病人に触れて病を癒す。
こうした奇跡のエピソードは、キリスト教におけるイエス・キリストやギリシャ神話に登場する名医アスクレピオスの伝説として知られています。聖書や神話の世界の話です。
それから時を経て11世紀ごろからおよそ800年もの間、イギリスやフランスで信じられてきた奇跡の力ロイヤル・タッチをご存知でしょうか。それはある病気に悩み、癒しを求める民衆にとって、とても重要な儀式でもありました。
国王が持つヒーリング能力、ロイヤル・タッチについてご紹介しましょう。
目次
ピンポイントな効果、ロイヤル・タッチはこれに効く!
ロイヤル・タッチはフランスでは1000年ごろ、イギリスはそれより少し遅れて1100年ごろに始まったと見られています。ロイヤル・タッチはその名の通り「王」が「触れる」ことで、病を治すというヒーリングの能力を指すものでした。
とはいえ、病気の種類は限られていました。「
中世ヨーロッパには瘰癧患者が多く発生しており、良い治療法を求めていました。
瘰癧はリンパ腺が炎症を起こし顔の歪みや悪臭をもたらす病気で、死に至る病ではないものの、民衆を悩ませる病気だったのです。
民衆はフランスとイギリスの国王が治すことが可能だと主張したことで、その情報に飛びつきました。
かつて聖書の中で、病人に触れることで癒したイエスのように、王にも特別なヒーリング能力があり、患者に直接触れることで国王に宿った特別な力が患者に移ると考えられたのです。
こうして、800年にもわたるロイヤル・タッチの長い歴史が始まりました。
ロイヤル・タッチは、「イギリス」と「フランス」ふたつの国の歴代の王に受け継がれていきます。それは、時に両国の王朝が変わっても続いていきました。ロイヤル・タッチの癒しの力が、深く民衆の心を惹きつけるものだったことがわかりますね。
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動員数10万人、人気爆発ロイヤル・タッチ
さて、ロイヤル・タッチが民衆にどれほどの人気があったか、イギリス国王を例にとってご紹介しましょう。
13世紀のイギリスでは、イングランド王エドワード1世は年間千人以上の人々にロイヤル・タッチをしたと言われます。17世紀のチャールズ2世の治世にはその数字は膨れ上がり、1660年5月〜1664年9月の間におよそ2万3千人もの人々にロイヤル・タッチを行いました。このチャールズ2世の25年の治世の間には、延べ10万人へロイヤル・タッチが施されたのです。
こうした規模の大きいヒーリング伝説は、世界中を見渡してもあまり類を見ません。
では、ロイヤル・タッチとは具体的にどのような儀式だったのでしょうか。
それはあまり難しいことではありません。初期のロイヤル・タッチは数多の聖人伝説にもあるように、病人の患部に直接手をふれるという単純なものでした。しかし、早いうちにもう一つの動作も加わったとされています。それは、患者の体や患部に十字の印をつけるというものでした。その上で、国王は神聖な言葉を添えました。
ロイヤル・タッチの時代による変遷をみながら、次項以降で詳しくご紹介しましょう。
王様は毎日大忙し、フランスのロイヤル・タッチ
フランス王はロイヤル・タッチの時にこう口にしたと言われます。
「王、汝に触れる。神、汝を癒したもう」
11世紀初頭の初期のロイヤル・タッチは病人が願い出るたびに行われていました。当時は場所も定められず、患者が望む限り国王は都度ヒーリングを行っていたと言われています。それゆえに、無秩序に王が取り囲まれるということも起こったようです。
しかし、こうした儀式のために王の仕事が滞ることのないよう、時代とともに様々な様式が定められていきました。
ルイ9世の時代になると、ミサの後の一定時間に限られるようになり、ルイ11世の治める15世紀になると週に一度、後年は一年のうちでも宗教上重要な休日だけに行われるようになりました。
しかし、期日が限られるようになってもロイヤル・タッチへの信仰は薄れません。
中世の宮廷は支配地の関係で各地を移動することもありましたが、そのときには多くの患者が国王の後を追うように移動したといわれています。
貧者や病人への慈悲は中世の君主にとっては義務であり、貧しい病人に精一杯尽くすことも重要でした。とはいえ、即位したばかりの若き日のルイ13世はこんな言葉も残しています。
「病人たちは、王がペストにかかって死ぬとは思っていないのだ」
王のヒーリング能力への信奉のあまり瘰癧でない患者もロイヤル・タッチを求めることがあり、押し寄せる病人について嘆いていたようです。
病人を集めてのロイヤル・タッチはルーブル宮殿や城の庭園、あるいは僧院や教会など様々な場所で行われました。
豪華特典あり! 英国のロイヤル・タッチとその終焉
さて、所変わってイギリスのロイヤル・タッチを見てみましょう。
初期のイギリスのロイヤル・タッチの様子は詳細にはわかっていませんが、15世紀のヘンリ7世以後の時代はフランス同様に期日が定められるようになったと言います。フランス同様に、ロイヤル・タッチは荘厳な儀式へと発達して行きましたが、その方法は少し異なっています。
フランスでは、国王自らが患者の間を回って患部に触れたのに対して、イギリスでは国王は座ったままで、病人の方が王に向かって歩いていくという方法をとりました。しかも、病人たちは2回王の前に行く必要がありました。1回目は王が病人の患部に手を当てるためで、2回目は患部の上に伝統の十字を記してもらうためでした。
イギリスのロイヤル・タッチの特徴は、この十字を記す王の指に一枚の金貨が挟まれていることです。
これはエンジェル金貨と呼ばれました。
金貨には大天使ミカエルの像が刻印してあり、しかも貨幣に穴が空いていました。それにはリボンが通してあるので、十字を記したあとで王はその金貨を患者にかけてやったといいます。病人に金貨が与えられたというのがイギリスのロイヤル・タッチの特徴です。
エンジェル金貨は、次第にそれ自体が医療効果を持つ護符だと考えられるようになり、
「これぞ主によりてなされるところ、我らの眼前にてなされたる奇跡」
という文言が金貨の表面に刻まれました。
フランス王がロイヤル・タッチの時に口にする「王、汝に触れる。神、汝を癒したもう」と似たニュアンスですね。
フランスとイギリス、大国で隆盛を極めたロイヤル・タッチですがその終わりは時代とともに訪れました。イギリスではスチュアート朝最後の国王であるアン女王が施したロイヤル・タッチを最後に伝統が途絶えます。追ってフランスでも18世紀のフランス革命期に処刑されたルイ16世とともにロイヤル・タッチは終焉へと向かいました。
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ライターからひとこと
800年続いたロイヤル・タッチですが、意外にも絶大な効果を信じた人は少ないそう。何度も通い、一年後でも二年後でも治るかもしれないという希望を持つことで満足する人も多かったようです。国王だけが持つ特殊なヒーリング能力、ロイヤル・タッチ。
何千人もの人々が癒しを求めて王のもとに集まると聞き、アイドルの握手会を思い出してしまいました。大好きなアイドルと触れ合うことで、たくさんの幸せを感じられるイベントは、現代のロイヤル・タッチと言えるかもしれませんね。