『駅馬車』や『荒野の七人』、『明日に向って撃て!』など、西部劇には歴史に残る傑作が多く揃っています。
西部劇といえばカウボーイですが、カウボーイとは普段何をしている職業なのかご存知ですか? 馬に乗って銃を撃って……というイメージがありますが、どうやってお金を稼いでいるのでしょう?
『図解 フロンティア』(高平鳴海 著)では、カウボーイやガンマンなど西部劇でおなじみの人々が過ごしたリアルなフロンティア・ライフについて、文章と図解でわかりやすく解説しています。
今回はその中から、カウボーイの仕事と娯楽についてご紹介します。
目次
地味で危険、薄給だったカウボーイの仕事
カウボーイが活躍したのは、ゴールドラッシュの1850年代から80年代までの30年間です。
カウボーイは知名度が高く、若者たちの憧れの職業でしたが、その実態は地味できつく、汚くて危険な仕事でした。
春、牧場に雇われたカウボーイが最初に行う仕事はフェンスの修理と馬の調教です。時には足の速い馬を求めて、野生馬を捕まえに行くこともありました。
次に行うのは「ラウンドアップ」と呼ばれる作業です。当時の西部では、複数の牧場主が公有地に自由に放牧していた上に、野生の牛も繁殖していたため、たくさんいる肉牛の中から自分の牧場の牛を集めて数える必要がありました。
牧場主たちはそれぞれ牧場独自の焼き印を考案し、肉牛に施しています。
無印の仔牛は投げ縄で捕らえ、焼き印を押しました。もし余所の牧場の牛が混じっていたら返しに行くことも必要です。
こうした作業のため、カウボーイは1日最高15時間ぐらい馬に乗っていたといわれています。
夏までに牧草地へ牛を誘導すると、カウボーイは秋まで牛たちの監視を行いました。
秋には「キャトルドライブ」という大仕事が待っています。再びラウンドアップをして出荷する牛を選び、チームを組んで鉄道の駅のある町まで群れを誘導するのです。キャトルドライブは最長で2ヶ月もの旅になり、地域によっては春に行ったり、春と秋の2回行うこともありました。
牛たちはキャトルドライブで運ばれた後、鉄道の終点となる町で「ミートパッカー」(精肉会社)によって処理されます。西海岸や東部など、時代と需要に合わせて牛を運ぶことで、牧場主は莫大な富を手にすることができました。
キャトルドライブが終わるとカウボーイたちの契約は終了です。カウボーイは東部の故郷に帰る者と、冬の牧場に戻って牛の世話をする者とに分かれました。
このように春から秋までが主な仕事期間だったカウボーイですが、待遇は良かったのでしょうか?
カウボーイたちの日給は1~2ドル、月給では25~30ドルで、当時の民間では最低レベルでした。
3食付きで、宿舎で寝泊まりすることもできたとはいえ、決して良い待遇だったとはいえません。彼らの平均年齢は24歳で、就業人口は3万5千~4万人だったとされています。
ダンスに音楽、ロデオ カウボーイの娯楽と文化
地味で重労働、危険な仕事で、給料も決して良くはなかったカウボーイですが、彼らに楽しみはあったのでしょうか?
カウボーイたちは独自の娯楽と文化を築いていました。牧場でよく行われた遊びはダンスパーティーや音楽です。
牧場に女性は少ないので、ダンスパーティーではカウボーイたちは片腕にスカーフを巻き、パートナーの代わりにしていました。
カウボーイの奏でた音楽の原型は、スコットランド、アイルランド、ウクライナといったヨーロッパの民謡です。加えて過酷な生活や夢と愛を歌うワークソングも好まれました。これらの音楽から、東部ではカントリー音楽が、西部ではウエスタン音楽が誕生し、やがて融合してカントリー&ウエスタンが生まれます。音楽は南部の伝統的な楽器バンジョーやバイオリンで奏でられていました。
キャトルドライブ中は飲酒や賭博が禁止されていたため、歌が数少ない楽しみになっています。中でもアブ・ブロッカーというカウボーイは牛が踊るほど歌がうまかったと伝えられています。
屋外の娯楽には競馬とロデオがありました。ロデオはスペイン語で「囲む」という意味で、仕事をしながら荒馬を乗りこなし、牛の群れを集め、焼き印のための仔牛の押し倒しなどを競ったことが始まりです。
1883年の独立記念日には初のロデオ大会が開かれ、20世紀には競技化・興業化されるほど人気となりました。
カウボーイたちの仕事はきつい内容も多くありましたが、一方で音楽やダンス、ロデオといった独自の文化を生み出すことにもつながったのです。
ライターからひとこと
多くの人が憧れる職業だけれど、実は地味な仕事内容も多くて薄給――映画で見るカウボーイの世界は華やかで格好いいですが、現実は甘くないようです。本書ではカウボーイの他、ガンマンなど他の職業についてもわかりやすく解説しています。西部劇の世界観が好きな方は必見ですよ!