ジャンヌ・ダルクを補佐した英雄であり、数多くの少年たちを惨殺した悪鬼でもある「ジル・ド・レエ」。小説や漫画、ゲームのキャラクターとしてご存じという方も多いかもしれませんね。
『ヴァンパイア』(森野 たくみ著)では、ドラキュラ伯爵のモデルとなった15世紀の人物「ヴラド・ツェペシュ」など、「吸血鬼」と呼ばれた殺人者たちを紹介しています。
今回はその中から、ジル・ド・レエの数奇な生涯をご紹介しましょう。
目次
ジル・ド・レエと聖女ジャンヌ・ダルク
ジル・ド・レエは1404年、フランスの名門貴族の息子として生まれました。
幼い頃は何不自由ない生活を送っていましたが、11歳の時に母のマリー・ド・クランが死亡、次いで父のギイ・ド・ラバールも戦争で亡くなってしまいます。こうして彼は母方の祖父ジャン・ド・クランに引き取られることとなりました。
1420年、16歳になったジルは、祖父の紹介で名門貴族の娘カトリーヌ・ド・トーアと結婚します。両親の莫大な遺産を相続し、フランス国王に次ぐ金持ちとなりまするのです。
当時、フランスはイギリスとの百年戦争の真っ最中でした。
イギリス軍の侵攻に加え、国内では内乱が相次ぎ、おまけにペストも猛威を振るうなど、フランスは疲弊しきっていました。
ついには1428年、国王シャルル7世がオルレアンの地でイギリス軍に包囲され、フランスは窮地に追い込まれてしまいます。
この危機に立ち向かうべく、1429年4月、ジルは自費で騎士団を編成し、オルレアンへと向かいます。その道中で出会った人物こそ聖女ジャンヌ・ダルクでした。ジャンヌは農家の娘でしたが、フランスを救う使命を神から託されたと信じ、立ち上がったのです。
ジルはジャンヌを補佐してシャルル7世を助け、オルレアンをイギリス軍から解放することに成功します。この功績で、彼はフランス騎士最高の名誉である元帥の称号を得ることとなりました。
ところが1430年、ともに戦った聖女ジャンヌはイギリス軍に捕らえられ、政治の駆け引きに利用された挙句、翌年には異端者として火あぶりにされてしまいます。
早くに両親を亡くしたジルにとって、ジャンヌはかけがえのない存在でした。その彼女が処刑されてしまったことは、後のジルの人生に大きな暗い影を投げかけることとなります。
こうしてジルは戦争から身を引き、自分の領国に引きこもるようになりました。
失意のジル・ド・レエ、黒魔術師プレラーティに出会う
1435年、祖父ジャン・ド・クランが亡くなると、その遺産も相続したジルは、ヨーロッパ全土で5本の指に入るほどの資産家となります。
しかしどれだけ財産があろうとも、盟友ジャンヌを失ったジルの心が満たされることはありませんでした。
ジルは領国のチフォージュ城近くに礼拝堂を建て、豪華な宴会を繰り返し開くようになります。
宴席には聖歌隊の美しい少年たちも参加していました。彼らは普段は教会で聖歌を歌っているのですが、宴会では参加者たちに酒を注いで回ります。加えて、時にはジルや客たちのみだらな要求に応えることも仕事としていました。ジャンヌを失ったジルは、男色に耽るようになったのです。
こうして放蕩三昧の日々を送るうちに、ジル・ド・レエの財産は少しずつ減っていき、彼は領地を売り払い金に換えるようになります。
ところがそれだけでは足りなかったため、彼は錬金術に頼るようになりました。
ジルは幼い頃から学問が好きで、古典文学に熱中し、ラテン語を話し、アウグスチヌスやオヴィディウスの書物も読むことができた秀才でした。
当時、錬金術は禁止されていましたが、学問に通じていたジルはヨーロッパ各地からひそかに錬金術師たちを集め、なんとか金を生み出そうとしたのです。
さらに、彼は黒魔術にも傾倒しはじめます。黒魔術とは、悪魔と契約することで金や錬金術の奥義を手に入れることができるというものです。
ところがジルが雇った錬金術師や魔術師たちは、イカサマ師か役に立たない者ばかりでした。
落胆する彼のもとに、ある日、イタリア人黒魔術師フランソワ・プレラーティが現れます。ふたりは悪魔バロンの召喚に熱中し、ついには悪魔に生贄を捧げるようになりました。
ジル・ド・レエの幼児大量虐殺、そして処刑へ
こうしてジル・ド・レエは悪魔への生贄を口実に、近隣の村から少年たちを集め、自らの倒錯した性欲を満たすために彼らを惨殺しはじめます。
たとえばある時、ジルは部下に命じて少年を壁に吊り下げさせました。しばらく放っておき少年が恐怖に脅えきった頃、ジルは自ら少年を壁から降ろし、優しく「もう大丈夫だ」と囁きます。少年が安堵したその瞬間、ジルはその首を切り落としました。
またある時、ジルは少年の手足を生きたままもぎ取り、その悲鳴に聞き惚れたといいます。
こうした行いは彼が逮捕され、裁判にかけられるまで続きました。1440年9月13日、ジル・ド・レエは金策のためにメルモント城を売却した際のトラブルがきっかけで、異端審問所に引きだされたのです。
裁判の場で、ジルは自らの過ちを認め、錬金術や黒魔術のこと、子どもたちを虐殺したことなどを詳細に告白しました。彼の心にはまだ神への畏れが残っていたのです。
裁判の記録によると、ジルの手にかかり惨殺された子どもたちは800人以上にものぼるといいます。彼の所有するシャントーセ城では、幼児の死体を詰めた樽が見つかった他、ジルの召使いたちも裁判で36~46人の死体を見たと証言しています。
こうして1440年10月26日、ジル・ド・レエは処刑されました。この時まだ36歳。聖女ジャンヌとともにフランスを救った英雄は、激動の人生を駆け抜け、幼児虐殺者として処刑されたのです。
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