作者:東雲佑
10時から始まった打ち合わせは、歓談、雑談を織り交ぜながら一時間余りも続いた。
ありがたいことに(たぶんありがたいことなのだろうと思う)、妻と重岡女史はいつの間にかすっかり意気投合していた。お互いに病的な猫好きという共通点が、2人の距離を縮める決定的な要因となったらしい。飼い猫の写真を見せ合ったり(ご存知の方もいるだろうが、我が家の猫は『先生』という食パン柄のメス猫である。一方、重岡女史の飼い猫は『シャロちゃん』という名のキジトラだった)猫飼いアルアルに花を咲かせたり、僕なんて完全に蚊帳の外である。
と。
「あ、そういえば」
会話の輪から外れていた僕だったが、ふと思い立ってというか、気になったことがあって女史に声をかける。
「ねえ重岡さん。さっき読者からの要望って話題が少し出たけど、前回読者だよりで振った件については、どうでした?」
読者の皆様は覚えておいでだろうか。前回の読者だよりで『また取材に行きたい』と申し出た僕に対して、重岡女史は『読者からの要望があれば』とぬるく玉虫色の返答をしていたのだ。
僕が持ち出したのはまさにその話題だ(そしていまこの文章を読んでる方の中に実際に要望を送ってくれた方がいたとしたら、ありがとう愛してる)。
「あ、取材の件ですね?」
僕の意図はあやまたずに担当編集に通じていた。なんだかんだで優秀な編集者なのだ。あとやはりはじめてあった気がしない。
重岡女史は少しだけもったいぶるようなそぶりをした後で、頭の上に大きくマルを作るポーズをした。
「まじか!」
「まじです」
よっしゃ、と小さくガッツポーズの僕である。
「やっぱりというかなんというか、ご要望、かなり来てましたよ。それにもし読者の要望がなくても、実のところ、取材記については最初からオッケーだったんですよ」
「まじで?」
まじです、と女史は頷く。
「前回の女化神社の取材記事、かなり評判だったじゃないですか。さっきも言いましたけどこれは新たな可能性のひとつです」
「可能性」
「はい。『作家と学ぶ』の人気の理由って、異類婚姻譚っていうテーマは一つでも、そのテーマをいろんなアプローチで取り扱ってるのが一つの要因ではないかと思うんです。毎回違うから飽きないんですよ」
本編、読者だより……重岡女史が指を折って名前をあげる。
「そして先日の取材記は、文章表現に力を入れる東雲先生のまさに本領発揮でした。読みやすいのにすごく雰囲気があって、実は他社の編集さんにまで褒められてるんですよ」
「まじで」
「まじです。ということで」
そして3本目の指が折られる。取材記。
「東雲佑の取材記、レギュラーコーナーに昇格です!」
「やったー!」
「ただ……」
そこで、重岡女史の声に陰りが生じた。……というか、なんだかすごく申し訳なさそうな。
「前回もそうでしたけど、原則的に交通費その他の経費をお支払いすることができないんですよ」
先日すぐにお返事ができなかったのもこれが原因です、と女史は言った。やはり申し訳なさそうに。
「私も阿部さんも頑張ってはみたんですけど、なにしろ新紀元社は小さな会社なんで……。ですから、必要経費は自弁でお願いしなければならないのですが、そうすると……」
「
どんどん
「もともと取材記は自分で書きたい文章なんで、それで原稿料いただけるんだから感謝こそすれ文句なんてないですよ」
これは本心だった。前にも話したけれど、紀行文は以前からずっと書きたいと思っていたジャンルだし、それに取材をして文章にまとめるルポの仕事にもずっと憧れていたのだ。個人的にやったのでは1円にもならない文章にお金がいただけるなんて、それ以上望んだらバチが当たってしまう。
「あと、自分の作品や連載のクオリティを上げたいって願うのは、作家って生き物の基本的欲求ですから。たとえそれで多少の足が出ても」
「うう、ありがとうございます……なんだか今日の東雲先生は輝いて見えます。まるで作家みたい」
失礼な。みたいじゃなくて作家なのである。お前この連載のタイトル忘れたのかよ。
「わかりました。経費はお出しできませんが、その分アポ取り他のサポートは精一杯頑張りますから!」
「それを聞きたかった」
僕の中のブラックジャック先生がにやりと笑う(※3)。出版社を通すことで取材のアポ取りはぐっと容易さを増す。この後方支援が得られるなら交通費なんて安いものだ。
「任せてください! 阿部さんはベテランにして敏腕の営業さんですから!」
「お前が頑張るんじゃねーのかよ」
なぜゲオカさんがでかい面をするのだ。そしてなぜそこまでナチュラルに大先輩の上司を使おうとできるのだ。
しかしともかく、連載継続に続いて取材記のコーナー昇格も決定である!
たとえば前回読者だよりで触れた分福茶釜の茂林寺。茶釜に化けたはいいが元の姿に戻れなくなった狸が、親切にしてくれた古道具屋に恩返しをするというあらすじの全国的にも有名なお話。群馬県館林市はこの分福茶釜の元祖にして本場なのだ。
それに、僕の住む高崎市には狐の嫁入り(※4)にまつわるお祭りがあることもリサーチ済みだ。地元に伝わる伝承、是非とも記事にしたい。
他にも希先生が教えてくれた麻布の狸穴とか……いや、既知のものだけでなく、未知のものも。
知らない町を歩く時だけでなく、見知った土地を歩く時にも。伝承の気配はそこら中に感じることができる。我が国において、神話と伝承は在野にもゴロゴロ潜んでいるのだ。
フィールドワークはやり甲斐の塊だ。それをどう文章にまとめるか、どう文章で表現するか、考えただけでワクワクしてしまう。
読者の皆様、今後とも『作家と学ぶ異類婚姻譚』をよろしくお願いします!
「あ、読者と言えば」
「はい。特に言ってなかった気がしますけど、なんですか?」
うるせえ地の文のモノローグで言ったんだよ。
「読者の要望のおかげで取材記がコーナーになるんだよね? ご要望、たくさん来てたんだよね?」
「はい、いっぱい、いっぱい、たくさん。『作家と学ぶ異類婚姻譚』は皆様のお力添えで頑張っている連載ですね」
いや確かにその通りだけど、なんだその政治家の演説みたいなフレーズは。
まあいいや。
「ところで、ご要望といえばもう一つ募集してたよね? ほら、この連載の書籍化の……」
「あ、あー。あー……」
「来てた? そっちもいっぱい来てた?」
「はい、まあ、嘘は言えないからはっきり言いますけど、来てましたよ。かなり」
「っしゃラァ!」
再び、さっきより大きくそして力強くガッツポーズの僕。
「やあ、まさに皆さんのお力添えだなあ、ありがとうございます! んで、文庫? それとも単行本? いつごろ書店に並びます?」
「ちょっとちょっとちょっと! しません! 書籍化、しーまーせーんっ、よっ! 本にはなんないです!」
「は!? なんで!? いっぱい来たんでしょ!?」
「確かに来ましたよ! だけどできません! なぜなら新紀元社は小さい会社なのです! あとどんな本にまとめればいいかビジョンがまったく見えません!」
だってコーナーが多くてカオスだから! と重岡女史。さっき褒められたばかりの多様性が、まさか早速牙を剥くとは。
ただ、そうは言われても「はいそうですか」と引き下がるわけにはいかない。作品クオリティ向上を願うのと同じく、本の出版は作家の基本的な(そして普遍的な、さらには渇仰的な)欲求の一つなのだ。
「重岡さん言ったもん……。いっぱい要望来たら本にするって、言ったもん……」
とりあえずゴネてみた。タリーズコーヒーでとるには最もふさわしくない態度と行動である。こういうのはマクドナルドの2階席でやるべきなのだ。あと25歳くらい若い頃に。
「やめなさい。重岡さん困ってるでしょ。あとみっともない」
その時、それまで黙っていた妻が口を挟んだ。
「第一に、要望がたくさん来たら本にしてくれるって確約してたわけではないでしょう? 『要望が多ければ考える』って言っただけ。ね、重岡さん?」
「はい」
「そして実際にたくさんの要望が来て、だから実際に重岡さんも考えてくれた。考えて、検討して、その結果やっぱりダメだったの。ね、重岡さん?」
「はい、はいはいはいはい、はい!」
「それにどうしてダメなのか、その理由もしっかり説明してくれたよね。だったらもう、無理を言うんじゃありません。先輩作家さんたちに言いつけるよ?」
「見事な正論だけど、あのさ、君どっちの味方なの?」
さっきの感動的なチームプレイから一転またも背後から夫を撃った妻と、そのマイワイフに尊敬の眼差しを向ける担当編集とを見比べながら僕は言う。
「だから、女子チームだってば。最初にこの席に座った時から、私たちはチームメイトなの」
きゃー! と歓声をあげる女史。二人は仲良く手を取り合った。
夫の孤独は深まる。僕が中学生だったら次の日から学校に行けなくなってたかもしれない。
*****
読者よ。親愛なる読み手よ。
皆様のお力添えのおかげで(何度も言ってるうちに抵抗なくなったなこれ)、僕の二つの野望のうち、一つが成就した。
本文中でチラッと話した場所以外にも、訪れてみたい土地、実地で触れてみたい伝承はたくさんある。
そして、読者よ。もしも東雲に取材させてみたい場所をご存知だったら、是非ともメッセージフォームから投稿してください(ただしあまり群馬県から遠くないところでな!)。
何度でも言うけど、たくさんのご要望、本当にありがとうございました!
今後の『作家と学ぶ異類婚姻譚』に、ますますご期待ください!
※1
忸怩とは『深く恥じ入るさま。』を言う。忸怩たる思い、などの使われ方をする。『忸怩る』は僕の考えた造語的な用法だけど、流行ったらいいな。
※2
無問題と書いてモーマンタイ。そういうタイトルの映画が僕が中学生の頃にあって、僕の世代はみんなこの読み方を知っていたのだ。
※3
地方によって差があるらしいが、広い範囲で天気雨のことを狐の嫁入りというらしい。群馬県にはこの狐の婚礼行列が目撃されたという伝承が残っているのだ。
※4
手塚治虫先生のヒューマンドラマ『ブラックジャック』に『おばあちゃん』というエピソードがある。以下がそのあらすじだ。
幼い我が子を救うために莫大な医療費を請求された母親は「一生かかっても払います」と答える。それから数十年、すっかり年老いた母親は医療費を払い終えたその日に倒れてしまう。偶然居合わせたブラックジャックが「なおるみこみはすくない。だがもし助かったら三千万円いただくが……」と突きつけると、成長した老婆の息子は「一生かかってもどんなことをしても払います!」と答える。息子のその言葉を聞いたブラックジャックは「それを聞きたかった」と言い放ったところで物語は幕を下ろす。
すごくいい話だし有名な台詞なんだけど、ブラックジャックをろくに読んだことのない重岡女史は朱入れの際に落書きつきで先生を守銭奴扱いしたのである。
大変失礼いたしました!(重岡) |
*作者紹介*
東雲佑(しののめ たすく)。幻想小説を得意としている。第3回なろうコンの拾いあげ作品『図書館ドラゴンは火を吹かない』が宝島社より発売中。
第2回モーニングスター大賞では『雑種の少女の物語』が最終選考まで残り、社長賞を受賞。ちなみに、第1話の作中に登場する「先日のエッセイ」とは『名前の中のストーリー』のこと。
東雲佑(しののめ たすく)。幻想小説を得意としている。第3回なろうコンの拾いあげ作品『図書館ドラゴンは火を吹かない』が宝島社より発売中。
第2回モーニングスター大賞では『雑種の少女の物語』が最終選考まで残り、社長賞を受賞。ちなみに、第1話の作中に登場する「先日のエッセイ」とは『名前の中のストーリー』のこと。
『作家と学ぶ異類婚姻譚』
第1話
読者だより①
第2話
読者だより②
『シェイプ・オブ・ウォーター』特集
第3話
~東雲佑の取材記 〈女化紀行 前編〉~
~東雲佑の取材記 〈女化紀行 後編〉~
読者だより③
読者だより④
~東京編・連載の今後について~