250年以上もの長き太平の世が続いた江戸時代。浮世絵や日本刀、根付けなどの芸術品が発達し、ヨーロッパでゴッホなど多くの芸術家たちに影響を与えました。
さて、この時代に発達を遂げたのは芸術作品だけではありません。意外かもしれませんが、実は江戸時代には「愛の秘薬」の類も大いに珍重されていたのです。
今回は江戸時代の町人たちに人気のあった媚薬をご紹介しましょう。
目次
誤飲すると死ぬことも 男性向け媚薬「長命丸」
最初にご紹介するのは「長命丸」です。
【長命丸とは?】
- 男性向けの媚薬。塗り薬。
- 成分:阿芙蓉(アヘン)、センソ(ヒキガエルの毒素)、朱砂(水銀)など。
「長命丸」は、江戸の両国薬研堀にあった四つ目屋という店で売られていた媚薬で、男性の精力を高めることができるとされていました。
長命丸は阿芙蓉(アヘン)2銭、センソ(ヒキガエルが分泌する毒素)2銭、朱砂(水銀)5分に、丁字、龍脳、麝香などを配合して作られます。
毒性の強い薬物が多く含まれており、特に阿芙蓉やセンソには幻覚作用と鎮痛効果があることから、精力を高めるというよりも、快楽に達するまでの時間を遅らせる働きがあったのではないかと考えられています。
江戸川柳にも、長命丸を題材にしたものがありました。
名に惚れて長命丸を姑のみ
「長命丸」という名前から長生きの薬だと勘違いした姑が、間違えて飲んでしまったというのです。
ただの川柳かと思いきや、民俗学者の南方熊楠によると、実際に誤飲して死んでしまった事例があるそうです。
艶本にも登場 女性向け媚薬「女悦丸」
続いては女性向けの媚薬をご紹介しましょう。
【女悦丸とは?】
- 女性向けの媚薬。外用薬。
- 成分:不明。覚醒効果を持つ薬物が含まれていた?
こちらは女性用の媚薬ですが、長命丸が鎮静効果を持っていたのとは反対に、何らかの覚醒効果を持つ薬物が成分として含まれていたようで、使用した者は「つつしみを忘れて」しまうとされていました。
女悦丸は、江戸時代の艶本(いわゆるアダルト書籍)で、岡田玉山作『
40歳過ぎの女性と17歳の女性が捕らえられて裸にされ、この「女悦丸」と「漏精丸」という媚薬を唾で溶いたものを使い、殷の紂王の御前で男と関係を持たされるという場面があるのです。
材料はオットセイ 人気のあった「たけり丸」
もうひとつ、当時人気のあった媚薬をご紹介しましょう。
【たけり丸とは?】
- 強壮薬。飲み薬とされる。
- 原料:オットセイの陰茎の干物。粉にして丸薬状に加工し売られていた。
「たけり丸」は長命丸、女悦丸と並び人気があった媚薬で、飲み薬だったとされています。
原料はオットセイの陰茎の干物で、1匹の雄を中心にハーレムを作って暮らすオットセイにあやかり強壮薬として売られていました。
ちなみにオットセイは江戸時代、蝦夷地や松前(北海道)に生息していたことが『和漢三才図会』や『蝦夷国風俗記』などに記されています。
オットセイは、たけり丸のような強壮薬の原料になった他、津軽藩では「一粒金丹」という鎮痛剤にも使われています。津軽藩はこうした蝦夷地の物産を交易し、国内の物流に乗せていたようです。
艶本に登場する媚薬たち
ここまでご紹介してきたように、江戸時代には実に様々な種類の媚薬が実際に販売されていました。
こうした当時の風俗は、当時数多く出版されていた艶本からも推測することができます。艶本のうち約3分の1に、何らかの形で媚薬が登場するのです。
艶本に登場する媚薬をいくつかご紹介しましょう。
・「村雨丸」
滝沢馬琴作『南総里見八犬伝』のパロディ作品『男壮里美八犬伝』(曲取主人/作・不器用又平/画)に登場。
『南総里見八犬伝』の名刀村雨に相当する役割の媚薬で、八犬士のひとり・犬塚信乃が父の形見であるこの村雨丸を古雅の御所に献上し出世しようとします。
ちなみに作者の「曲取主人」は狂言作家・花笠文京の陰名、絵を担当した「不器用又平」は浮世絵師・歌川国貞の陰名です。当時はこうした有名人たちも艶本を書いていたのですね。
・「ゴテレツ」
『東海道中膝栗毛』で有名な十返舎一九も、浮世絵師・北川歌麿と組んで艶本を書いています。『艶本葉男婦舞喜』(えほん・はなふぶき)に登場するこの媚薬はオランダ産とされていました。
こうしてみてみると、江戸時代は意外にも性に開放的だったといえそうです。
様々な原料・成分が使われていた当時の媚薬、あなたは試してみたいですか?
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