うだるような暑さが続く夏。暑い季節にぴったりの食べ物といえば、そうめんです。
そうめんはいつ頃から食べられていたかご存知ですか? 今回はそうめんの歴史をご紹介しましょう。
目次
中国から伝わったそうめん
【速報】そうめん伝来!!
・中国(唐)から伝来。中国では「索餅」→日本では「麦縄」・「牟義縄」と呼ばれた。
・750年頃の公文書に「麦縄」が初めて登場。
・小麦と米粉の生地を手でこねて延ばし、縄のようにねじって作る。
・うどんよりも太く、最初はちぎって食べていた。
漢や唐の時代の文書には「
日本に伝来した「索餅」は、「
当時の「麦縄」は、現在私たちが食べているそうめんとはかなり様子が異なります。小麦粉と米粉を合わせた生地を手でこねて延ばし、縄のようにねじって作るのです。
なんと、うどんよりも太く、手でちぎって食べていたと考えられています。
皇族や貴族、高僧の食べ物とされ、一般庶民が気軽に食べられる料理ではありませんでした。
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そうめんの進化と定着
日本に伝わったばかりの頃のそうめんは、現在とはだいぶ違う食べ物でしたが、その後どのようにして私たちの知るそうめんへと進化したのでしょう?
【進化するそうめん】
・927年の文献には、「ゆでて冷やし、酢などであえ、薬味を添えて食べる」との記述あり。
・平安時代には7月7日に食べる縁起物とされていた。
・鎌倉時代以降、「索麺」・「素麺」などと名前が変わる。
・室町時代には冷麦、うどん、にゅうめんの原型も登場。
・江戸時代に「素麺」として定着。
そうめんの食べ方は、時代とともに変化します。
927年撰進の法令集『延喜式』には、そうめんをゆでて冷やし、酢や醤(ひしお。味噌の起源となった発酵食品)、塩、糖であえ、薬味を添えて食べていたことが記されています。
平安時代、そうめんは7月7日に食べる縁起物とされていました。貴族たちはそうめんを神に供え、無病息災を祈っていたのです。
その後、鎌倉時代の終わり頃から、そうめんはそれまでの「麦縄」ではなく、「索餅(読み方は「むぎなわ」のまま)・「索麺」・「素麺」などと呼ばれるようになります。
現代のように「素麺」と書いて「そうめん」と呼ぶようになるのは、江戸時代に入ってからのことです。
時代とともに麺の太さも次第に細くなり、すすって食べることができるようになりました。そうめんは俗語で「ゾロ」・「ソゾロ」・「ゾロゾロ」などと呼ばれていましたが、これらは食べる時の音を表すと同時に、「細いもの」を暗示する呼び名でもありました。
ちなみに室町時代には、現在の冷麦、うどん、にゅうめんの原型となる麺類も登場しています。当時、中国から新たな製粉技術や、平らに延ばした生地を切って麺にするという製法が伝わり、麺文化が花開いたのです。
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