アイヌにはたくさんのカムイ(神)がいます。
エゾヒグマをキムンカムイ、タンチョウヅルをサロルンカムイと呼ぶなど、その種類は海に山にさまざまです。それならば、海洋生物として最大級の大きさを誇るクジラもさぞかし重要なカムイとしてあがめられている……かと思えば、実はそうではありません。
『図解 アイヌ』(角田陽一 著)ではアイヌの世界観や生活、動植物にいたるまでさまざまな姿を知ることができます。
今回はアイヌとクジラの関わりについてクローズアップしてみましょう。
目次
海からの大いなる恵み、アイヌとクジラの伝説
クジラはアイヌ語でフンペと呼ばれます。これは「フン!と音を出すもの」という意味です。
巨大なクジラがひとたび陸に打ち上げられれば労せずに膨大な肉が手に入るため、座礁したクジラは「寄りクジラ」と呼ばれ、大変な恵みと考えられていました。日本においては、クジラ1頭で7つの浦が潤うともいわれたほどです。
アイヌには各地にクジラの伝説が残されています。
有珠のチャランケ岩には、寄りクジラの取り分を争ったふたりの村長が白熱の議論のあまり疲れて岩になってしまったという伝承があります。また争いの最中、砂を盛り上げて作った山を海藻で覆い脂をぬってクジラに見せかけ、砦にこもった軍勢をおびき出したという「厚内の砂鯨」という話も残されています。
室蘭では沖の長い岩を寄りクジラと間違えたアイヌの村人が、クジラが浜に着くのをたき火をしながら待っているうちに薪を使い果たしてしまい、大切なお椀までも火にくべてしまったという笑い話のような伝承も残っています。
どのエピソードも「寄りクジラ」が資源として重要視されていたことがわかるお話となっています。
このクジラがテーマとなった鯨踊りが北海道太平洋沿岸には広く残されているのです。
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クジラの恵みを言祝いで、歌って踊るフンペリムセ
アイヌの踊りは多彩です。座礁したフンペ(クジラ)を発見した村人が喜ぶ様を表現したフンペリムセ(鯨踊り)のほかにも、鶴の翼を表現して舞うチカプゥポポ(鳥の舞)や狐に扮した踊り手が狩人との攻防を演じる狐踊り。人間とネズミチームに分かれて餌を取り合うエルムンコイキ(ねずみ踊り)など、優雅さを備えたものからゲーム性を帯びたものまで様々な踊りがあります。
中でもフンペリムセは北海道の長万部から日高、白糠までの広い地域に伝わっており、寸劇の要素も強く持った踊りです。
少し詳しくご紹介しましょう。
まず、ひとりが着物をかぶって横たわり、寄りクジラに扮します。そこへ盲目の老婆役の人物が杖をついて現れて、杖で寄りクジラを探しあてます。
そしてすかさずこう叫ぶのです。
「フンペ ヤンナ プンポエー!」(クジラが揚がる音!)
すると周囲の人々はこのように唄います。
音がする 浜の方だよ 音がする 鯨が揚がった 音がする 目あきの衆よ……
道東地方では海鳥やカラス役の女性が鳴き騒ぐことで寄りクジラの知らせとするバージョンもあります。そして、寄りクジラのために集まった衆は老婆に続いてクジラを分け合う動作を行い、最後にクジラ役の人を胴上げしてフンペリムセは「めでたしめでたし」と終わるのです。
洞爺湖町の沿岸では、クジラ肉を分けたあとに再度フンペリムセのような仕草を行い、クジラ役の人を海に返すような所作を行うものもあります。これはクジラの魂の復活と豊漁を祈るものだと考えられています。
アイヌの生業は猟と川や海での漁でした。大きな獲物への感謝と喜びの垣間見える踊りと言えるでしょう。クジラは和人や他民族との交易品としても重要な役割を持っていました。
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クマもクジラも打ち倒す、アイヌの毒は秘伝のレシピ
このようにアイヌの生活を潤し、それを喜ぶ踊りが残されているクジラですが、カムイ(神)としてはとらえられていません。
アイヌの人々はクジラではなく、クジラを襲って岸へと追い込む「シャチ」をカムイとして崇めています。
シャチはレプンカムイ(沖の神)または、イコイキカムイ(クジラをいじめる神)と呼ばれました。
寄りクジラはいつもあるものではありませんので、波が静かな噴火湾沿岸ではアイヌ自身が捕鯨を行った例もあります。鯨に使われた毒は、トリカブトが主原料で大変強力なものだったようです。
明治時代の医学者が熊狩りの名人から聞き取った情報の一端を紹介すると、トリカブトに煙草の汁やマツモムシ、スズメバチ、また赤エイの毒針を混ぜ込むなど様々な手順があり、作り手ごとに独自のレシピがあったと伝えられています。
トリカブトのみで作った毒では息絶えるまで2時間ほどかかる熊でも、数種類の毒物を合わせた毒矢を使えば一時間で絶命させることが可能だったといいます。
捕鯨に使われたのもこうした毒で、トリカブトだけでなく川の毒虫やカラスの胆汁をも調合し、2メートルもの長さの竹の銛でクジラを深く刺し貫いてしとめるものでした。
毒が回って息絶えたクジラはどこかの浜に流れ着きますが、その所有権は銛に刻んでいた家紋でわかるようになっていました。
アイヌに伝わる数々の伝承でもわかる通り、アイヌにとって寄りクジラは大切な資源でした。ですので、余計な争いを避けるためにも誰のクジラなのか確実にわかる印が必要だったのですね。
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- etc...
ライターからひとこと
クジラがカムイに数えられていないのをとても意外に思いました。クジラはシャチの下位の生き物とだと考えられていたようです。アイヌにとって重要なシャケもカムイとは考えられていませんので、どういった基準があるのか気になりますね!