマブドウの種子も発見されており、また同一住居内から他に酒盃らしき土器も発掘されたことから、「半人半蛙文有孔鍔付樽」はヤマブドウやクサイチゴ、アケビなどで果実醸造酒を造るための酒造具だったのではないかと推定されています。
土器の表面には、大きな丸い両目をし、四肢を開いた姿の半人半蛙が描かれています。
蛙は冬になると冬眠し仮死状態になり、春になると再び目覚めて動き回ることから、死と再生の象徴とされていました。
その蛙が描かれた土器で造られていた酒もまた、死と再生の象徴です。一度は腐ったかに見える果実や穀物が、芳しい香りとともに酒に変わることから、強精効果や再生の魔力があると信じられていたといいます。
米麹を使った日本酒造り、始まる
さて、日本酒の原料といえば米麹や蒸し米、水ですが、米麹を使った酒造りは弥生時代以降に始まったと考えられています。弥生時代に中国江南地方から米作りが伝わった際、一緒に日本に伝えられたのです。
ざっくり解説! 日本酒の造り方
①米穀を放置し、カビを生えさせる。→米が麹になる。
②麹に蒸した米とその2倍程度の量の水を加え、樽や甕に漬け込む。
③数日程で発酵し、アルコール臭を放ち始める。
日本酒造りの工程は複雑ですが、ざっくりまとめると米から麹を造り、そこに蒸した米や水を加えて発酵させるという流れになります。
8世紀に編纂された『播磨国風土記』にも、神の御糧米から麹が発見された様子が描かれている他、酒にまつわる地名起源伝説も記されていました。
たとえば播磨国(現在の兵庫県南西部)の「
こうした記述から、当時すでに酒が盛んに造られていたことがうかがえます。
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白酒と黒酒
古代の酒は現在では「ドブロク」と呼ばれる米濁酒にあたります。ドブロクは祭りの度に村々で造られ、祭祀や村人たちの体力回復のために欠かせないものでした。
その味は、現在の甘酒に辛口の清酒を1:1で混ぜたものに近いといわれています。
ところが明治時代に酒税法が制定されると、無届けで酒を造ることは禁止され、ドブロク造りも違法となってしまいました。
とはいえ、神社の祭祀にはお神酒が欠かせません。ドブロクから清酒に切り替えた神社も多いのですが、伊勢神宮や出雲大社などいくつかの由緒ある神社は酒造免許を取ったり、蔵元と提携するなどして、現在でも祭祀用の濁酒を醸造しています。
神社で造られる濁酒を「
・白酒
白酒は中に白い米麹が残った微発泡酒で、発酵が継続しているため、開栓するとワインのように味が変化していきます。
白酒は伊勢神宮と提携した蔵元から「伊勢の白酒」というブランド名で発売されており、現在でも飲むことができます。シャンパンのような甘味とさわやかな味わいが特徴です。
・黒酒
黒酒は、白酒に草木から作った灰を加え造られます。灰を加えることで酒をアルカリ性にして腐敗を防ぎ、味の変化を抑えることができるのです。
この灰を製造販売していた商人の子孫が残した書物『灰の記』には、遣唐使の時代に大陸から灰の秘密が伝えられたことが記されています。
現在でも西日本では黒酒が造られており、その製造方法から「灰持酒」とも呼ばれる他、熊本では「赤酒」、鹿児島では「地酒」、島根では「地伝酒」などの名前で知られています。
ほんのりと上品で甘味があり、料理酒としても使うことができます。
古代からの製法が現代に残る、白酒と黒酒。機会があれば飲み比べてみるのも面白そうです。古代の味を感じることができるかもしれません。
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