ルネッサンス期の貴族チェザーレ・ボルジアは、マキャベリの『君主論』のモデルとなった人物であり、妹のルクレツィアとただならぬ関係にあったともいわれる貴公子です。
彼の生まれたボルジア家には、「カンタレラ」という秘伝の毒薬があり、彼はその力で多くの政敵などを殺害したとされています。
今回はそんなボルジア家の毒薬カンタレラをご紹介しましょう。
目次
カンタレラの成分や製法とは?
【毒薬「カンタレラ」とは?】
- 成分:プトマインと亜砒酸?
- 製法:逆さ吊りにした豚を撲殺し、その肝臓をすり潰して亜砒酸を加え、乾燥させる。
- 見た目・味:雪のように白くて味のよい粉末
- 使用法:料理や飲み物に混ぜる。
- 効果:急激な倦怠感、肌荒れなどの後、歯が抜け、立つことも座ることもできなくなり、呼吸困難と激しい悪寒にみまわれ死んでしまう。
ボルジア家に伝わる毒薬カンタレラの成分や製法には様々な説がありますが、その中のひとつに「逆さ吊りにした豚を撲殺し、その肝臓をすり潰し亜砒酸を混ぜる」というものがあります。
じっくりとなぶり殺された豚は、過大なストレスにより肝臓に大量のプトマインという毒物を蓄積します。そこにさらに亜砒酸を加えることで、より高い毒性を持つカンタレラを製造することができました。
カンタレラは、料理や飲み物に混ぜて政敵などに提供されます。
カンタレラには、調合方法を変えることで服用した者の死亡時期を調整できるという特色がありました。政敵は毒を盛られてもすぐには気づくことができず、死の間際になってようやく悟るというわけです。
ボルジア家の父子、カンタレラで歴史を操る
19世紀の毒物学者フランダンによると、「カンタレラ」という言葉にはイタリア語で「歌をうたわせる」「ゆする」といった意味があり、「毒を盛って金品をまきあげる」というニュアンスも含まれていたといいます。
その言葉通り、チェザーレ・ボルジアとその父であるローマ教皇アレッサンドロ6世は、カンタレラを使い、金品をまきあげたり、政敵を暗殺したりしていました。
1498年にユダヤ人改宗者ペドロ・グランダが毒殺されたのをはじめ、1503年には枢機卿バチスタ・オルシニが全財産を奪われた上で変死するなど、ローマ教皇アレッサンドロ6世とチェザーレは幾人もの聖職者や枢機卿を毒殺し、その財産を奪い取っています。
また、オスマン・トルコ王の弟ジュエムがローマ宮廷に逃亡してきた際にも、秘伝の毒薬カンタレラが使われたといわれています。
フランス国王シャルル8世はコンスタンチノープルの防衛布陣などの情報を手に入れるため、ジュエムの身柄を買い取ろうとしました。ところがオスマン・トルコとの関係悪化を恐れた教皇アレッサンドロ6世は、金を受け取るとジュエムの飲み物に毒薬を盛り、彼がフランス側に引き渡されてすぐ死ぬよう仕組んだのです。
このように、毒薬カンタレラを使い権力を欲しいままにした教皇アレッサンドロ6世とチェザーレでしたが、最後には彼ら自身もその毒薬で亡くなってしまいます。
1503年8月、コルネト枢機卿の屋敷を訪れたふたりは、暑さに耐えかね水を所望しました。ところが召使いが誤って彼らの持参したカンタレラを水の杯に入れてしまったのです。
教皇アレッサンドロ6世は、2週間苦しんだ末に亡くなりました。一方、息子のチェザーレは、生きたラバの腹を裂き、その熱い血や内臓に身を浸すという解毒法でなんとか生き延びます。
しかしその後、彼は権力闘争に敗れ、捕らわれてスペインに送られてしまいました。一度は逃亡に成功したものの、最後には戦死してしまったということです。
幾人もの命を奪ったボルジア家の毒薬「カンタレラ」。そのおぞましい力は、ヨーロッパの歴史に深い爪跡を残すこととなったのです。
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