アニメ『ガールズ&パンツァー』では、女子高生たちが様々な戦車に乗りアツい戦いを繰り広げましたが、実は戦車ははるか紀元前の昔から存在し、戦場で活躍していました。
そこで今回は、メソポタミアやエジプト、アッシリア、ペルシア帝国で使われていた古代の戦車をご紹介します。
目次
最古の戦車? シュメールの戦車
戦車を発明したのは、紀元前2000年代のメソポタミアに現れたシュメール人だったのではないかと考えられています。
【シュメールの戦車の特徴とは?】
- 戦闘用というより輸送用。
- 4頭引き(馬はいないのでロバが引いていた)。
- 車輪は木製で、スポーク(車輪の中心から外周部に向けて放射状に伸びる部品)は付いていない。
シュメールでは、戦車は主に輸送用として使われています。当時の車輪は大きな木を丸く加工しただけの重いものでした(スポーク付きの車輪を発明したのは、後に現在のトルコ付近で繁栄したヒッタイトの人々だといわれています)。
また、シュメールでは馬がいないため、戦車を4頭のロバに引かせていました。
シュメールの戦車はその後、エジプトや小アジア、ヨーロッパ、アジアへと広まり、改良が加えられ兵器として活躍するようになります。
スピード命! 古代エジプトの戦車
続いては古代エジプトの戦車をご紹介しましょう。
エジプトの戦車は、シリア・パレスチナ地方からやって来たヒクソス人によって伝えられ、すぐに主要兵器として使われるようになりました。
【エジプトの戦車の特徴とは?】
- 2頭引きの2人乗り。4本(後に6本)スポークで小型の車輪が特徴。
- 軽量化されており、とにかくスピード重視! (安定性・耐久性は×)
- 初めは甲冑を着けない軽装の弓兵が投射台として使っていた。
古代エジプトでは、とにかく戦車のスピードが重視されていました。
4本(後に6本)スポークの小さな車輪が付いた戦車で、2頭の馬が引っ張ります。スピードが出せるよう軽量化され、中には重さがたった34キロほどしかない戦車もあった程です。
戦車に乗り込む兵士たちも軽装です。彼らは甲冑を装備しませんでしたが、戦車が軽いため戦場で即座に反転することができ、スピードも出るため敵の弓兵からも狙われにくく、生存率は高かったといいます。
軽さを重視している分、古代エジプトの戦車は安定性や耐久性に欠けていました。そのため戦車を量産する必要があり、また戦場には修理のための作業班も同行させなければなりませんでした。
時代が下ると、エジプトでも他国と同じように戦車に盾兵が乗るようになります。甲冑や馬衣といった装備も使われるようになりました。
【古代エジプト軍 戦車を使った主な戦い】
・メギドの戦い(紀元前1457年):古代エジプト軍VSカナン軍
……エジプト軍は1000両強の戦車部隊で突撃し、弓矢を放ってカナン軍を圧倒。
→エジプト軍の勝利!
・カデシュの戦い(紀元前1285年):古代エジプト軍VSヒッタイト軍
……世界最古の戦車戦。エジプト軍2000両、ヒッタイト軍3500両もの戦車が投入された。
→両者痛み分け。史上初の講和条約が結ばれる。
……エジプト軍は1000両強の戦車部隊で突撃し、弓矢を放ってカナン軍を圧倒。
→エジプト軍の勝利!
・カデシュの戦い(紀元前1285年):古代エジプト軍VSヒッタイト軍
……世界最古の戦車戦。エジプト軍2000両、ヒッタイト軍3500両もの戦車が投入された。
→両者痛み分け。史上初の講和条約が結ばれる。
防御力が大切 アッシリアの戦車
アッシリアでは、少なくとも紀元前10世紀頃には戦車が使われていたことがわかっています。
【アッシリアの戦車の特徴とは?】
- 初期は2頭または4頭引き。身分の高い人を戦場まで運ぶ手段だった。
- 戦場で使われるようになると、3頭引きの3人乗り(御者・弓兵・盾兵)に変化。
- さらに時代が下ると4頭引きの4人乗りに。
- 時代とともに大型化し、防御力は高くなるが機動力は低下した。
アッシリアの戦車は、当初は身分の高い人が戦場に赴くための交通手段でしたが、後に兵器として使われはじめます。
車輪のスポークは当初4本でしたが、後に8本になり、車体は重く、車高も高くなっていきます。
また、乗っている兵士たちの数も変更されました。初期の頃は御者・弓兵・盾兵の3人乗りでしたが、紀元前7世紀に入ると盾兵がもうひとり追加されるようになったのです。
兵士や馬の装備にも変化がありました。
紀元前9世紀頃になると兵士たちは鎧や甲冑を着るようになり、馬にも胸帯などの馬衣を着せるようになります。
さらに紀元前7世紀以降は、兵士たちはブーツやすね当ても着用し、馬衣も厚手の布で作られるようになりました。
こうした変化から、アッシリアでは戦車も兵士も、時代とともに防御力を高めていったことがわかります。機動力を重視していたエジプトとは真逆の方向性に進化したといえそうです。
古代ペルシアの「鎌戦車」
最後に、古代ペルシアのちょっと変わった戦車をご紹介しましょう。
【ペルシア帝国の鎌戦車とは?】
・4頭引きの重量戦車。
・両輪の車軸に1m程の長刀状の剣を設置。
→すれ違いざまに敵を斬り飛ばす。
・車軸や車体の下にも剣が取り付けられている。
→戦車の下に倒れ込んだ敵兵にダメージを与える。
・欠点:機動性×・直進しかできない・目立ちすぎるため容易に避けられてしまう。
・両輪の車軸に1m程の長刀状の剣を設置。
→すれ違いざまに敵を斬り飛ばす。
・車軸や車体の下にも剣が取り付けられている。
→戦車の下に倒れ込んだ敵兵にダメージを与える。
・欠点:機動性×・直進しかできない・目立ちすぎるため容易に避けられてしまう。
ペルシア帝国で使われたこの「鎌戦車」については、紀元前401年のクナクサの戦いにギリシア側として参戦した歴史家クセノフォンが書き残しています。
それによると、鎌戦車には左右の車輪の車軸に1m程の長さの剣が取り付けられていたといいます。さらに車軸(または車体)の下にも剣が取り付けられ、敵兵を攻撃する仕掛けになっていました。
鎌戦車は全速力で敵陣に突っ込み、相手の不意を突いて敵陣を乱すために考案されました。
しかし重量戦車のため機動力が高くなく、直進しかできない上に、目立ちすぎる形をしていたため、実際には敵軍にすぐに見つけられ避けられてしまったといいます。
【古代ペルシア 鎌戦車を使った主な戦い】
・クナクサの戦い(紀元前401年):古代ペルシアVS古代ギリシア
……鎌戦車が初めて登場。歴史家クセノフォンがその様子を書き残す。
→ギリシア側の司令官キュロスが戦死し、古代ペルシアが勝利。
・ガウガメラの戦い(紀元前331年):古代ペルシアVSマケドニア
……ペルシア軍は200両の鎌戦車を用意したが、アレクサンドロス大王率いるマケドニア軍には通用せず。
→古代ペルシア、敗北を喫す。
……鎌戦車が初めて登場。歴史家クセノフォンがその様子を書き残す。
→ギリシア側の司令官キュロスが戦死し、古代ペルシアが勝利。
・ガウガメラの戦い(紀元前331年):古代ペルシアVSマケドニア
……ペルシア軍は200両の鎌戦車を用意したが、アレクサンドロス大王率いるマケドニア軍には通用せず。
→古代ペルシア、敗北を喫す。
このように、時代や地域によって様々なタイプのものが登場した戦車。好みのものは見つかりましたか?
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