犠牲者を恥ずかしい姿や情けない姿にして大衆に見せる刑罰を「さらし刑」といいます。さらし刑によって傷つくのは主に肉体ではなく精神ですが、状況次第では死に至ることもあり、また本人のみならず身内も巻き込む恐ろしい刑罰でもあります。
今回は、さまざまな「さらし刑」をご紹介しましょう。
目次
身内への侮辱と見せしめ効果も 古来より続くさらし刑
さらし刑が単独で行われるのは軽犯罪に対する刑罰の場合が多いのですが、他の拷問や刑罰に付随して行われることもあります。四肢を砕く車輪刑や、食物を与えない飢餓刑などと組み合わせられるのです。そのため公開処刑も、広い意味ではさらし刑の一種といえます。
このようなさらし刑の目的は、大きく分けて2つあります。
1つは、犠牲者本人だけでなく、その家族や友人などにも侮辱を与えることです。さらし刑が行われる際は犠牲者の素性も明らかになっていますので、近しい者は身内の恥をさらすことになります。
そのため、さらし刑は死者に対して行われることもありました。無様な死体をさらされることは、一族にとって多大な屈辱となったことでしょう。
もう1つの目的は、見せしめの効果を狙うというものです。
見物人はさらされた者を見て笑うと同時に恐れ、あのようにはなりたくないと考えます。さらされているのが死体なら、自分は死んだ後まともに墓に入りたいと願うことになります。
これらの効果に為政者は古くから着目していたようで、洋の東西を問わず、さらし刑は長い間にわたり行われていたと考えられています。
刑執行は極上の娯楽? さらし刑に便乗したリンチの恐怖
さらし刑の恐ろしさはそれだけではありません。
さらし刑の真に暴力的な側面――それが、大衆によるリンチ(法によらない私刑)です。
娯楽というものがほとんどなかった古代や中世の人々にとって、刑の見物やそれに伴うリンチは、日頃のうっぷんを晴らす最大のチャンスでした。罪人とされる者を痛めつけることで、正義感を満足させることもできます。何より、さらし者をいたぶることは一種の共同体の儀式であり、リンチに参加しなければ自分が仲間外れにされる可能性もありました。
そのため官憲は、さらし者への民衆による暴力をほとんど止めなかったようです。無防備な犠牲者が不特定多数から攻撃を受けることも、さらし刑の一部と考えられていたのかもしれません。
さらし刑の犠牲者は突っつかれたり殴られたり蹴られたり、石を投げられたりといった暴力を受け、焼けた鉄やたいまつを押し付けられることもありました。また糞尿をかけられたり、口や耳、鼻の穴に詰め込まれたりすることもあったようです。
さらに犠牲者の運が悪ければ、身体の一部を切り落とされるといったことも珍しくありませんでした。痛めつけるだけでなく、足の裏や脇の下をくすぐり続けられたケースも確認されています。
さらし刑それ自体は直接的な暴力を伴わないのですが、こうして犠牲者が最後にはいびり殺されることもあり得たのです。
ポピュラーなさらし刑 広場に設置される「さらし台」
さらし刑に使う道具には、さまざまなものが存在します。その中でもっともポピュラーなのが、さらし台です。これは町の中央の広場などに設置されました。
さらし台のうち、手と頭を固定するものは特に「ピロリー」と呼ばれています。一般的なピロリーは、地上に立てた木の柱の先端に長方形の板を固定したものです。この板には中央に大きな穴、その左右にもう少し小さな穴が1つずつ空いています。犠牲者は立ったままやや前屈姿勢になり、中央の穴に頭を、左右の穴に両手首をはめ込まれます。
ピロリーはいくつか種類があります。両手首を固定する穴だけがあり、鎖で広場につないでおくものもありました。このタイプは自由に歩き回ったり座ったりできるので、少しは楽かもしれません。
ただし、その鎖が非常に高い位置に固定されている場合もありました。犠牲者はどうにか立っていられる程度の小さな台に立たされ、足を踏み外せば、宙吊りの状態でリンチを受けるはめになります。
両足を固定するさらし台は「ストック」といいます。一般的なストックはついたてのような形状で、穴の空いた長方形の板に足首をはめ込むというものです。
ほかに両手両足を戒めるストックや、複数の人間を並べてさらせる大型のさらし台もありました。
有名人向け? 見世物や死体のさらし刑にも使われた「檻」
檻がさらし刑の道具として使われる場合もあります。有名なのは、ルイ11世統治下のフランスで陵辱に対する罰として用いられたものです。この檻の製造に一役買ったヴェルダン司教も、14日間を檻の中で過ごしました。
フランスではルイ14世の時代まで檻が使われ、ときには犠牲者をさらに苦しめるため、凶暴な山猫を一緒に入れる場合もあったようです。
檻の使用はフランスだけではありません。たとえば1306年のイギリスでは、さる伯爵夫人がバーウッド城の木製の檻に監禁されています。また14世紀ごろ、チムール大帝がトルコ皇帝バジャセットを捕らえて檻に入れ、見世物にしたという記録もあります。
檻に死体を入れておとしめる刑罰も行われました。特にイギリスでは、海賊に対する示威行動としてよく行われたようです。1701年、海賊ウィリアム・キッドの遺体はタールで厳重にパックされ、檻に入れられて数年間高台に吊るされました。1832年まで、この死体さらし刑は続いたとのことです。
「ネックレス」は大衆向けの告知アイテム?
さらし刑の際には、重い木や石をつなげて作られた「戒めのネックレス」が使われることがありました。犯した犯罪によって特定のネックレスをつける習慣になっており、刑具というより大衆に対する告知として使われていたようです。
たとえば犠牲者が大酒飲みなら、酒瓶をかたどったネックレスがかけられます。ギャンブルの罪ならサイコロやカード、喫煙者にはタバコの大きな模型をつなげたものがかけられ、広場にさらされるのです。もちろんその後、大衆によるリンチが行われるのは言うまでもありません。
密猟者の場合は、密猟で手に入れた獲物の死骸が首からぶら下げられることもありました。死骸の場合はそれが腐って落ちるまで罪は許されず、夏場であれば腐臭で呼吸ができない状態に陥ったということです。
他に変わった例として、礼拝を怠る者に十字架のネックレスをかけるというさらし刑も存在していました。いざ背教者として告発されれば、ひどい拷問を受けることになります。十字架のネックレスは、その前段階として、怠け者に対する教会からの警告だったのです。
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