中世ヨーロッパといえば騎士の時代。騎士たちはどのような暮らしをし、何を見て何を考え、どんな人生を送っていたのでしょう?
この新シリーズでは、1165年にフランスに誕生した架空の騎士ジェラールを案内人に、中世ヨーロッパと騎士の姿をわかりやすくご紹介していきたいと思います。
第1回目のテーマは、「中世時代の暦」です!
目次
ユリウス暦とグレゴリウス暦
”現代”とやらはグレゴリウス暦というのが一般的なのですか? 私が生まれた頃はユリウス暦が使われていたのですが……。
現代ではグレゴリウス暦(グレゴリオ暦)が採用されていますが、中世のヨーロッパではユリウス暦が使われていました。
ユリウス暦は、かの有名なローマの政治家ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)によって、紀元前45年に定められた暦です。
現代と同様に1年を365日とし、1~12月まで12の月が設けられています。
ユリウス暦はいわゆる「太陽暦」で、地上から見える太陽の動きを基に、1年を365日と定めていました。
ところが実際には、地球が太陽の周りを回るのにかかる日数は平均365.2422日です。
このずれをなくすため、ユリウス暦では4年に1度、1日を加えて366日にする「閏年」が設定されていました。しかしそれでもずれは残り続け、年月とともに拡大していきます。
おかげで私が生まれた1165年には、自然のサイクルより9日も早いカレンダーになっていました。これでは農作業にも影響が出てしまいますね。
このような事態を解消するため、ローマ教皇グレゴリウス13世は1582年にユリウス暦を廃し、グレゴリウス暦を制定します。
ジェラールをはじめ、暦が改定される前の時代に生きていた中世ヨーロッパの人々は、現代人とは少しだけずれた季節感をもっていたといえそうです。
教会暦と祝祭日
暦とは別に、中世の人々はキリスト教会が定めた「教会暦」に従い生活しています。
農民たちは教会暦の祝祭日を目安に農作業を行っていました。私のような騎士も、法律や手紙、日記などの文書には祝祭日を記しますし、戦争のための集合日も祝祭日で決めています。
たとえば第1回十字軍の遠征は、聖母マリアが天に昇った聖母被昇天の日(8月15日)に開始されたんですよ。祝祭日がわからないと、戦争に遅刻してしまう可能性もあったのです。
たとえば第1回十字軍の遠征は、聖母マリアが天に昇った聖母被昇天の日(8月15日)に開始されたんですよ。祝祭日がわからないと、戦争に遅刻してしまう可能性もあったのです。
教会暦にはどのような節(祝祭のための準備期間)や祭日があったのでしょう? 宗派などで異なりますが、主なものをご紹介しましょう。
*待降節(たいこうせつ)
・降誕祭を迎えるための準備期間。
・期間:第1主日から4週間。
第1主日とは、12使徒のひとり聖アンドレアスの日(11月30日)に最も近い日曜日のことです。
*降誕節
・イエズスの降誕を祝う期間。
・期間:12月24日~最長1月13日まで。
このうち、12月25日が降誕祭(クリスマス)です。
*四旬節(しじゅんせつ)
・イエズスが40日間苦行したことにちなみ、罪を悔い改めて復活祭を待つ期間。
・期間:「灰の水曜日」から主日(日曜日)を除いた週日40日間。
「灰の水曜日」の日付は年によって異なりますが、復活祭が必ず日曜日に行われるため、四旬節の開始日は必ず水曜日になりました。
*復活節
・イエズスの復活を祝う「復活祭」(イースター)の期間。春の訪れを祝う日でもある。
・期間:復活祭前日の日没後~「復活祭」から50日目の「精霊降臨祭」まで。
復活祭は「春分の日(3月21日)の後の最初の満月の後の最初の日曜日」と定められていたため、年によって日付が異なっていました。
誕生日は「聖人の日」
私の誕生日は聖マルタンの日です。えっ、それはいつか? ですって?
中世の人々は誕生日を何月何日とは覚えません。教会暦の祝祭日や、聖人の日で覚えたり、何々の日の何日前・何日後という表現で覚えていました。
「聖人の日」とは、教会が信者の手本となる歴史上・伝説上の人物を祝う日として割り当てているものです。
こうした祝祭日や聖人の日は毎日のようにありましたが、全ての日を覚えるのは難しいため、人々は自分に関係のある重要な日を中心に記憶していました。
例えば私の誕生日・聖マルタンの日は、11月11日です。この日は農民たちが年貢や地代を完納する締切日でもありました。
このように、中世ヨーロッパの人々は現代人とは異なる日付感覚の中で生きていたのです。
ユリウス暦1165年、聖マルタンの日に誕生した騎士ジェラール。彼はこの後どんな人生を送っていくのでしょう。次回をお楽しみに!
◎関連記事
騎士になりたい! そんなあなたのためのパーフェクトガイド
◎参考書籍
『中世騎士物語』
著者:須田 武郎
〉Kindle で読む