作者:東雲佑
エアコンの要らない季節は終わりを告げた。
比較的過ごしやすかった2018年の6月は、最終週に突入したと同時に一気に夏へと変貌した(変貌、という表現で間違っていないはずだ。それほどまでに急激に季節は変化したのである)。
それまで高くとも27度をキープしていた最高気温は6月25日の月曜日、一気に33度をマークした。
以降は一日の例外もなく真夏日が、あるいは猛暑日が続いている。6月29日には関東甲信越で梅雨明けが発表された。6月中の梅雨明けは観測史上初だという。
今年の夏は暑くなりそうだ。
さて、そんな感じで僕がアンニュイを決めていると(エアコンの効いた室内で冷えた麦茶を飲みながら。ビバ現代文明)、Skypeのチャット通知がマナーモードのスマホを振動させた。
ロック画面に表示された名前はパンタポルタ重岡、発言内容は『いま通話できます?』だった。
今週は読者だよりじゃないはず(読者だよりの打ち合わせはSkypeの通話で行なっている)だけどなんだろうと訝りながら、とにかくオッケーと返事をする。
5秒と待たずに着信はあった。
「お世話になっております。新紀元社の重岡……」
「わかってるっつーに」
これでお前以外だったら怖いわ。
僕のツッコミに対して、回線の向こうの重岡女史は「えへへ」とあざといタイプの笑いで応じた。それから、今日も暑いですね、だとか、梅雨明けちゃいましたねえ、とかのテンプレのような世間話を繰り出してくる。
わざわざ通話しといてこの白々しさは、むしろ本題の大きさ重さを予感させるばかりである。
「世間話はそのあたりで。Skypeの通話って長くなると通話品質落ちてくるし、単刀直入にお願いします」
痺れを切らした僕がそう切り出すと、女史はもう一度「えへへ」と笑った。あざとい、さすがゲオカあざとい。
それからさらに少しもったいぶったあとで、彼女は言った。
「それじゃあ、ほんとに単刀直入に」
「はい」
「東雲先生、小説書きません?」
「はい?」
単刀直入過ぎて、全然話がわからなかった。
「小説って、なんの?」
そう問い返した僕に対して、重岡女史は「わかってるくせにぃ」と言った。
「もちろん、異類婚姻譚の小説ですよ」
「異類婚姻譚の小説」
「ですです。読者からの要望、たくさんありましたよね?」
重岡女史がそう言ったその直後、通話は繋いだままでチャット通知のポップアップが画面に現れた。
発言の送り主は、やはりというべきか重岡女史(演出的な意図を如実に感じさせるタイミングである)。
内容はいくつかの読者投稿の引用だった。
ペンネーム『田井ノエル』さん
右先生の異類婚姻譚で新作、是非とも読みたいです。作家なら取材の成果を小説で発揮すべきだと思います。
右先生の異類婚姻譚で新作、是非とも読みたいです。作家なら取材の成果を小説で発揮すべきだと思います。
ペンネーム『えのきゆ』さん
今回も楽しかったです!
重岡女史と奥さんの掛け合いや、それを見ている東雲先生の優しい視点が読んでいて和みました。このまま小説にスライドしても違和感ないですよね!
今回も楽しかったです!
重岡女史と奥さんの掛け合いや、それを見ている東雲先生の優しい視点が読んでいて和みました。このまま小説にスライドしても違和感ないですよね!
ペンネーム『トーティ』さん
いつも楽しく読んでいます。
一つだけ、意見というか要望になるでしょうか。
第3話でタヌキの異類婚姻譚募集を読んで思ったのが、「タヌキが無いなら書けばいいじゃない」でした。
(タヌキの婚姻譚は分からないです。申し訳ないです……)
タヌキの異類婚姻譚、エッセイ終了後に書いてみませんか?
タヌキに限らないのですが、「学んだ作家の異類婚姻譚」読んでみたいです。
東雲様、重岡様、よろしければご検討ください。
いつも楽しく読んでいます。
一つだけ、意見というか要望になるでしょうか。
第3話でタヌキの異類婚姻譚募集を読んで思ったのが、「タヌキが無いなら書けばいいじゃない」でした。
(タヌキの婚姻譚は分からないです。申し訳ないです……)
タヌキの異類婚姻譚、エッセイ終了後に書いてみませんか?
タヌキに限らないのですが、「学んだ作家の異類婚姻譚」読んでみたいです。
東雲様、重岡様、よろしければご検討ください。
「ほらほらほら」
「うう、いつ見ても励みになる……!」
「ですよねー」
読者の皆様、いつも本当にありがとうございます……!
「それに上で取り上げたペンネーム『トーティ』さんのおたよりに反応する形で、こんな投稿も来てます」
ペンネーム『奥山千尋』さん
『トーティ』さんの「学んだ作家の異類婚姻譚」ってスゴい素敵なアイデアですね。ぜひ実現して欲しい!
『トーティ』さんの「学んだ作家の異類婚姻譚」ってスゴい素敵なアイデアですね。ぜひ実現して欲しい!
ペンネーム『優依』さん
「学んだ作家の異類婚姻譚」やってください! 1000字の短編でもいいので! お願いします!
「学んだ作家の異類婚姻譚」やってください! 1000字の短編でもいいので! お願いします!
「ほらほらほら、ほらほらほらほら」
「おお、おおお……」
思わず変な声が出た(次の更新予定は読者だよりではなかったので、このメッセージはこの日この時はじめて見ることになったのである)。
「東京でお会いした時に岡田さんも言ってたじゃないですか」
「うん」
女史が持ち出したのは5月の東京で行き合った図書ドラ担当編集岡田さんの提言だ。詳しくは東京編ラストを参照されたし! ……というのはなんだか不親切なので、以下に彼の台詞を引用する。
「いまこそ新連載ですよ。パンタポルタの連載が熱いうちに、新規の連載を並行して進めていくべきだと思うんですよ」
「具体的には異類婚姻譚をテーマにした小説です。異類婚姻譚というテーマなら東雲佑の売りである文章力や表現力も活かせると思います」
「いまこそ、ですよ! 東雲先生!」
他社の敏腕編集者の台詞を面の皮も厚く借用して、重岡女史は言った。
「いまこそ、小説の新連載、やりましょう!」
「……あら、東雲先生? どうしました?」
元気なお返事がありませんねえ、と重岡女史。
そうなのだ。僕は返事をしかねていた。返事をしかねて、ただうむむと唸るばかりだったのである。
「てっきり喜んでくれるとばかり思ってお話したんですけど……」
僕のローテンションな反応に、ただただ不思議そうな重岡女史。
無理もない。実際、もしも連絡をもらったのがあと二時間早かったら、僕は大喜びでこの話に飛びついていたはずだ。
前にも書いたけど、異類婚姻譚小説の構想はあるのだ。
どうしても書いてみたい題材が、僕にはある。
ただ……。
「タイミングが悪い……」
「はい?」
タイミングが悪い。どうにかそれだけ言った僕に、わけもわからず問い返す重岡女史。
本当に、タイミングの悪い。
「実はさっき、つい一時間ほど前、岡田さんから連絡があったのだ」
「はい。なんの?」
「図書ドラの文庫化が決定しました」
そうなのだ。時あたかも6月29日の昼下がり、僕のデビュー作である『図書館ドラゴンは火を吹かない』の文庫化決定の連絡が担当の岡田さんから入ったのは、ちょうどこの一時間ほど前のことなのである。
事実は小説よりなんとかと言いたくなる、 このタイミングの悪さ。いらんところでこの連載のライブ感が発揮されてしまった気がする。
岡田さんからもたらされた朗報を(僕にとってそれは朗報に他ならない)伝えると、女史はまったく裏表のない声で「おおっ!」と歓声をあげた。その反応がこれから口にしなければならない言葉への罪悪感を僕に強いる。
「そういうわけなので、しばらくは新しいことをはじめる余裕はなさそうです。それに作家と学ぶの新企画もあるし――」
「当たり前です!」
断腸の思いで発しようとしたお断りの言葉をさえぎり、重岡女史は言った。
「図書ドラが東雲先生にとって特別な作品なのは私も知ってます! それに、今までずっと大変だった先生にとって、図書ドラの文庫化は精神的にも経済的にも大きな助けですよ! だからいまは、図書ドラが一番大事です!」
おめでたいことなんですから、気にしないでください! 重岡女史はそう言ってくれた。
担当作家の他社での刊行を朗報と捉えてくれた彼女に対し、深く感謝する。いい奴なのだ重岡女史は。腕6本生えてるけど。
「ところで、文庫版図書ドラの刊行予定日って、聞いてもいいですか?」
「9月6日発売予定」
「わあ、かなり急なスケジュールですね。それだと確かに他のことをしてる余裕はなくなりそうです」
お盆休みとかもありますし、と重岡女史。同じ業界だけにお盆進行のことは説明せずとも通じている。
「でも、逆に言うと9月には体が空くってことですよね?」
「そうなるかも」
体が空く。つまりスケジュールに余裕ができると言うこと。
「なら、異類婚姻譚小説は9月以降に満を持して発進ってことでいかがですか?」
「……! 待ってくれるのか! それまで!」
思わず倒置法になる僕。
重岡女史は固く頷いてから(回線の向こうに確かに彼女が頷いた気配があった)、「待ちましょう」と言った。
「たとえ9月が無理でも、それなら10月でも、11月でも、こちらは待ちますよ」
こうまで言われて、ここでノーと答える作家がいるか?
僕は答える。いや、数々の厚意を示してくれた重岡女史の気持ちと、ありがたくて励みになるたくさんのメッセージをくれた読者の期待に、応える。
「よろしくお願いします!」
「はい! よろしくお願いします!」
そのようにして異類婚姻譚小説の企画はスタートした。
*作者紹介*
東雲佑(しののめ たすく)。幻想小説を得意としている。第3回なろうコンの拾いあげ作品『図書館ドラゴンは火を吹かない』が宝島社より発売中。
第2回モーニングスター大賞では『雑種の少女の物語』が最終選考まで残り、社長賞を受賞。ちなみに、第1話の作中に登場する「先日のエッセイ」とは『名前の中のストーリー』のこと。
東雲佑(しののめ たすく)。幻想小説を得意としている。第3回なろうコンの拾いあげ作品『図書館ドラゴンは火を吹かない』が宝島社より発売中。
第2回モーニングスター大賞では『雑種の少女の物語』が最終選考まで残り、社長賞を受賞。ちなみに、第1話の作中に登場する「先日のエッセイ」とは『名前の中のストーリー』のこと。
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