寺社仏閣に立ち寄ると、ついつい気になるおみくじ。
特に年が明けてすぐの初詣では、その年最初の運勢を占うために、手に取る機会も多くなりますね。
おみくじを漢字にすると「御神籤」、「御仏籤」などと書きます。おみくじは神社にもお寺にもあるなんて、思えばちょっと不思議ですね。そこにはどんな歴史や意味があるのでしょう。
手軽な占いとしてなじみ深い、おみくじについてご紹介いたします。
目次
100種類の漢詩で占う、元祖のおみくじ
日本には古くから、くじによる占いが存在しました。
『日本書紀』には「有間皇子が
日本のおみくじの起源については、あまりはっきりしません。
平安時代に中国から「
名前のとおり100種類のくじがあり、五言絶句の漢詩が書かれているのが特徴です。この詩の意味から吉凶を占うものでした。
日本のおみくじが、神社ではなく寺院から発祥した可能性があるとは興味深いですね。
神社のおみくじの源流、和歌と歌占い
中世以降、日本ではくじによって神仏の意志を確かめることが盛んに行われるようになっていきます。室町幕府の6代将軍足利義教にいたっては、くじ引きで将軍に決定したというのですから驚きです。
出版技術が進んだ江戸時代になると、元三大師百籤を基本としたおみくじの本が何冊も発行されました。
元三大師百籤系のおみくじは、浅草寺、川越大師の喜多院、比叡山の元三大師堂など、天台宗系の古い寺院で今でも使われています。お寺ばかりでなく宗派を超えて、京都の晴明神社でも採用されているのは興味深い点です。
また、オリジナリティを出すために、神社では和歌を添えたおみくじを作ることも始まりました。これは、このあとご紹介する歌占いの流れを汲んだものです。
寺社への参拝を終えたあとに吉凶を占う手軽な手段として、おみくじは人々に享受されていったのです。
もうひとつのおみくじの源流、歌占いをご紹介しましょう。
古代の日本では、言葉には霊力があるとされていて、「言霊」とよばれていました。抑揚をつけて歌いあげる和歌にはより強い力があると信じられていたのです。人々の間で口ずさまれた和歌は、童謠、
中世においては、巫女が神がかりの状態で口ずさんだ和歌で物事を占うという方法も取られました。和歌を神からの託宣の一種だと捉えていたのです。
やがて、こうした歌占いは和歌を書き付けたものをくじのように引いて、そこから吉凶を占うものに変化していきました。これはのちに、和歌集を開いてそこに書かれている歌で吉凶を占うという書物占いにも変化しますが、発展の過程でおみくじとしての性質を持っていたことも見逃せない点ですね。
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「大凶」「大悪」悪いおみくじは引き直し可能?
さて、おみくじを引く作法としては「手を洗い、口をすすぎ、三拝しておみくじを開く」というのが正式のようですが、今日ではあまり知られていない作法ですね。深く気にする必要はないといわれますが、神仏の意志を聞くものであるので、真剣な気持ちで引くほうがベターだと言えるでしょう。
おみくじで悪い結果がでれば、ついつい引き直してみたくもなりますが、東洋の占いの聖典ともいえる『易経』には「初めの占いは真実を告げるが、二度占えば汚れる」と書かれています。やはり、一度目の結果を大事にしたほうがよさそうです。
おみくじには、吉と凶があるのはご存知のとおりです。寺社で若干の違いがありますが、大吉、吉、小吉、末吉、凶、大凶などに区分されています。これに、変わったところでは平という結果のでる神社もあるといいます。
平とは「平凡に過ごすなら吉」という意味あいで、広島の厳島神社などで見ることができます。ほかにも鎌倉の長勝寺では「大悪」という結果が出ることもあるようです。引いてしまったらちょっと不安になってしまいますね。
さて、こうした悪い結果がでた場合、どうしたらいいのでしょうか。
前項でお話しした「二度占えば汚れる」ことを思えば、何度も引くのはあまり良くありません。しかし、おみくじには「大吉は凶に返る」という言葉があります。「陽極まれば、隠生ず、隠極まれば陽生ず」という易の考え方に基づくものです。一方に偏ったものは逆の方向へもまた傾くという教えです。
つまり「凶もまた吉に返る」と読み解くことができます。
悪い結果が出た時に大切なのは、結果を嘆くことではなく自分の行いを正しくすることです。状況が良い方向にむかっていくように、自分を磨いておくことが大切なのですね。
ライターからひとこと
浅草寺で大凶を引いたことがあります。気にしすぎるとよくないとは思いつつ……、ちょっとショックを受けたことをよく覚えています。悪い結果がでるとショックですが「陰極まれば陽生ず」自分の身を正して、よい運が向かってくるように気持ちを切り替えていきたいですね。