白骨死体が魔法の力でカタカタと音を立てて立ち上がり、剣と盾を手に冒険者に襲いかかる――。
ファンタジーRPGでおなじみのモンスターにスケルトンがいますが、彼らは一体どのようにして生まれたモンスターなのでしょう?
今回はスケルトンの歴史や源流をご紹介します。
目次
日本にもあった! 骸骨を使った呪術
スケルトンというとヨーロッパのイメージがあるかもしれませんが、実は洋の東西を問わず、人々は昔から骸骨を呪術の道具として用いていました。
中国から日本に伝わった呪術のひとつに、「人形に相手の名前を書き、それを破壊する」という方法があります。中でも、頭蓋骨を使う方法は特に効果があるとされ、「
平安初期に編修された『続日本記』には、神護景雲3年(西暦796年)に
また南北朝時代の歴史物語『増鏡』にも、
このように、日本でも古くから骸骨には呪術的な力があると考えられていたのです。
ギリシャに伝わるスケルトンの伝説
今度はヨーロッパの事例をご紹介しましょう。ギリシャ中部ボイスティアのポリスの建国神話には、こんな話が登場します。
勇者カドモスはボイスティアで女神アテナに生贄を捧げようとしましたが、ドラゴンに妨害されてしまいます。怒ったカドモスがドラゴンを倒すと女神アテナが現れ、ドラゴンの牙を大地に蒔くよう、カドモスに神託を下しました。
カドモスは神託の通り、ドラゴンの牙を地面に蒔きます。すると大地から骸骨のような姿をした完全武装の兵士たちが現れ、カドモスが石を投げ込むと戦いを始めました。
同士討ちから生き残った5人の兵士はカドモスの従者となり、後にテーバイを築いて貴族になりました。彼ら5人のことをまとめてスパルトイ(「蒔かれた者」という意味)と呼んだということです。
この神話に登場するスパルトイは、後に私たちが想像するモンスター・スケルトンのイメージの原型となります。
「死の舞踏」で踊る骸骨たち
さて14世紀頃になると、中世ヨーロッパでは黒死病により総人口の3~5割もの人々が次々と亡くなってしまいます。
王侯貴族や聖職者、農民といった身分に関わらず、死は等しく誰にでも訪れました。未曾有の事態に直面した人々の間では、「メメント・モリ」(死を思え)の思想が大流行します。さらに、人々は死の恐怖を忘れようと集団で踊り狂うようになりました。
やがて15世紀になると、コンラート・ヴィッツなどの画家がこうした状況を絵画の題材として取り上げるようになります。擬人化された骸骨たちが踊りながら人々を死へと誘う、といった内容の作品が作られるようになったのです。こうした絵画や彫刻の様式は「死の舞踏」と呼ばれています。
モンスター・スケルトンの誕生
ギリシャの神話に登場するスパルトイや、中世ヨーロッパで生まれた「死の舞踏」などを元に、現代の私たちがイメージするモンスター・スケルトン像を作り出した人がいます。アメリカの特撮監督レイ・ハリーハウゼンです。
ハリーハウゼンは『シンドバッド7回目の冒険』や『アルゴ探検隊の大冒険』の中で、スケルトンがカタカタと骨を鳴らしたり、主人公と戦ったりする様子をストップモーション・アニメで描きました。
こうしたイメージは、後にファンタジーTRPG『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(D&D)にも用いられるようになります。D&Dのヒットにより、モンスターとしてのスケルトン像はさらに広く知られるようになり、現在に至るのです。
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