アイヌ民族はどのような暮らしをしていたのでしょう?
今回は家族制度や家族の中での役割分担、女性特有の刺青の風習についてご紹介します。
目次
アイヌの家族制度
まずご紹介するのはアイヌの家族制度です。その特徴は次のようなものでした。
- 一夫一婦制(一部では一夫多妻もあり)。
- 基本的に両親とは同居しないため、嫁姑問題は起こりにくい。
- 離婚も認められている(ただし、女性は実家への出戻りが許されなかった)。
アイヌの家族制度は一夫一妻制で、一件の家には夫婦と子どもたちだけが住んでいます。成人した者は別戸を構えて独立するか、他家に嫁いでいくため、いわゆる嫁姑問題は起こりにくかったといわれています。
夫婦仲が悪ければ離婚も可能でした。ただし女性は実家に出戻ることが認められていなかったため、夫の兄弟や近隣の有力者の庇護を受けて生活したといいます。このため、一部では一夫多妻も存在していました。
アイヌの男女の仕事分担
アイヌの伝統的社会では、男性と女性の役割は分かれており、基本的に男性は狩猟や戦闘、女性は家事や子育て、畑仕事などを担っていました。
男女別の主な仕事内容を以下にご紹介しましょう。
【男性の主な役割】
・コタン(集落)の運営
・他地域との折衝(戦争・交易・談判など)
・神事・祭事の主催、進行
・狩猟、漁労
・家つくり
【女性の主な役割】
・家事全般(炊事、洗濯)
・子育て
・機織りや裁縫
・畑仕事
・山菜採り、薪採り
アイヌ社会は伝統的に男尊女卑で、女性は神事に参加できず、夫の名前を口に出すことも禁じられていました。
男系・女系にまつわる風習
アイヌの家族では、エカシイキリ(男系)とフチイキリ(女系)は厳重に分けられており、結婚しても夫側の一族に組み込まれることはありません。そのため、日本本土とは異なる次のような風習がみられます。
- 女系が異なるため、姑の葬儀には関わらない。
- 出産の際は、自分と同じ女系の女衆に手助けしてもらう。
また、男系・女系それぞれに受け継がれていくものがありました。
- 男系(祖父→父→息子→孫)で受け継がれるもの:イトクパ(家紋)、一族の守り神
- 女系(祖母→母→娘→孫娘)で受け継がれるもの:ウプソルクッ(守り紐、貞操帯)
アイヌの家紋は線の刻みでデザインされており、秘蔵する宝に刻み付けるなどして男系の家族に代々受け継がれていきました。
女系の家族に受け継がれる守り紐は、形や飾り、巻き方などに女系ごとのデザインがありました。嫁に行っても姑の女系に染まることはなく、自分の娘や孫娘へと巻き方を伝えていきます。
アイヌ社会は男尊女卑ではありましたが、男系と女系が厳格に分けられているため、女性の立場が守られていたともいえそうです。
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アイヌ女性の刺青
続いてはアイヌ女性の特徴である刺青についてご紹介しましょう。
アイヌ社会で女性が刺青を入れた理由には、次のような説があります。
- 火の分身である煤を体に入れることで、神の加護を得ようとした。
- 男の髭を真似た。
いずれにせよ、アイヌ社会では女性の刺青は美しいものと考えられており、幼い少女たちは大人になり刺青を入れることに憧れていました。
では女性たちはどうやって刺青を入れたのでしょう?
刺青は初潮を迎えた頃から少しずつ入れ始め、嫁入りまでには完成させておくものとされていました。刺青を入れる場所は口元と手の甲、前腕です。
刺青の風習を持つのは女性のみでしたが、一部では弓の腕が上手くなることを願って男性が親指に入れたケースも存在しています。
【刺青の入れ方】
①ヤチダモやハンノキの樹皮、ヨモギなどを煎じて消毒液を作る。
②脂分の多いシラカバの樹皮を焚き、鍋底に煤をつける。
③①で作った消毒液を使い、顔や手足を清める。
④マキリ(小刀)や黒曜石の破片で皮膚に細かい傷をつけ、その傷口に②で作った煤を擦り込んでいく。止血は消毒液で行う。
⑤数日後、腫れが引けば成功!
刺青の施術は細かい傷に煤を擦り込むというものだったため、大変な苦痛が伴いました。また数日間は患部が腫れ上がって発熱するなど、身体への負担も大きいものでした。
こうした苦痛を少しでも和らげようと、アイヌの人たちは施術の時期や施術者を工夫しています。
- 春や秋の気候がよい時期に行う(夏は傷が膿みやすく、冬は寒さで傷むため避ける)。
- おだやかな老女に施術を頼む。
- 口元に施術する時は予め大量に飲み食いしておく(腫れるため数日間は食事ができない)。
刺青の風習はアイヌ社会で長く伝統とされていましたが、明治時代になると日本政府によって刺青が禁じられたため、徐々にすたれていきました。
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