ビクトリア朝の生活②医療技術の進歩と実情
「食事編」に続いて、ビクトリア朝時代の医療についてもご紹介しましょう。
ビクトリア朝は様々な技術が発展し、歴史の転換期となった時代ですが、なかでも医療技術の進歩にはめざましいものがありました。
1842年、アメリカのクロフォード・ロングがクロロフォルムを用いた最初の麻酔手術を行います。麻酔はその後しばらくの間、胡散臭いものだと思われていましたが、1857年にヴィクトリア女王がクロロフォルムを用い無痛分娩を行ったことがきっかけで、一般にも広く使用されるようになりました。
現代では何でもないような小さな外科手術でも、当時は術後に感染症にかかり亡くなってしまうことがありました。
1865年、イギリスの外科医ジョゼフ・リスターはこうした事態を改善すべく、石炭酸(フェノール)を使って患部を消毒する方法を考案します。これにより、感染症の割合は大きく減少することとなりました。
フローレンス・ナイチンゲールが最初の看護学校を設立したのもこの頃です。彼女は看護師としてクリミア戦争に従軍すると、生涯をかけて病院の衛生状況の改善に力を尽くしました。
このように様々な技術革新・改革が行われたビクトリア朝ですが、当時の人々は実際にどのような治療を受けていたのでしょう?
ビクトリア朝の医療現場は、主に3種類の医療関係者によって担われていました。
最も権威があったのは内科医(ドクター)で、古典知識を尊重した問診が中心の、時代遅れの治療を行っていました。
次に権威があったのは外科医(ミスター)です。当初は二流の医者という扱いでしたが、医療技術の発達とともに少しずつ勢力を伸ばし、最終的には内科医との区別があいまいなものとなります。こうした内科医・外科医の治療を受けていたのは上流~中流階級の人々でした。
それではビクトリア朝で大多数を占めていた労働者階級の人々は、どのような治療を受けていたのでしょう?
彼らは主に薬剤師の診察を受けていました。本来、薬剤師の役割は処方に従って調剤を行うことですが、内科医のいない地域では医療行為も行っていたのです。
お屋敷で雇われている使用人たちが病気になった時も、薬剤師が呼ばれていましたが、後の時代になると雇用主が出資する病院での治療がメインとなりました。
現代とは食生活も医療技術も大きく異なっていたビクトリア朝時代。皆さんがドラマなどで思い浮かべていた生活スタイルと同じでしたでしょうか? 違っていたでしょうか?
ビクトリア朝を舞台にした作品を観賞する時は、何気ない生活の描写に着目してみるのも面白そうですね。
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