クレタ島という島に、牛頭人身の怪物ミノタウロスが棲む迷宮がある……そんな伝説を聞いたことはないでしょうか。
今回はミノタウロスの迷宮で知られる、クレタ文明とクノッソス宮殿をご紹介します。
目次
クレタ文明ってどんな文明?
- 場所:クレタ島(地中海東部、エジプトとギリシアの真ん中あたり)
- 期間:紀元前2000年~紀元前1450年頃
- 期間:紀元前2000年~紀元前1450年頃
地中海に浮かぶクレタ島には、紀元前2000年頃からクレタ文明(またはミノア文明)と呼ばれる文明が栄え、オリエント、エジプト、ギリシアの中継点として大いに繁栄していました。
クレタ文明の中心地はクノッソスという都市で、2km四方の範囲に推定8万人もの住民が暮らしていたといいます。
都市の中には住宅や離宮、墳墓など様々な建造物がありました。中でも有名なのが、後ほどご紹介するクノッソス宮殿です。
クレタ文明の衰退と発見
クノッソスを中心に栄えたクレタ文明。どうして衰退してしまったのでしょう?
じつは、クレタ文明は紀元前1450年頃まで続いたとされますが、衰退した理由ははっきりしていません。
ですが近年では、ミュケナイ文明(ギリシア本土で栄えた青銅器文明。ミケーネ文明ともいう)によって支配されたという説が有力です。その証拠として、クレタ島で発掘された遺跡から、ミュケナイで使われていた文字が発見されています。
クレタ文明はその後すっかり忘れ去られ、ギリシア神話の伝説的存在だと考えられるようになりました。
ところが1900年、ギリシア神話を信じたイギリスの考古学者アーサー・エヴァンズによって、クレタ文明の遺跡群が発掘されます。こうしてクレタ文明は再び日の目を見ることとなりました。
エヴァンズはその後、生涯をかけてクレタ文明の研究を行いました。『クノッソスにおけるミノスの宮殿』などの著作物にその成果がまとめられています。
クノッソス宮殿ってどんな場所?
クレタ文明で最も有名な遺跡はクノッソス宮殿です。
クレタ文明の中心都市クノッソスに建てられたクノッソス宮殿は、紀元前1700年頃に地震(または何らかの天災)によって倒壊し、その後、紀元前1500年頃に建て直されました。現在残っている遺跡のほとんどは、この時建て直された第2宮殿です。
クノッソス宮殿は2階、あるいは3階建てで、階段と廊下が多いつくりのため、迷宮の宮殿と呼ばれています。
宮殿内部には執政・謁見など公務を行うための部屋や、王家や高官たちの私生活空間、工房、倉庫などが設けられています。地下には水場があり、沐浴することもできました。
ミノタウロスの迷宮伝説
最後にギリシア神話の中から、クノッソス宮殿にまつわる伝説をご紹介しましょう。
クノッソス宮殿の地下には迷宮があり、そこには牛頭人身の怪物ミノタウロスが棲んでいました。ミノタウロスは、クレタ島の国王ミノス王の妻が牡牛と交わり産んだ怪物で、人目に触れぬよう、この地下迷宮に幽閉されていたのです。
ミノタウロスの餌は、アテネから貢ぎ物として毎年捧げられていた貴族の若者と処女たちでした。何十人もの若者が地下迷宮に放り込まれ、ミノタウロスの餌食となったといいます。
ところがある年、貢ぎ物に選ばれたアテネのアイゲウス王の息子テセウスに、ミノス王の娘アリアドネがひと目惚れをしてしまいます。
アリアドネは彼を助けようと、こっそり短剣と糸玉を渡しました。
テセウスはアリアドネに貰った糸を迷宮の入口に結びつけました。迷宮の奥でミノタウロスと戦い、これを倒すと、糸をたぐって無事に脱出したということです。
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