人気漫画『ゴールデンカムイ』の影響もあり、アイヌの言葉やアイヌ文化の人気が日々高まっていますね。
アイヌ民族の伝承に深い興味を抱いている人もいるでしょう。
しかし、古事記・日本書紀などの神話に比べれば、アイヌの神話はまだ広く一般に知られているとはいいにくいのも事実です。
日本神話に天地開闢の話があるように、アイヌにもまた同様の伝承が残されています。
アイヌ語では「空」をニシ、「天」はカントといいます。そして、人間が住む世界をアイヌモシリ、神の住む世界をカムイモシリと呼んでいます。
では、カムイモシリは天であるカントにあるのでしょうか?
実はそんなに単純ではありません。アイヌの天地創造の神話を紐解きつつ――、カムイモシリのありかを探ってみることにしましょう。
目次
カムイモシリは高天原? アイヌと日本の共通点
アイヌの伝説や神話は、文字でなく口伝えに現代まで伝えられてきたものです。そのため、地域や伝承者により違いが生まれることもあります。
残されている口伝のひとつに、夕張川流域の村でコトンラン翁の語りを記録したものがあります。
――太古の昔、天地は混沌であり海には油に似たものがただよっていた。そこに島ができ、一柱の国作りの神が降り立った。もう一柱の神は五色の雲に乗って島に降りた。
その二柱の神が、鳥(シマフクロウ)の仕草を見て男女の契りを交わし、夫婦の語らいの中から多くの神を生み出して行く――
その二柱の神が、鳥(シマフクロウ)の仕草を見て男女の契りを交わし、夫婦の語らいの中から多くの神を生み出して行く――
かいつまんだアイヌの天地創造の神話ですが、お気づきになった方もいるでしょう。この神話には、記紀におけるイザナギ・イザナミの国産みの様子と似通ったところがあるのです。シマフクロウのくだりは、日本書紀においてはセキレイが担います。
「五色の雲」という表現もポイントです。
アイヌで神聖とされる数字は「六」でした。アイヌのカント(天)が6層に分かれていることや、アイヌ語の「六」に「数多い」という意味があることからも推し量ることができるでしょう。
またアイヌでは細かい色の表現が少なかったため、「五色の雲」という表現には、古代日本から五行思想の流入があったと考えられています。古代のつながりが互いの神話から読み取れるのは興味深いですね。
しかし、こんな違いもあります。日本神話では天照大神が最高神として高天原を治めていますが、天のカムイモシリにいるペケレチュプ(日の神)はさほど深い信仰は得ていません。
しかも「天」のカムイモシリには、アイヌで大事にされる火の神や、熊などの動物の神はいないのです。詳しくは次項でご紹介いたしましょう。
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天に山に海にも宿る、カムイモシリはアイヌのそばに
実は、神の国「カムイモシリ」はひとつの国ではありません。
神自身と関わりの深い場所に、カムイモシリは存在しています。火の神(アペフチカムイ)は「囲炉裏」に宿っています。創造神や天体の神、気象の神のカムイモシリは「天」に、動物の神のカムイモシリは「山」に、そしてシャチなどの海獣のカムイモシリは「海」の中にあるのです。
アイヌの考えでは、野生動物はカムイ(神)がアイヌモシリに現れた仮の姿だとされています。神の本体は、カムイモシリにあり、そこでカムイたちは人間と同様に家を持ち、服を着て日々の生活を営みます。熊や狐などの男神は刀の鞘に彫刻を行い、イタチなどの女神は、毎日心を込めて衣装に刺繍を行ないながら過ごしているのだそうです。
人間の狩りの獲物であるキタキツネ(チロンヌプカムイ)、カワウソ(エサマンカムイ)などは神の化身です。これらのカムイと山の神でもある熊の神(キムンカムイ)は、人間に与えるための肉と毛皮をまとって品行方正な人間の元へ下ります。
ちょっと変わったところでは、鮭(チェプランケカムイ)や鹿(ユクアッテカムイ)を司る神はアイヌモシリに直接下るのでなく、カムイモシリから獲物を放つといいます。
鮭や鹿は空気のように数限りなく存在するため、カムイが大きな袋を開いてばらまき落としたものと考えられていたためです。カムイたちの豊かな恵みを受けてアイヌは暮らしていると考えていたのですね。
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カムイモシリからの恵み、アイヌモシリからの祈り
カムイモシリとアイヌモシリは、分かち難くつながっているということがわかりました。
神々がうっかりアイヌモシリに落としてしまった品々は――楊の枝はししゃもに、女神の貞操帯はタコに――成り代わって人間の恵みとなるといいます。
このようにカムイの方からはアイヌに働きかけることができますが、その逆はどうでしょうか。
カムイたちは、空を飛ぶ「シンタ」というゆりかごに乗って、カムイモシリと人間界を自在に行き来することができます。
しかし、人間がカムイモシリに行くのは簡単ではありません。人間がカムイモシリに行くには、肉体と魂を分離する必要があります。つまり、死を迎えなければ行くことはできないのです。ですので、容貌の優れた子供には、神に連れ去られないように、あえて汚い名前をつける習慣もありました。
人間は、カムイモシリにいるカムイに願いや供物を届けるために、イナウ(木幣)やイクバスイ(捧酒箆)を使って、神々をまつりました。
鋭い刃物で木を削って作るイナウは器用な人間にしかつくれないものであり、祭具のイクバスイは人間の言葉を正しく神に伝え、捧げ物を増やして神に届ける役割を持っていたからです。
人知を超えた存在でありながら、身近な存在でもあったカムイへの、アイヌの人々の感謝と畏敬の念を知ることができますね。